後世に託された宿題

 前回のブログ記事で、超時空要塞マクロス劇場版アニメ『愛・おぼえていますか』と同名の挿入歌『愛・おぼえていますか』の劇中の謎に迫ってみました。この劇中歌には、外国に輸出される際に英語バージョンに差し替えられることを前提にしていたかもしれないという疑惑がありました。その制作に関わった方々やこのアニメの日本人ファンの方々に、ご迷惑をおかけするようでしたら、陳謝いたします。あくまでも、このアニメ作品の内容に即して考えられることを述べたわけでして、このアニメ作品を好んでいる方々の気持ちを害する意図がありませんことをここで申し上げておきます。
 実際には、この劇場版アニメとその劇中歌は、USAに渡り、いずれも英語の吹き替えが行われました。けれども、結局「英語の吹き替えも行われた」と言ったほうがよいかもしれません。日本語版のオリジナルの映像や音声を残して、外国の言語の字幕が入れられた場合が多いようです。この映画の劇中歌に至っては、その国の言語による字幕だけではなく、その日本語の歌詞をローマ字表記で付けられることも多いようです。つまり、このアニメの映画と歌のオリジナルなものは、海外に出ても生き残ったわけです。
 私は英語版のほんのわずかの映像クリップを見て、日本語版とのイメージとの違いに戸惑ったと、前回の記事で書きました。もっとよく考えてみないと、私がそう思えた原因はわからないと思います。とりあえず考えられることは、オリジナルの日本語版の何か目に見えない部分を英語版が伝えきれずに欠落させてしまって、前者よりも後者が劣ってしまったらしいということです。書籍に例えるならば、翻訳されたものよりも、原文(オリジナル)の方が読んでわかりやすかった、というパターンです。
 日本人にとっては何でもないことでも、外国人にとっては大変だったりすることがあります。その逆もありますが、今回は、日本人にとっては何でもないのに…、という事柄について述べます。その『愛・おぼえていますか』の歌詞を、日本語のオリジナルで日本人が読んだとしても、何の抵抗もなく受け入れることができます。大した内容でもない、普通のラブソングだと、おおかた思うところです。ところが、それを英語を母国語とする外国人が読んでみると「なんじゃこりゃ。」ということになります。
 日本人は、文の時制(tense)を気にしないで読み書き聞き話しています。それが過去なのか、現在なのか、未来なのか、過去完了なのか、現在完了なのか、過去進行形なのか、現在進行形なのか、仮定法過去なのか、仮定法現在なのか、ということがわかっていないとその微妙なニュアンスが、英語を母国語とする外国人には気になりますが、日本人にはそれほど気になりません。フランス語などには、英語と区分けが違って、複合過去と半過去と大過去の3つのよく使われる過去形があります。しかし一方、日本語には「〜した。」と言っても、過去なのか現在完了なのかさえ、それだけではすぐに区別が付きません。
 ここで、私は文法上の問題があると言いたいのではありません。時制の約束事が無いと外国語は通じにくい感じがします。あまり本気で読んでもらわなくてもいいのですが、外国人にとっての日本語は『超時空言語』と言えるかもしれません。つまり、時間と空間をあっちこっち自由に飛び回れて、どういう物事の順番や規則性なのか、さっぱりわからない感じなのです。日本人同士では、もともとそのようなことを意識せずに対話しているので、まったく問題になりません。しかし、外国人がその『愛・おぼえていますか』の日本語歌詞を読むと、内容を再整理して言葉を補っていかなくてはなりません。Cristina Veeさんの"Do You Remember Love"の英語の歌詞を読むとわかりますが、日本語の歌詞に書かれていない複雑なシチュエーションがあちこちに補われています。あえて具体的な例をあげませんが、内容が難解な歌詞になっていると思います。
 このように日本人や日本語に見られる超時空的なものを、まだ、外国人の多くは理解・習得できていないと思われます。そうした超時空的な発想は、そのような劇場版アニメとアニメ主題歌という形で、依然としてオリジナルという形で、この地球上から消えずに残っているわけです。その発想がグローバル化の中に組み込まれるかどうかは、後世に託されていると思われます。その三十年近い昔から託された宿題に、私も挑んでみようと思っています。