かの曲の英語カバーに挑戦!

 今回は、日本人が誰でも知っている『あの曲』を英語に訳して歌ってみようと思います。何という曲名かは、まず伏せておきます。以下に示す英語の訳詞を見て、それを当ててみてください。


    "Where We Were Born"


We used to play hunting on that hillside
We used to play fishing in that streamlet
I wish to go back to those places where we were
though I can't go
I don't forget the place where we were born


How are you getting on, papa, mama?
How are you living on, my dear friends?
Though a hard rain and a high wind
bother my head now and then
I'm sure to remember where we were born


If my dream comes true and I succeed in life,
the time will come when I'm sure of going back
The hillside's green and the clear and clean air
make me think where we were born
The pure water makes me think where we were born
The pure water makes me think where we were born


 ここ数カ月のうちに、私はこの曲をいくつかのテレビ番組で耳にすることがありました。この曲は、日本の子供たちが小学校の音楽の時間に最低一度は歌わされたことのある曲です。ただし、その曲の歌詞は文語調で、私が子供の頃に習った時も、歌詞の意味までは教えてもらってはいませんでした。
 滝廉太郎の『荒城の月』がどういう情景を歌っているのかは、中学校の音楽の授業で習いました。が、その一方、童謡『春よ来い』の「あかいはなおのじょじょはいて」という歌詞フレーズの意味を、私は未だに知りません。このように、本来歌というものは、歌詞の意味内容よりも、意味もわからず覚えた歌詞で歌えることがまず大切なのかもしれません。歌詞の具体的な意味や、その曲全体のイメージといったものは、何度もそれを歌っているうちに、自(おの)ずとわかってくるものなのかもしれません。
 もうお気づきだと思いますが、この英訳の歌詞は、私なりにアレンジした日本の童謡(正確には、文部省唱歌)の『ふるさと』の英語カバーです。オリジナルの日本語歌詞の意味解釈も、私なりにしてみました。
 もちろん、曲のタイトルは単純に英訳すると、"My Hometown"とか"My Native Place"とかになります。サザンオールスターズさんの最近の楽曲を聴いても、"My Hometown"が出てくるので、それらは『ふるさと』という意味の英訳で間違ってはいないと思います。ところが、この曲を作詞した高野辰之さんは、長野県の出身であったせいでしょうか、ふるさとの自然すなわち山河をこの曲の歌詞にしきりに歌いこんでいます。したがって、"My Hometown"という用語はこの曲の訳詞には使いにくいというのが、私の下した結論でした。
 そこで、その代わりに「私たちそれぞれが生まれた場所」という意味で、"where we were born"という文句を考えてみたわけです。正確に表現すれば「私たちが共に生まれ育った場所」などとしたいところですが、"born"(ボーン)という言葉の響きが意外と心地よいので、そのような大まかな表現でよしとしました。
 他にも、疑問な点がいくつかありそうです。私が今回英語の訳詞を作った曲が『ふるさと』だとすると、「兎追いしかの山/小鮒釣りしかの川」のウサギも小さいフナも訳詞に出て来ないではないかと、いぶかる人がいるかもしれません。『かの山』がどうして"mountain"でないのかとか、『かの川』がどうして"river"でないのかと、怪しむ人も当然おられることでしょう。さらに、「山が青い」とはどういうことなのか、疑問に思っている人も多いと思います。
 これらの疑問点に関して、私はこう考えます。まず、「兎追いし(兎を追った)」ですが、「狩り(hunting)のまねごとをして(少年時代に)遊んでいた」と解釈しました。同様に、「小鮒釣りし(小さなフナを釣った)」は、「小さなフナで漁(fishing)のまねごとをして(少年時代に)遊んでいた」という意味にとってみました。
 よって、この曲の歌詞に出てくる「かの山」は、本格的な登山をするような峰の険しい山と言うよりも、村落に隣接した里山みたいな、丘(hill)に近い低さの山(例えば、高尾山くらいの山)を指していると思われます。その山の山腹(hillside)は、木々の緑に覆われていて、ウサギやリスなどの小動物がいて、歩き慣れていれば子供でも入って行ける小さな森のような場所ではないかと想像ができます。
 また、「かの川」については、大きな川(river)を仮に想像すると、小鮒ではなくて、大きなフナがいることになってしまいます。実際に、長野市の近くに流れる千曲川は"river"ですが、最近私が聞いた話では、そこで外国人がフナを捕っていたそうです。そのフナの大きさは、鯉くらい大きかったそうです。事実、フナという魚はそれくらい大きくなるそうです。よって、小さなフナ(小鮒)がいるのは、もっと小さい川の流れということになり、小川(streamlet)だったのではないかと想像できるのです。
 訳詞の1番の中で、「僕らがいたあの場所に戻りたいと、できないけれど願っている。」みたいな意味の英訳を私は書きました。それによって、その前文の歌詞フレーズの"We used to play ...ing"の言い回しの意味を「僕らは〜して、よく遊んだものだ」みたいな感じにしてみました。
 ところで、「山は青き/ふるさと」とはどういうことなのか、ということに触れておきます。山や丘の中腹(斜面)に多くの木々が生えていると、山や丘は緑色に見えます。ところが、その緑色の山や丘から離れるほど、その色が青みがかって、より青く見えます。なぜそのような現象が起こるのかと申しますと、高野辰之さんの出身地の長野県は標高が高いため、空気が澄んでいて、晴れた空が青いように、緑の山や丘が青みがかって、すなわち、青く見えるのです。そこで、私は「緑の山と澄んだ空気で、私はふるさと(生まれた場所)を思います」というふうな意味の英訳を考えました。"think where we were born"で、「ふるさと(生まれた場所)を思う」という意味で表現してみました。
 実は、今回の私の挑戦には、もう一つの狙いがありました。この『ふるさと』という曲は、日本人にしかわからない、ふるさと(もしくは、生まれ故郷)への思いが込められていると長い間、言われてきました。確かに、そのことを否定することはできないと思います。この曲では、ふるさとの自然すなわち山河と、それと関わっていた作者自身の思いが表現されています。ただ、私の思いとしては、それがほんの少しであっても、世界に伝わらないのは、残念な気がしてなりません。そうした日本人の思いは、決してローカルなものではなくて、むしろグローバルな、かつ、人間らしい思いなのです。そのようなことを、私は証明したいと考えて、今回この曲の英語カバーに挑戦したというわけなのです。