『イエスタデイ・ワンスモア』を日本語カバーする!

 この曲は、私の年代の思春期にヒットしていた洋楽のポップソングの一つでした。『イエスタデイ・ワンスモア』とカタカナで書いてしまうくらい、私たちの年代に特によく知られていました。そのことには、それなりの理由がありました。
 ある日、中学2年の英語の授業で、非常勤講師のNGT(仮名)先生が、「ワタシの中学1年の姪(めい)っ子は、英語をきれいに発音できるんだ。」と自慢げに話し出しました。「彼女に、どうしてだか聞いてみたところ、カーペンターズの『イエスタデイ・ワンスモア』が好きで、レコードを買って、聴いたり歌ったりしているうちに、英語をきれいに発音できるようになったのだそうだ。」と、NGT先生は話すのです。それも、きれいな英語の発音でしゃべることのできなかった中学2年の私たち生徒に向かって、そう話すのです。この話を聞いて、私のクラスの大多数は、この曲のレコードを買いに近所のレコード屋さんに行きました。その買ったレコードを同じように聴いて、この曲を歌えるようなれば、英語が上達すると思い込んでいたわけです。
 かくして、このカーペンターズの『イエスタデイ・ワンスモア』という曲は、私たちの年代の誰もが知っているポピュラーな曲になりました。しかしながら、今になって思うと、NGT先生の話自体は、作り話だったように思われます。当時のこのような話は、あちこちで似たような話がありました。いわゆる、今で言うところの、都市伝説の一つだったのです。
 しかし、このような経緯(いきさつ)をもつ曲であったために、とんだ宿命を背負うことにもなったようです。英語をきれいに発音できるようになる教材と見なされていた、その半面、原曲の英語の歌詞を直訳していくと、その途中で訳(わけ)がわからなくなることがしばしば起こりました。そんな時に、「英語をきれいな発音で話せさえすればいいや。」と考えがちになってしまって、どんな意味で歌われているのかには、誰もが目をつぶってしまうことが多かったようです。この曲中に語られている意味内容はしばしば軽視され、いつしか『英語の発音のためだけの練習曲』になってしまいました。英語できれいな発音ができさえすれば、それがどんな内容を伝えているかなどということは、そのうち自(おの)ずとわかってくる、とでも信じられているかのようでした。
 実際、この曲の日本語訳や日本語カバー曲については、ネット上にいくつもありました。そこで、私も、それらにもう一つ追加するようなつもりで、日本語カバー曲の訳詞に挑戦してみようと考えたわけです。英語の原曲の歌詞を読んでみると、それほど難しい英単語は出て来ないのですが、中学生程度では学ばない表現や構文がいくつも登場します。その表現や構文がどう繋(つな)がっているのかを整理してまとめる必要がありました。したがって、この曲全体を自然な日本語に翻訳するのは、中学生程度の学力では(あるいは、高校生程度の学力でも)かなり難しいと思いました。
 私自身は、この曲を日本語に訳すことについて、長いこと躊躇(ためら)いがありました。一文一文の意味は理解できても、それらの文が順番につながって何を表現しているのか、ということまでは理解できなかったからです。第一、"Yesterday once more"というワン・フレーズの意味さえ、わかっていませんでした。'Yesterday'も'once more'も、その意味が簡単にわかる英単語であることは、誰の目にも明らかなことです。けれども、それらをくっつけたワン・フレーズの意味するところが、意外と単純ではありません。
 この曲をある程度、首尾一貫して翻訳していくためには、それなりの技量が必要な気がしました。それを、適当に日本語でごまかして訳していくのは、良くない結果を引き起こすように思われました。いずれ、その歌い手は、原曲の歌詞とその訳詞とを見比べて、その違いに首をかしげながら歌わなければならなくなるに違いありません。
 そこで、私としては、この曲で何を一番伝えたいのかを、言葉を絞って考えてみることにしました。すると、不思議なことに、その日本語カバーの訳詞が、以前は思ってもみなかったくらいスラスラと、私の口元から出てくるようになりました。その成果は、以下のとおりです。



   『鮮やかに蘇って』



ラジオの前、待ち焦がれてた
憧れの歌
声、合わせると
楽しくて


今になると
なつかしくて
気になっていたら
久しぶり
会えた友よ!
愛(いと)しい歌よ!


あの調べが まだ輝いてる
また、さわやかに 歌い出している


あの娘(こ)の涙が浮かんで
泣き出しそうよ
鮮(あざ)やかに
蘇(よみがえ)るわ



ときめきすぎてた日々を
振り返るのは
悲しみばかり
つのるだけ


メロディーに唇(くちびる)合わせ
まめに憶(おぼ)えた
あの歌が
その悲しみ
癒(いや)してくれる


あの調べが まだ輝いてる
また、さわやかに 歌い出している


あれもこれも思い出して
泣いちゃうことも
鮮(あざ)やかに
思い出すわ


(*)
あの調べが まだ輝いてる
また、さわやかに 歌い出している


(* くりかえし)



 "Yesterday Once More"という曲のタイトルは、このまま日本語に直訳すると、どうしても理解できない部分ができてしまいます。普通の"Yesterday"すなわち『昨日』という言葉のニュアンスは、『まだ記憶から消えない、近い過去』のことです。でも、この曲の内容を考えると、ちょっと違うことがわかります。つまり、"It's yesterday once more."という歌詞フレーズは、仮に"It looks (or sounds or seems) like yesterday once more."という表現に言い換えられると思いました。ちょうど、それは、「昔のあの頃が、昨日のことのように思い出される。」という日本語の意味用法に近いと思います。
 そこで、私は「(昨日のことのように)鮮やかに(昔の思い出が)よみがえる」という意味内容の、曲のタイトルにしてみたわけです。
 その次に問題なのは、この曲のサビのフレーズで、シャラララ(Sha-la-la-la)やウォウォウ(Wo-o-wo-o)やシンガリガリン(shing-a-ling-a-ling)をどう日本語に訳したらいいかということでした。もちろんそのままでも良いのですが、日本語で歌うためには、字数制限を考えなくてはなりません。限られた字数で日本語に訳すためには、音をそのまま使うのはもったないと思いました。そこで、これらを一つにひっくるめて、『あの調べ』と私は訳してみました。ここで『調べ』とは、「歌の調子、あるいは、曲調を表す音」という意味です。したがって、この曲のサビのフレーズでは、心によみがえってきた曲のさわやかな調子が表現されているということが理解できると思います。
 ちなみに、ここでは「あーのーしらべがー、まだかがやいーてるー。」「また、さわやかにー、うたいだして、いるー。」という感じで歌うといいと思います。
 " Those were such happy times/ And not so long ago/ How I wondered where they'd gone"という一連のフレーズに関しても、逐語訳では今一つスッキリできません。「それが、そんな幸せな頃でした。/そんなに昔ではないけれど/あの頃はどこへきえてしまったのかしらと、どんなに思ったことでしょう。」みたいに訳せるのですが、日本語として、もう少しスッキリと内容をまとめるべきだと思い、上に述べた訳詞のように表現してみました。
 また、" Lookin' back on how it was/In years gone by/ And the good times that I had/ Makes today seem rather sad"という一連のフレーズは、実は、長い1つの文と考えられます。 "Lookin' back on ..."以下は、その後に来る動詞"Makes ..."にかかる長い主語の文節で、「過ぎ去った年月と、私が楽しく過ごした時期を振り返ることは」という意味になって、「今日(こんにち)をむしろ悲しくさせている。」という内容のフレーズに続きます。
 以上のようになるとすれば、" Those old melodies/Still sound so good to me/ As they(Those old melodiesのこと) melt the years away"という一連のフレーズも、「あの古いメロディーは、私の耳にたいそう心地よく響いて、あの(悲しみの)年月を消し去ってくれるかのようです。」みたいな感じに訳せると思います。したがって、「あの歌が、その悲しみを癒してくれる。」というようなふうに訳詞の内容を縮めることができると思います。
 ところで、この曲には、いたるところで、この曲独特の流れるようなメロディーが使われています。既に述べた"Lookin' back on ..."以下のフレーズを、私が考えた訳詞で歌ってみると、「とっきっめーきー、すぎてたひびーを、ふりかーえーるのーはー」みたいな調子になると思います。日本のアーティストだと、余り使わないような節まわしのように思えます。曲の結びの" Just like before/It's yesterday once more"というフレーズについても、「あーざやかにー、よっみがえるーわー(おっもいだすーわー)」という節まわしをすると、歌いやすいと思います。
 これまでは、英語の歌として、あるいは、英語でのみ歌う作品として、この曲を知っていました。ただし、その歌詞の言葉から受けるイメージよりも、曲の持つ音楽的なムードで、勝手に曲の内容を判断していたようです。今回、日本語に訳して、日本語で歌えるように訳詞を付けてみると、幸いなことに、今までとは違ったこの曲の持つ魅力に気づかされます。少なくとも、それが、今回の私の挑戦に、意味があったと感じられることだったと思います。