『22才の別れ』の英語カバーに挑戦する

 この曲は、前回紹介した『なごり雪』と同じCDアルバムに載せられていた曲だったそうです。私は、この曲を『風』というフォーク・デュオの演奏していた曲として知っていました。確か『風』のCDアルバムを買って、聴いていた記憶があります。
 今回の私の挑戦は、本当に、まさかの挑戦となりました。と言いますのは、この曲の歌詞には微妙なニュアンスの日本語表現がいくつも含まれていて、すんなり英文に翻訳することができずに、頓挫(とんざ)をきたす恐れがあったからです。そんな気はしましたが、前回『なごり雪』を英語の歌詞に訳したのだから、この曲も英語の歌詞に訳さずにはいられない、と結局思いました。
 今回挑戦したことの、もう一つの理由は、この曲が、フォークソングの中でも名曲の一つだったことです。私が高校生だった頃は、フォークギターを弾きながらこの曲を歌って、同級生の女子にモテようとしていた友人がいました。彼は、この曲を相当好きだったようです。この曲を歌ってみたいがために、フォークギターを買ったと言っていました。
 当時は、ギターの教則本というものがありました。クラシックギターだと、そうした本に『禁じられた遊び』の楽譜が載っていて、それを弾きたくてギターを買ったという人も少なくなかった思います。また、日本の歌謡曲で有名な古賀政男さんも、クラシックギター教則本を出されていました。その本の巻末には、『悲しい酒』や『影を慕いて』の楽譜が載っていました。
 私なども、クラシックギターを買った友人にそのような教則本を見せてもらったことがありました。私は、小学生が教わる程度で楽譜を読めましたが、『禁じられた遊び』の楽譜を見て、驚いたことがありました。3つの8分音符を一つにつなげた、その連続で、主旋律と伴奏が一緒に書かれていました。実は、この曲の原曲は、アルペジオ奏法(楽器の演奏方法の一つ)による練習曲だったのです。よって、ギターの音を音符の順番で弾いて行けば、伴奏付きの『禁じられた遊び』のメロディーを奏(かな)でられるというものでした。逆に、ギターを使わずに、その楽譜から曲のメロディー(主旋律)だけを追って読もうとすると、意外と骨が折れました。
 一方、フォークギターの教則本があったとしたらば(実際は、そんな堅苦しいものは無かったかもしれませんが)、きっと『22才の別れ』というこの曲が載っていたと思われます。この曲は、フォークギターのファンにとっては、それくらい着実な人気と魅力のある曲だったと言えます。この曲の、そうした魅力を損なわないようにして、今回も、英語の歌詞に訳すことを試みてみました。



   "Parting Of Twenty-Two-Year-Old Lovers"



I'll say good-bye today without hesitation
Direct to you
I can't do it tommorow
If I touch your fingers and know you are warm-hearted ,
I cannot say "I must go."
It's heartless to say good-bye to you
But I know I must leave you


I've never found really who you are
In a mirror I can only look at your reflection
It's so easy to jump at the happiness
that someone else will show me through the power of money



I remember when we stuck and lit twenty-two little candles
In my birthday cake
"Each of candles looks like a step of your life."
So you once said to me
You took part in my seven-teenth birthday
We've since then celebrated my birthday
I remeber of those days very well


But I consider that our five years has come to nothing
And that I'm not the same woman you used to know
I am going to marry into the family
that you have never known
I'm not the same you used to know !


Woo, woo, wooh, woo, woo, woo, woo, wooh, ......


Please listen to me
I want to ask a favor of you
Though you may be unwilling to do it for my sake
I wish you are a person I used to know
And you should be as you are
You should not be much different ....



 まず、曲のタイトルですが、『22才のあなたと私の別れ』という意味で訳したいところです。しかし、それだけでは『あなたと私』の関係が見えにくいので、'Lovers'(恋人たち)という言葉を、少し対象から突き放した感じで使ってみました。そのほうが、原曲のタイトルから受ける感じにも近いと思いました。
 原曲の冒頭に来る歌詞フレーズを英語の歌詞に訳すのは、その微妙な日本語のニュアンスも含めて、かなり難しそうです。そこで、その前に、いわゆる和和翻訳を試みてみました。すなわち、「別れなきゃならないとわかっているけど、明日になったら、躊躇(ちゅうちょ)してまともに別れを告げられなくなってしまうから、今日あなたに別れを告げましょう。」と、原曲の歌詞の内容をまとめ直してから、英文に訳してみました。
 また、「あなたの手に触れる」を"I touch your fingers"としてみました。「手」を'hand'ではなくて'fingers'に訳したのには、意図的な意味があります。日本語的には'hand'で十分なのですが、(5本の)指に触れる感じのほうがより具体的で感覚的です。そして、そのほうが、相手の優しさや暖かい心持ちを感じやすいと思われたからです。さらに言えば(言い過ぎるかもしれませんが)、それが、ギターをつま弾く時の感触や音感とも重なって、言葉の効果が倍増するようにも思えました。
 なお、"It's heartless to do ..."とは、「〜するのは、むごい(あるいは、冷酷だ)。」という意味です。
 ところで、『鏡に映ったあなたの姿』を英語に訳すためには、どうしたらよいのでしょうか。その問いに答えるためには、多少の準備が必要です。「私には、鏡に映ったあなたの姿を見つけられずに」という歌詞フレーズを、日本人の(特に現代の)私たちが聴いても、具体的で明確なイメージをすぐにはつかみにくいと思います。後のほうの歌詞フレーズで、「目の前にあった幸せにすがりついてしまった」とあるので、『目の前にあった幸せ』とその意味が対立していることはわかると思います。
 私は、その一連の歌詞フレーズに対して、次のようなイメージを読み取りました。それは、こうです。鏡(かがみ)とは、鑑(かがみ)とも読めると思います。つまり、人の鑑と言えば、人の手本となる人のことであり、模範的な人のことを表現します。つまり、鏡の中に映る相手の姿に、何らかの模範的な(尊敬に値する)ものを見ているこの曲の主人公の気持ちが感じ取れます。しかし、それはあくまでも『鏡に映った虚像』であって、その実像をじかに見ることはできないのです。すなわち、相手の男性の現実的な姿として、つまり、その実像として「この男性と将来一緒に実際の生活をしていける」という保証が、彼女には見えなかった。と、読めると思います。
 私は、『鏡に映ったあなたの姿』という言葉に、「立派な理想は持っているけれども、経済力や生活力や金銭力に不安がある(それらが定かでない)若い男性の姿」を想像します。私自身、若い頃は親のすねかじりで、社会で働いていなかった大学生の時代がありました。その頃は、私自身の姿をそんなふうに思っていました。この歳になると全然気にしないのですが、若い頃の私はそのことを極度に気にして恐れていました。気持ちが萎縮して、学生時代はガールフレンドさえ作れませんでした。
 ちょっと余談になってしまいましたが、そんなこともあって、その一連の歌詞フレーズの翻訳は、あえて直訳風に、渾身(こんしん)のチカラで直球勝負をさせていただきました。つべこべ言わずに、「あなたが誰だか(つまり、あなたの姿)を本当に見つけることがなかった。私は、鏡の中に映されたあなたの像に目を向けることだけしかできないのです。」というような意味で英語に訳しました。
 さて、「幸せにすがりつく」という日本語表現に適合する英語表現が、私の勉強不足で見当たりませんでした。そこで、"jump at happiness"(幸せに跳びつく)という表現にしてみました。どういう幸せかということで、"happiness"の直前に"the"を付けて、その直後の"that"以下で「他の誰かが財力(金銭力)にものをいわせて、確実に将来私に示してくれるところの」幸せというふうに英語で表現してみました。ちょっと露骨に思われるかもしれませんが、はっきりと"the power of money"(金銭力)と英語で表現したほうが、たやすくそれになびいてしまった、この曲の主人公の弱さが出ていて良いと思いました。
 それに、この曲の流行った時代を考えてみると、日本の女性の幸せは、自ら就職をして会社で出世することよりも、経済力のある男性と結婚して、経済的に豊かな家庭を築いていくことにありました。ですから、当時は、自由な恋愛によって相手の男性を気に入って結婚するよりも、相手の男性の家柄や家族を気に入って、それと結婚するということも少なくなかったように思われます。「あなたの知らないところへ嫁いでいく」という歌詞を"go to marry into the family that you have never known"と、私が表現したのはその理由からでした。
 「…が、昨日のことのように」という歌詞フレーズがありますが、「…が、昨日のことのように思い出される。」ということだと思います。従って、それは、「あの頃の日々のことを、大変よく憶えている」という意味の英文("I remeber of those days very well")になると思います。
 では次に、「5年の月日が長すぎた春と言えるだけです」という歌詞フレーズを考えてみましょう。『長すぎた春』とはどういうことかと申しますと、夏のようには進展することなく、秋のようには実りのない季節という意味だと思います。すなわち、その歌詞フレーズは、「ムダに過ぎてしまった実(じつ)の伴わない、将来の実生活に対する備えがまるでできていなかった青春時代の5年間だった」というイメージで理解できました。よって、英語では"our five years has come to nothing"としました。"come to nothing"とは、「ムダになる」「何の役にも立たない」という意味です。そう見なしている、ということで、"I consider that S + V"の構文を使ってみました。
 そしてまた、"I'm not the same (woman) you used to know"という表現によって、「私は、(あなたが知っている以前の私と)すっかり変わってしまっている。」という意味を付け加えておきました。それによって、この曲の主人公の気持ちが以前と違ってきたことを、つまり、好きな『あなた』と別れて、他の男性と結婚するという、ある意味で『人生の、まともで堅実な道(?)』を選んだことを、英語に訳した歌詞で明確に表現してみました。そのオリジナル歌詞の、日本語の微妙なニュアンスに十分対応できたと思います。
 しかしながら、この曲の最後の歌詞フレーズを読んでみると、「私みたいにならないで、しくじらないでほしい」みたいな文言になっていることがわかります。これらの歌詞フレーズは、直訳および直接的に英語で表現すると、強い表現になりすぎてしまいます。「変わらずにいて」を仮に"don't change"とか"never change"とか"keep to yourself"などと表現すると、強制的にわがままや難題を押しつけてくるようで、日本語の微妙なニュアンスが伝わりにくくなると思いました。ここは、なるべく婉曲に、つまり、遠回しに下手から出てお願いするように表現してみることにしました。例えば、"You should not be much different."(以前とあまり違わないでね。)くらいの、遠回しな表現にしてみたのです。
 なお、"I want to ask a favor of you."は「あなたにお願いしたいことがあります。」という意味です。また、"Though you may be unwilling to do it for my sake"は「あなたが私のためにそれをするのは気が進まないかもしれませんけれども」というような意味の英訳になります。
 それでは最後に、この曲がどうして当時のフォークソングの一つとしてヒットしたのか、ということに触れておきましょう。この曲を聴いて、当時の若者は、きっと『人生の分岐点』ということについて考えさせられたのだと思います。22才になるまでは、己(おのれ)の若さに任せて、世間体も何も気にせず、自由にやって来られたわけです。けれども、大人になるにつれて、世の中(で生きてゆくには)、やっぱりお金(経済力)だと、気づいてきたわけです。
 そのように、この曲の内容を見直してみると、お金や世間体を否定することのできない、私たちの社会の現実が見えてくると思います。心地よいフォークギターの調べとは裏腹の、人生の悲哀あるいは悲壮な決心が感じられます。しかし、その一方で、『あなた』に象徴される、「変わらずにいてほしいもの」がこの世には(ある、と断定的に言えなくても)あるかもしれない、と聴き手に感じさせるところに、この曲の本当の意義(すなわち、救い)があるのかもしれません。いくらお金があっても解消できないもの、もしくはいくらお金持ちになっても安心を得ることのできないもの、そういったものがこんな世の中にも、あるのかなと思えると、人間は幸せを感じられるのかもしれません。
 うまくいかないこと、不幸なこと、後悔していることというものは、見方を変えれば、その人にとっては『人生の財産』であるということなのです。たとえそれが永遠の別れだったとしても、その悲しい経験をムダにしたくはないという気持ちがあるということなのでしょう。ひょっとしたら、人間誰しもが、それぞれそのような気持ちを持ち続けて、今を生きているのかもしれません。