ついに『ハナミズキ』の英語カバーに挑戦!!

 実は、私はつい1週間ほど前までは、この『ハナミズキ』という曲を英語に翻訳して、英語で歌える歌詞にするなどということは100%不可能だと、自ら勝手に決めつけていました。英語に逐一直訳してみると、どうにもよくわからない内容になってしまうことを、前々からよく知っていました。原曲の日本語歌詞でさえも、私の凡庸な頭では、よく内容が理解できていませんでした。
 ところが、先日、インターネットのYouTube動画サイトでたまたまHayley Westenraさんの英語カバー曲を耳にしました。それが、余りに美しい曲だったので、びっくりしてしまいました。思わずその日本語カバーを翻訳して作ろうか、とまで思いました。けれども、一青窈さんの日本語歌詞の原曲に敬意を表して、今回それは思い留まりました。
 その代わりと言っては何ですが、『ハナミズキ』の原曲の日本語歌詞に敬意を表しつつも、私なりにその英語カバーバージョンを英語に翻訳して作ってみることにしました。それに際して、原曲の日本語歌詞は、二重および三重の意味をもともと含んでいると想定しました。そして、その一つを抽出するような感じで英語の歌詞を組み立てる、という方針に決めました。
 このような手法にしたために、もしかしたら見当はずれな英語表現になってしまうかもしれない、という危険を抱えることとなりました。がしかし、その場合は、なるだけ原曲の日本語歌詞から読み取れる内容を尊重することに致しました。すなわち、あえてそうした危険にさらされることを今回は選ばせて頂きました。あくまでも、これも挑戦ということで、その私の拙(つたな)さを大目に見て頂きたく思います。それでは、さっそく以下にその成果を披露して、若干の解説を加えてみましょう。


   "Whatever My Life Is"


Up and up all your branches grow
In the month of May you're stretching out toward the sky
I wish you to come up to me
To come stretching to the waterside where I stand
I'll give you buds in expectations
You can find out you are pretty

(*)
I long for my happiness of seeing the dogwood blossoms' life
All of them should be naturally scattered
I long for your happiness
I hope that you all live long lives
Even if my life is an empty dream


This summer 'tis burning hot
'Tis painful and hard for you even to think of me
If I sail together with you
Then we never will get along well , I'm afraid
For yourself without my rescue
I hope you may go ahead your own way

(**)
I long for my lucky days when I control my wilfulness
With which I'd bothered you for a long time
I long for your lucky days
I hope that you all live long lives
Even if my life is shorter than your lives


(Interlude)


Your dream is like a butterfly
And you'll put up a sail for running after it someday
You'll give me such a present
The dogwood leaves are Mothers' Day present
I'll forgive you for waiting no more
I'll forgive you for listening no more

(* Repeat)

(** Repeat)

I hope that you all live long lives
Even if my life is shorter than your lives


 この英語カバーのタイトルは、『たとえ僕の人生がどんなであっても』という意味にしました。正直に言いますと、「君と好きな人が百年続きますように」という原曲の日本語歌詞の意味が、私にはよくわかりませんでした。と言うよりも、日本語として何となくぼんやりと理解できるのですが、論理的に考えるとどうもハッキリとはわからない、と言うほうが当たっていると思います。
 そもそも、詩(ポエム)の世界というものは、論理的な明快さよりも、感情的な、曖昧模糊(あいまいもこ)な世界を表現するものであり、それが表現できるからこそ、面白いのだと思います。それだからこそ、この小さな一つの表現から、いくつもの見方や解釈が生まれてきて、二重三重あるいはそれ以上の意味内容や文化的背景も読み取れて、さらに面白くなるのだと思います。
 よって、私は、原曲のその一節に、私なりの独特な解釈をほどこしてみました。『君』というのは二人称です。『(君か僕の)好きな人』という言葉は、『彼』もしくは『彼女』に変換できて三人称です。そして、『百年続きますように』と願うのは『僕』一人であり、それは一人称です。こんな最近流行(はや)りのナゾトレ(R)みたいなことをやって、何がわかるのかと申しますと、次のようなことがわかります。
 一人だけの『僕』が、『僕以外の世界』すなわち『二人称、三人称の世界』に対して願うことがある、ということです。よって、「たとえ僕の人生がはかない夢であっても、僕以外のみんなは、それなりに生きてゆける人生であってほしいな。」と願う気持ちが表現されている、と私は解釈します。あるいは、「僕よりも、みんなにもっと長生きしてもらいたいな。」と願う気持ちが、「百年続きますように」という原曲の日本語歌詞には表現されていると、私は思うわけです。
 それは、最近流行り(?)の『人生百歳時代』という言葉の内容とは、全く関係ないと思います。おそらく、『僕』自身はどんなに生きても百歳は生きないだろう。それよりも、『僕』以外のみんなに、普通に人生を全うしてもらいたいな、みたいに読み取れると思います。そして、『僕』がそのように長生き競争などから一歩だけ身を引いて、もっと人間らしく生きることを選んでいることにむしろ価値があると言えましょう。
 今回の英語タイトルの説明はここまでですが、ここでこの曲のテーマについて、ついでに触れておこうと思います。上述の原曲の日本語歌詞の一節は、私の翻訳では、”I hope that you all live long lives / Even if my life is an empty dream (Even if my life is shorter than your lives)”という文に英訳しています。それは、こういうことです。もし仮に、一時(いっとき)にでも、私たちの一人一人に、他人を殺したいという思いや、他人への憎しみの心があったとします。そうした思いや心が何処から来るのかを、この曲の歌詞のその一節は、聴き手にそれとなく問うているような感じがします。それを強調するならば、「他人の人生や幸せをねたまない、ということに勇気と自信を持とう。」というメッセージが、この『ハナミズキ』という楽曲にはあるように思われます。そこで、私は、このようなテーマにそって、この曲の日本語歌詞の内容を英語に翻訳していくことに決めたのです。
 そこで、原曲の日本語歌詞の1番をみてみましょう。ハナミズキの木の枝や花やつぼみのことから、その成長に期待している『僕』の言葉が述べられています。そこでは、ハナミズキの木を擬人化して表現しています。そして、それを『君』と呼んで、人間であるべき『君』と重ね合わせて観ている(同一視している)ことに注目してほしいと思います。この曲の美的感覚の一つは、その辺から来ていると思われるからです。従って、この点を英語に翻訳する上でもよく考慮する必要があると思いました。また、そのことは直訳の英文では十分には内容が伝わらない、という根拠にもなっていると考えられました。
 次に、その日本語歌詞の2番をみてみましょう。今度は、1番の歌詞とは内容が一変して、『僕』を置き去りにして行ってほしいという気持ちが述べられています。それに関する、いくつかの根拠と理由を『僕』の気持ちの側から述べています。そこで、私としては、英語歌詞に訳す際に、その内容をかみ砕いて、ややわかりやすい表現にしてみました。「この夏は焼けつくように熱い」とか「君は、僕のことを考えるだけで、つらいのだ。」というような意味の英語の歌詞にしてみました。また、「僕は、ずっと君を困らせてきた、僕の我がままを抑(おさ)えることができて(我慢ができて)幸運になれる日々(が来るの)を熱望します。」みたいな感じの英語の歌詞を考えてみました。
 そして、最後に、その日本語歌詞の3番を考えてみましょう。『君』の生きていく姿に『僕』が望むことが述べられています。私としては、なるべく簡潔な英語表現で、その原曲の詩的表現を述べてみました。小学生でもわかるような簡単な英文で述べてしまって、誠に申しわけありません。けれども、原曲の詩的内容をなるべく平易に伝えたくて、そのような英文スタイルをとってみました。(ちょっと微妙に違うんじゃないの、とかのお叱りを受けるかもしれませんが、その辺はご勘弁ください。)
 このようにして、今回の英語カバーを作ってみたわけですが、最後に私の感じたことを述べてみたいと思います。私の翻訳では、原曲の日本語歌詞を英語で明確に表現しなければなりませんでした。そのために、原曲の日本語歌詞よりも、もっとネガティブな表現になってしまった箇所がいくつもできてしまいました。その作品全体としては、オリジナルよりも暗い表現内容になってしまったように、私には感じられました。
 ところが、原曲を聴きながら、その英語歌詞を目で追ったり、部分部分を口ずさみながら、その曲を何度か鑑賞していると、それまでとは全く違う感覚があることを私は発見しました。その感覚は、気持ちの良い、スッキリとしたものでした。そのスッキリ感が、原曲の歌詞や音楽にもともとあったモノなのか、それとも、あえて英語の歌詞でハッキリ表現したために出てきたモノなのか、本当のところはわかりません。しかしながら、私自身がそうした感覚を味わったことは事実です。今回、私自身としては、そのことで何かトクをしたような感じがしました。