"I write the songs"をあえて日本語カバーしてみる

 私は十代か二十代の頃に、この曲のサビの部分を、バリーマニロウさんの歌唱で聴いたことがありました。ただし、その頃は、その曲の内容がわからなかったのは言うまでもなく、それを歌唱していたのが誰だかさえ知りませんでした。その曲のサビの部分のメロディーが親しみやすかったことと、その曲を歌っていた男性の甘美な歌声が余りにも印象的だったことをおぼえています。
 後に誰かから聞いた話によると、それを歌っていた人はソングライター(a song writer)だったそうです。しかも、自らピアノを弾きながら、その曲を歌っていました。私にとって謎だったその人は、多くの人たちの前で自作自演で"I write the songs."(直訳では「私は歌を書く」という意味。)などと歌ってグラミー賞を獲得したそうです。ところが、おっちょこちょいの私は、"I write the songs"を"I like the songs"と聞き間違えていたので、一般とは少しばかり印象がずれていました。
 この"I write the songs"という曲は、『歌の贈り物』という日本語訳のタイトルで広く知られていました。なぜ、そう呼ばれているのかな、と私は疑問に思っていました。でも、もともと英語の歌詞も読んだことがなかったし、そういう雰囲気の歌なんだろうな、と長いこと勝手に思っていました。
 最近、英文のウィキペディアでこの曲のことを調べてみたら、いろいろと複雑な事情があることがわかりました。この曲の作者はバリーマニロウさんとは別人で、ブルース・ジョンストンさんだったそうです。しかも、彼によると、この曲中の『私』は『神』であり、それぞれの歌(songs)は私たち人間みんなの心の創造力から生まれてくるものだとしているそうです。
 そのことをよく知らないで、この曲の歌詞に目を通すと、要らぬ誤解を招く恐れがあるそうです。例えば、「私は音楽だ。」("I am music"という歌詞の直訳)とか「私が、世界中を歌わせる歌を書きます。」("I write the songs that make the whole world sing."という歌詞の直訳)というフレーズも、『神』の立場から言ったのならば、納得がいくと思います。"My home lies deep within you, / And I’ve got my own place in your soul."(「私の居る場所は、あなたの胸中深くにある。」くらいの意味)という英文歌詞の一連のフレーズも、『私』が『神』のイメージだとするとよくわかります。
 しかし一方、それらを『人間』の立場から言うと、途方もない自己陶酔(monumental ego trip)と見なされて、この曲を聴く側に誤解されやすかったと言えます。歌い手が、自らの信条を吐露(とろ)して歌っているだけになってしまい、聴き手の気持ちをなおざりにしてしまう恐れがあったわけです。詳しくは知りませんが、ブルース・ジョンストンさん作のこの曲は、日本のある歌謡祭(a Japanese music festival)に応募したところ、落選してしまったそうです。
 バリーマニロウさんも、初めのうちは、この歌の収録(レコーディング)に気が進まなかったようです。どうしても、この曲全体のイメージを背負って"I write the songs"と歌うと、自己陶酔(ego trip)すなわち「うぬぼれちゃってる」と周りから見られてしまうわけです。
 それ以前には、十代の男性アイドルのディビット・クラシィディさんがこの曲を歌って、イギリスのヒットチャートで11位まで行ったそうです。(あともう少しでトップ10に入れたわけです。)彼はこの曲を歌唱するには若すぎて、何かが足りなかった感じでしたが、そこにはブルース・ジョンストンさん自らの意図が何となく感じられます。彼は、この曲を自己陶酔も含めて、明るく楽しく気軽な感じで歌ってみたかったのだと思います。
 ところで、バリーマニロウさんの場合は、そうした曲の問題点をわかった上で、いろいろと創意工夫をしている点が見られました。それは、自作自演による自己陶酔の問題を逆手にとって、エンターテインメントに上手く結び付けているところにありました。実は、バリーマニロウさんは、彼自身のステージで自作自演や自己陶酔そのものを『演じて』いたのです。
 かくして、この曲はいっきにヒットして、グラミー賞を獲得するまでになったと言えます。メロディーラインそのものは、やはり素晴らしかったと言えます。しかし、残念ながらこの曲は、作り手のブルース・ジョンストンさんが歌っても、ヒットしなかった宿命にあったと言えます。その歌詞を日本語に直訳するとわかりますが、歌い手の独りよがりになって聞こえてしまうところがあって、まことに残念だったと言えます。
 日本では、サーカスさんがこの曲を、ブルース・ジョンストンさんの作詞作曲として、英語で歌われています。また、玉置浩二さん・マリーンさん・久保田利伸さんが、日本の某音楽番組において英語で歌われていました。それを見て私は思ったのですが、字幕で日本語訳は出されてはいたものの、日本語で歌えそうには見えませんでした。まともに日本語で歌おうとすると、ちょっと曲の内容が難しくなるように感じられました。
 そこで、私は考えました。『神』を信じていなくても、或は、難しいことを知らなくても、誰でもわかるような日本語の訳詞にしようと考えたのです。そして、メッセージの押しつけではなくて、聴き手がその曲を楽しめることを第一に考えました。既に記述したように、この曲は、日本のある歌謡祭(a Japanese music festival)に応募してボツにされました。今回の日本語カバーは、そのリベンジ(仕返しの意味ではなくて再挑戦の意味)のつもりで書いてみました。前口上が長くなりましたが、以下にそれを示しましょう。



     『歌にしてみよう』


これまでに ずっと 生きてきた証(あかし)
言葉を歌に 乗せてみたよ
大好きな 歌だから


(*)
 みんなが歌えることを 愛とか特別な出来事も
 ほろりとするようなことも
 歌にしてみよう


覚えて いるはずさ かけがいの無いこと
今風(いまふう)に すれば
蘇(よみがえ)る 時が過ぎても


(* くりかえし)


踊り出す気持ち 見逃さないでよ
お望みならば ロックだって
満ち足りた 新たな気分さ
僕は君へ 君は僕へ
ひろがって 響(ひび)く


みんなが歌えるような 愛とか特別な出来事を
ほろりと来るようなことも
歌にしてみよう


(* くりかえし)


大好きな 歌にしよう!



 『歌の贈り物』というこの曲のタイトルの日本語訳は、この曲全体の意味内容・ムードを包括していて、やっぱり素晴らしいと思います。私の日本語カバーでは、あえてそれを『歌にしてみよう』と、かみ砕いてみました。
 余談ですが、既に述べた"I like the songs."以外にも、私は勘違いしていました。「私は音楽です。」("I am music.")というフレーズは、「私は音楽家です。」("I am a musician.")という意味をキザっぽく比喩で表現したものだと思っていました。すなわち、「音楽にのめり込んで、自らが音楽と一体化しているかのように、音楽が大好きな状態」ではないかと、私は勝手に解釈していました。"I love music."のカッコいい英語表現が、"I am music."だとさえ考えていました。しかしながら、曲中の『私』を、この曲の作者が『神』と見ていたことを、全く知りませんでした。そもそも、"I write the songs"という英語表現も、何となく私の中では引っかかっていました。"the songs"と言ったら、"all the songs"(「全ての歌」)という意味にもとれます。"write"も、現在形で、現在の状態もしくは現在の習慣を表しているともとれます。私の思い過ごしかもしれませんが、いずれも、普通の『私』が主語の英文ではないような気がしました。
 それはさておき、私の日本語カバーでは忠実な日本語訳というよりも、日本語で気軽に楽しく歌えるようにすることに重きを置いています。今回の場合も、そこに重点を置いた例の一つだったと言えます。かなりの意訳だったかもしれません。けれども、今回のように、曲の内容に自己陶酔ととられる可能性があるなどの問題がある場合には、それを打ち消す日本語の言い回しであえて表現することもできると思います。その工夫と努力が、効果をあげられていると良いと思います。その辺は、私の「あえて挑戦」ということにしていただきたいと思います。