英語バージョンへのカバーに初挑戦!

 今回私は、久しぶりに英文和訳もしくは英作文というものに挑戦しました。大学時代は、英作文の授業を一年間、真面目に勉強していました。けれども、高校時代の英作文の授業は、あまり真剣ではありませんでした。中学時代は、中二の時に、あの個人で学習塾を経営していた非常勤講師の先生に一年間、英作文ばかりを授業中に書かされました。
 その先生は授業の毎時間、英作文の添削を行なわれました。それを始める時には、口数の少ないその先生は「英作文。」とぶっきらぼうに切り出しました。そして、口頭だけで英訳する和文を言います。私たち生徒は、それを聞いてノートに短い英文を書いたらば、教壇の横の椅子に座っているその先生の前に一列に並んで、おのおののノートに書いた英作文について添削を受けます。答えの短い英作文が合っていれば、赤ぺんで丸を付けられます。間違っていれば、赤ぺんで直されます。赤ぺんで丸を付けられても、それ以外に何も報酬はありませんでした。けれども、その先生に丸をつけてもらわないと、何となく悔しい気分になりました。
 また、口頭で出される問題を英訳できなくて、ノートを持ってその先生の前に並ばない生徒がいると、その先生はすっくと立ち上がって、その生徒の机の前に行きます。その先生は、手に持っていた英語の教科書をその生徒の机の上に叩(たた)きつけて、「何でお前は、俺のところへノートを持って来ないのだ。」と凄い見幕(けんまく)で怒鳴るのでした。さすが学習塾を個人経営している先生だけあって、厳しいなあ、とその頃の私は思いました。
 社会人になってからは、数年間、私は小さな翻訳会社に勤めたことがありました。翻訳者さんが翻訳したものを校正チェックすることが仕事だったため、それほど英文和訳あるいは英作文はやらなかったと思います。ただし、翻訳されたものに文の抜けがあった場合、前後の文と矛盾しない程度に英文を書き加えることはよくありました。私自身は、翻訳者になったことはありません。相当の分量の翻訳をしないと、翻訳者としては食べていけない、というのが現実でした。
 前置きが長くなりましたが、そんな経歴を持つ私が今回初めて、日本語の曲を英語バージョンでカバーすることに挑戦してみました。その過程でいろんなことに気がつきました。まずは、その成果を披露してから、その補足説明と共に、いろいろと気がついたことを述べていきたいと思います。


    "Love Returns To You !? "


Just now I can imagine your voice calling to me,
and telling me, "We're together."
when I'm giving way to my feelings of loneliness.


Just now I can imagine your like coming to me,
and walking close to me.
I'm waiting for you in my own way of closing my eyes.


Breaking my own heart, I used to cry my eyes out.
But you've just changed my heart !


(*)
So I hope you never forget
we happened to watch each other.
So I hope you never forget
we happened to touch each other.
Until we met each other,
I'd never known such a feeling.
I love you so !


I can see you 're looking at me from far away
I'm not close to you
But I can feel at home because your love is really true.


I believe in your love, and love you in my heart.
Please promise me...
Please watch over me
even though you are so far away.


Breaking my own heart, I used to cry my eyes out.
But you've just changed my world !


(* Repeat)


Now, I want you to be with me ... for me,
I say I don't cry anymore.


(* Repeat)


Now, I want you to be with me ... for me,
I say I don't cry anymore ......


 『愛・おぼえていますか』という唄のタイトルは通常英訳すると、"Do You Remember Love"です。"Ai Oboete Imasu Ka?"という、ローマ字表記のタイトルさえあります。私としては、それらが英語らしくないタイトルのように思えました。ここは、英語らしく"Love"を主語にして「愛があなたによみがえってきた!?」とか「愛をあなたは取り戻した!?」みたいな感じにしてみました。ちょっとクールなタイトルですが、クール・ジャパン構想に反していないのでいいと思います。
 前回のブログ記事で触れましたように、この原曲の日本語の歌詞を、英語を母国語とする人が読むと、時間と空間がはっきりしていなくて、わかりずらいと思います。私とあなたの物理的な距離感はいったいどうなのか、近くなのか遠くなのか、さっぱりわかりません。また、私とあなたが近くにいる時と遠くにいる時の、その時間の順序さえよくわかりません。まさに『超時空言語』である日本語のなせる業(わざ)なのです。しかも、その日本語は、私たち日本人が日常普通に使っている日本語と同じものです。この日本語の歌詞を書いた作者も、この唄を聴いた私たち日本人も、特別な作風や解釈をしていたわけではなく、ただ普通にいつもどおりに日本語を読み書き聞き話していただけなのです。
 私たち日本人は、この唄をどう理解しているかと言うと、「私」の心情(心の中)を表現している(唄っている)だけだと考えます。「あなた」に対する思いを、初恋のような初々しい気持ちで相手に伝えている、本当にありふれたラブソング(love song)にすぎないわけです。ですから、日本人はこの唄を自然にすんなりと理解できるのです。一方、Cristina Veeさんが唄った英語バージョンの"Do You Remember Love"の歌詞を読むと、内容がかなり複雑になっています。その原因は、時間と空間の組み合わせを順序だてていることにあります。いわゆる、時空の辻褄(つじつま)合わせが無いと、わけがわからない英語の歌詞になってしまうのです。
 どういうことかというと、それは言語の使い方に違いがあるためです。いかなる言語にも、その背景にあるもの、文化的なものには必ず違いがあります。その違いを埋めるための何らかの手段が必要なのです。私たち日本人の多くはまず英単語を覚える時に、その言葉の意味を日本語では何であるかを覚えます。しかし、それだけでは、その言葉をどう使ったらいいかわかりません。その言葉の多様な用法も、辞書をまめに引いて、時間をかけて一つ一つ覚えていかなくてはなりません。もしくは、英語を母国語とする人たちと同じ生活環境で同じ長い時間をかけて、いろんな言葉やその言い回しを一つ一つ覚えていかなくてはなりません。
 そうした言葉の用法を効率的にまとめて、使いやすくしたのが文法なのです。英文法の知識は、英単語の知識とは別の次元の知識です。ただし、まったく別個のものではなく、双方の知識はつながっています。英単語それぞれの用法を研究して、その共通点と相違点を調べて、それらを規則や例外として体系的にまとめたものが英文法だからです。
 だから、英文法は、英単語を記憶するのとは違ったやり方で学ぶべきなのです。英語を何とかしてうまく使ってやろう、という意識や必要性がない限り、文法の知識を学ぶ利点は生かされないと思います。しかし、残念なことに、私たち日本人は、英語を勉強する際に「いくら文法を勉強したって英語が使えない。だから、英会話の方が大切だ。」と思いがちです。しっかり学んでいないために、英語の文法は、日本語の文法よりも簡単だと思ってしまいがちです。従って、その文法規則全体を見渡さないで、その一部だけ見て学んで「英語を使えるようになるのは難しい」と思ってしまいがちです。
 さらにまた、「英語は日本語よりも文法規則が単純だから、英語圏の人間は、日本人よりも単純な性格で、単純な表現しかできない。」と考えてしまいがちです。これも、大きな間違いと言えます。そのことが、英語を世界共通語とする根拠の一つになっているのであれば、ちょっとおかしいことになると思います。グローバリズムは、本当に世界のあらゆることを標準化できるのか、私には疑問に思えます。その一方で、日本には「郷に入っては、郷に従え。」というような諺(ことわざ)があります。グローバル化の波は、確かに世界中に押し寄せてはいますが、結局それぞれの土地やそれぞれの人々が生活している環境を根底からくつがえして、津波のごとく押し流してしまうほどのものにはなりえないと思います。
 例えば、日本語は微妙で細やかなニュアンスを表現できると言いますが、英語だってかなり微妙で細やかなニュアンスを表現しています。日本人がそのことに気がつけないのは、英語の文法を一つ一つ学ぶことを毛嫌いしているからです。この点に関する詳しい話は、またの機会に譲ります。少しだけ申し上げるならば、冠詞(不定冠詞と定冠詞)の有無と名詞の単数複数の違いだけで、最低二、三十種類の意味用法、つまり、ニュアンスの違いがあります。特にそれは、和文英訳をする翻訳者がよく泣かされている事例の一つです。
 以上のことを踏まえて、今回のカバー曲の和文英訳で注意した点を以下に述べてみようと思います。例えば、この原曲のサビの部分で、「何々した時を、あなたはおぼえていますか。」とその後で「それは初めての愛の旅立ちでした。」と唄っています。「初めて」は"for the first time"だけど、「愛の旅立ち」って何だろうということになります。実はこの「愛の旅立ち」という言葉は比喩なのです。表現をぼかしているため、そのまま英訳すると意味が通じなくなります。私の場合は、「あなたと出会うまでは、こんなふうな(あなたを愛する)気持ちをまったく知らなかった。」と過去完了形で表現してみました。なお、「おぼえている」は普通"remember"ですが、同じような意味の"never forget"で音数を合わせやすくしました。
 「目と目があった時」や「手と手が触れあった時」の英訳は"the moment when ..."(〜した瞬間)とやりがちですが、微妙に視点を変えて「ふと〜したこと」という意味で"happen to ..."(たまたま〜する)という表現を追加してみました。また、「目が合う」は、「互いに目線をあわせる」という意味で"Look at each other"を使うべきところですが、「手が触れる(触れ合う)」の"touch (each other)"と語呂を合わせて"watch (each other)"と表現し直しました。
 ところで、原曲の歌詞の中で「昨日まで〜だった×××は、今(は、〜ではない。)」というような表現がありましたが、これもそのまま英訳するとおかしくなります。日本語の言い回しとしては間違っていません。私の場合は、文の前半部分は過去形(過去進行形でも過去完了形でもありません。)として、その後半部分は現在完了形にして、二つの別個の文にしました。この場合の「昨日まで〜だった」という言葉が、英語ではしっくりきません。「過去のこれまで〜だった」と言い換えて、過去に何度も繰り返されていた物事として"used to(不定詞)"を使ったほうがいいと思いました。
 この曲の結びの「もう、一人ぼっちじゃない。あなたがいるから。」をどう英訳したか、ということを簡単に説明しておきます。それを日本語で言い換えて考えてみると、「さあ、私と共に…私のために、あなたは生きていてちょうだい。(一人ぼっちでも寂しいわけでもないから)もうこれ以上、私は泣かないわ。」みたいな感じになると思いました。よって、そのような意味の英訳にしてみました。
 こうしてみると、日本人にわかりやすいように英文法で説明をしてしまいましたが、私の英語版のカバー曲に使われている言葉は、ジュニア・ハイスクールのレベルでもわかるような言葉だと思います。いわゆるビッグ・ワード(big word)を使わないで、難しい英単語を最小限に抑えたつもりです。私自身、大学受験のために難しい単語を覚えたつもりでしたが、ほとんど忘れてしまいました。これじゃあ大人の外国人や、学問のある外国人とのコミュニケーションは無理だな、と思いましたが仕方ありません。アニメのラブソングごときであったならば、私の頭くらいで十分だと考えてやってみたわけです。しかし、意外にも和文英訳してみると「なんじゃこりゃあ。」と思ってしまうことがあって、その度に考えさせられました。今回は、冠詞(aとthe)の使い方に、さほど苦しめられませんでした。それが、せめてもの救いだったと思います。