懐メロの英語カバーに挑戦する

 先日たまたまテレビで『NHK歌謡コンサート』を見ていたら、昭和31年のヒット曲の『ここに幸あり』が番組内で取りあげられていました。私が生まれる五年前にこの日本で流行(はや)った曲なのでしたが、なぜか私は知っていました。おそらく、テレビの『なつかしのメロディー』とか『思い出のメロディー』などの番組で、私はこの曲を子供の頃から何度も耳にしていたからだと思います。
 早速、この曲の英語バージョンを私なりに作ってみました。それを以下に披露します。それに続いて、若干の解説と、この曲のテーマに関しての私自身の意見を述べたいと思います。



      "My True Life and Hopes"


Every woman has to fight
against trouble in this world
Bad weather disturbs her
when she goes her own way
Somebody I can believe in
will help me live my better life
So I have reached my true life
My hopes have risen in the sky


You don't know that I was hurt
unlucky in love with my boy
deeply hurt like a little bird
scratched by a claw
I was crying, going outiside,
and going arround aimlessly
The wind was cold in the silence
I was sad to lost hope in the dark


I know I ask for my true life
until my soul will be gone
I know someone who calls to me
who's a stranger I want to see
Somebody I can believe in
will make me full of happiness
So I have reached my true life
My hopes have risen like a cloud


 原曲の『ここに幸あり』というタイトルは、"Here's My Happiness!"と直訳してみたいところですが、何となく違和感が付きまといます。実は私自身も、最初は、この曲のタイトルの英訳が思いつきませんでした。そこからして、この曲には翻訳の上で何らかの困難や問題を含んでいたことがうかがわれます。
 まず、『幸(さち)』という言葉について考えてみましょう。私たちが日常使う『幸せ』や『幸福』という言葉は、具体的な形がなく、漠然としています。『幸福』や『愛情』などという言葉は何かあやふやでつかみどころがなく、議論の上で使ってみても議論にならないのが現状です。いわば、ムードのようなものがその実体だと言えます。一方、『幸』という言葉には、そういったムード以上のものが感じられます。「海の幸、山の幸」と私たち日本人は言いますが、英語では"delicious food from land and sea"と言います。このような「海や山からのおいしい食べ物」、すなわち、私たちに喜びや楽しさや幸福を感じさせる具体的・実質的な物が、その『幸』であると言えます。このように、何らかの身近で、具体的な、実質的な価値を持っているもの、もしくは、その価値観を私たち日本人は『幸』と呼んでいるわけです。
 従って、「ここに幸あり」ということは、そうした具体的で実質的な価値のあるものやその価値観が私自身の身近(ここ)にある、とそう気がついたというわけです。やはり、その実体は、ムードや気分でしかないのかもしれません。しかし、何が違うかというと、それが身近に感じられるということなのです。遥か遠くにあると信じていた様々な夢や理想を追いかけるよりも、手元や足元にあるちょっとしたことを幸せに感じることの方が、本当の幸せな人生(my true life)に近づけたと言えるのかもしれません。私の英訳では、「(この曲の主人公が考える)本当の幸せな人生や生活に、やっと手が届いた、もしくは、たどり着いた(have reached)」という意味の英文にしてみました。すると、この曲のタイトルは『私の本当の人生と、そして、希望』という意味の英訳になると思います。
 曲の冒頭は、「女性は誰でも、この世で困難と戦わねばならない。自らの意志で道を行く時は、悪天候に邪魔をされる。」みたいな意味の英文にしました。要点が先に来て、その具体的な事柄が後で述べられるという文の構成です。これを見てもわかるように、原曲の日本語歌詞と(私の作った)カバー曲の英語歌詞とでは、前後の文の内容が逆になっています。それはなぜかと言うと、そのほうが英文の構成としてはわかりやすいと思ったからです。文の主節の次に従属節が来るこのパターンは、他にも使われていますので、さがしてみるといいでしょう。
 ところで、「君を頼りに/私は生きる」あるいは「君に寄り添い/明るく仰ぐ」の内容をどのように訳したかについて、また、何に注意をしたのかについて述べておく必要があります。この曲は、ご存知の通り、日本の高度経済成長期の始まりにヒットしたと言われています。その頃の日本社会の状況から、それらの歌詞のフレーズの意味する内容は「女性が男性にすがって生きていく」という意味であると一般的に考えられていました。そういう日本の時代背景があったがために、この曲は時代遅れの懐メロ(懐かしのメロディー)として扱われ、今の時代にはそぐわない内容であると見なされがちです。あの時代の女性の幸福の全ては、男性と結婚して幸せな家庭を築くことにあった、というわけです。
 今でも日本人は「女性が男性に全てを委ねて、幸せに生きる」という過去の日本社会の慣わしを、この曲の歌詞から感じ取ります。あの頃の日本は良かったと思う人は、もう一度あの頃に戻りたいなあ、と思うわけです。しかし、私は、今回の和文英訳の作業において、それとは全く違う斬新な解釈を試みました。以前のブログ記事で『君が代』を扱った時と同様に、今回もこの曲の歌詞についての考え方を変えてみました。すなわち「君を頼りに/私は生きる」や「君に寄り添い/明るく仰ぐ」の『君』とは、従来は伴侶となる男性を示すものと考えられていました。しかし、私の考えでは、『結婚が女性の最大の幸福』という既成観念を打ち破るために、『君』は『伴侶となる男性』に限定しない、ということとなりました。つまり、『私が信頼できる誰か』(Somebody I can believe in)がその『君』に当たるものと考えたわけです。曲全体の内容から言っても、その方が妥当な気がします。当時この曲を作った作詞家さんの意図に逆らうことかもしれませんが、この曲が過去の遺物として古びてしまうよりも、新しい解釈で生まれ変わった方がいいのではないかと私は思うのです。
 この曲の全体のイメージとは何かと申しますと、「従来の日本女性の多くがそうであったように、女性は、引っ込み思案になりがちであった。そのために、多くのことを我慢して、この世で多くの困難に耐えてきた。しかし、これからは、自らの心の殻を破って、新しい人間関係を築いて、前向きに一歩進める。その具体的な相手こそが『君』なのである。」ということなのです。そして、「そういう前向きに生きる姿勢、つまり、新たな生き方を彼女が見い出したことが、すなわち、『ここに幸あり』という言葉で表現された。」と私は想像しました。つまり、私は、この曲が、日本の高度経済成長期といった限られた時期の風潮に当てはめて作られた曲ではなく、時代を越えて普遍的な内容で作られた曲であると考えました。私たちが聴くこの曲が、懐メロで時代遅れの内容だけれども、何となく魅かれるものがあることの正体が、そこにあるのだと考えられます。
 ですから、当時の風潮で歌われることの少なかった二番の歌詞も、それなりに意味のあるものだったわけです。その二番の歌詞は、同名の映画の内容に沿って書かれているそうです。その映画のために、作詞家が付け加えたとも、言われているそうです。しかし、日本の高度経済成長期の右肩上がりのムードや、結婚式披露宴のお祝いムードからすると、その二番の歌詞はふさわしくなかったと言えます。当時、二番の歌詞のような現実が無かったというわけではありません。そうした現実が無かったくらい、あの頃の日本が幸せだったということもありません。でも、当時はそうした現実があっても、誰も見て見ぬふりをして真剣に考えたり問題視したりしなかったのは事実であったようです。ゆえに、この曲は二番の歌詞を抜かして歌うことが多くなりました。
 現代のアーティストがこの曲をカバーする時は、二番の歌詞を歌うことが多いようです。私の場合も、二番の歌詞の翻訳を入れてあります。ちなみに、"unlucky in love"で失恋している状態を表現しました。その直後の"my boy"は、男の相手を軽蔑的な意味を込めて呼ぶ表現にしてみました。つまり、"unlucky in love with my boy"で、「男の恋人にふられてしまった」状態を表現してみました。
 また、その後に続く"deeply hurt like a little bird scratched by a claw"についても、補足説明をしておきましょう。人間の爪(つめ)は、ネイルサロンの『ネイル』(nail)ですが、鳥獣の爪はクロー(claw)になります。昔のプロレスでアイアンクロー(鉄の爪)という、どう見ても反則行為の技がありました。鉄でできた鉤爪(かぎづめ)を手首または手の甲にくくりつけていましたが、そのレスラーを退場させると興行的に面白くないので、黙認されていました。また、ストマッククローという技も、昔のプロレスにはありました。こちらは、相手の胃袋のあたりを手で鷲(わし)づかみにして、相手にダメージを与える技でした。それはどうでもいいことかもしれませんが、「(鳥獣の)爪でひっかかれた(やられた)小鳥のように深く傷ついた」という意味を上のような英文で表現してみました。昔、私の実家では、一つの鳥かごの中に何匹もジュウシマツなどの小鳥たちを入れて飼っていました。すると、小鳥同士で喧嘩をしたり、いじめたりすることがあって、その中の弱い小鳥は、頭や目の周りを爪でひっかかれたり、嘴(くちばし)でつっつかれたりして、傷だらけになっていました。その惨(むご)たらしい感じをイメージして、そのような歌詞にしてみました。
 「ここに幸あり/青い空(白い雲)」というフレーズの英訳についても述べておきましょう。私の翻訳では、「空が青い」とか「雲が白い」とか直接表現していません。なぜかと申しますと、その色自体が内容として重要ではないからです。「青い空」とか「白い雲」という言葉には、「心が晴れ晴れとした」という印象が暗示されています。従って、「空」とか「雲」の意味がわかる程度の英訳にとどめました。その代わりに、「私の希望がわきあがってきた」(My hopes have risen)という文言を事前に付け加えておきました。