あの【目玉マーク】の付いたCDのこと

 あの【目玉マーク】というのは、フジサンケイグループの目玉マークのことです。1992年に発売された音楽企画ものCD『ラブ ストーリーズ』のジャケットには、そのタイトル文字が黄文字に少し黒い影つきで書かれていました。そのタイトル文字のすぐ下に、濃い桃色の背景色に太い黄色の筆使いで、あの【目玉マーク】が描かれていました。そのCDジャケットの右下隅には、小さく白文字で"Virgin JAPAN"と銘打たれていました。
 私が何故そのCDを買ったのか、よく憶えていません。ただ、そのCDが、当時フジテレビで放送されていたトレンディードラマのテーマ曲を10曲集めたものだったことはよく憶えています。それらの曲は、いずれも日本人の作詞作曲でした。ドラマのテーマ曲としては日本語で歌われて、それ単独でもドラマのタイアップ曲として日本語で歌われていたものばかりでした。にもかかわらず、このCDで歌っていたのは外国人アーティストであり、いずれも英語で歌われ、かつ演奏されていました。
 フジテレビのトレンディードラマのテーマ曲がいずれも英語バージョンで歌われていた、このCDアルバムを私が購入したのは何故なのか、どうしても思い出せませんでした。というのは、そのCDに収録されていた曲を主題歌にしていたフジテレビのドラマを一つも見ていなかったからです。チャゲ&飛鳥さんの『SAY YES』にしても、中山美穂さんの『遠い街のどこかで…』にしても、当時の流行歌として一度は私は耳にしていたはずです。ところが、それら10曲がタイアップしていたドラマ本編を、このかた一話も私はテレビで観たことがありませんでした。不思議なことですが、それが事実だったのです。
 リンドバーグという名の日本のアーティスト・グループの『今すぐKissMe』にしても、当時のJポップスの一つとして聴いていた憶えがありました。しかし、このCDの中でのように英語で歌われていたものは、他に聴いたことがありませんでした。その珍しさに魅(ひ)かれて、このCDを当時の私は買ったのかもしれないと、ふと思いました。
 このCDの中味には、明らかに変なところがありました。このCDには、歌詞カードが入っていましたが、英語訳詞しか記載されておらず、オリジナル曲の日本語歌詞や日本語訳はいっさい書かれていませんでした。作詞・作曲した日本人アーティストの名前と、英語訳詞もしくは歌唱した外人アーティストの名前が表記されていました。このCDアルバムの制作や演奏に協力した国内外のスタッフの名前も記載されていました。けれども、それ以上の詳しい説明は、何も記載されていませんでした。
 『ラブ ストーリーズ』というCDのタイトルや収録曲のタイトルや、それをテーマ曲にしていたフジテレビのトレンディードラマのタイトルなどが日本語を主体として書かれていたところを見ると、このCDが日本人向けに制作されて発売されていたことは明らかでした。私もそうでしたが、これを買った日本人は一種独特の聴き方や楽しみ方をしていたと思います。つまり、外国人アーティストがどんな意味の歌詞で曲を歌っていたのかについて、全く注意を払っていなかったと思います。外国人アーティストの歌唱と演奏をBGMのように聞き流していたと思います。歌詞の意味が知りたかったら、日本語で歌われているオリジナルの日本人アーティストの曲をいつでも聴けると思っていたからです。よって、このCDアルバムに入っていた英語の曲からは、あのトレンディードラマの雰囲気(ムード)さえ感じられれば十分だったというわけです。
 実際のところ、このCDに収録された音楽には、テレビのトレンディードラマのテーマ曲らしい派手さと騒々しさが感じられました。良い悪いは別として、いかにもテレビ主題歌のような演奏や歌唱の感じでした。人にしんみりと音楽を聴かせるというよりも、テレビのドラマの中に視聴者を引きこんでゆくパワーのようなものを表現した音楽としてアレンジされていました。
 例えば、このCDの6曲目に『I Will』という曲があります。その前奏は、いきなり「ターン、ターン、タン」というキーボードの和音の繰り返しで始まります。この曲のタイアップしていたのは『ヴァン サン カン・結婚(マリアージュ)』というドラマでした。私は、一度もそのドラマを見たことがありません。しかし、「ターン、ターン、タン」という前奏が、どうしても、そのドラマのタイトルにある「ヴァン サン カン」に聞こえてしまうのです。さすがに、当時のトレンディードラマは凄いなあ、と私は思いました。何となく、その見たことのないトレンディードラマの情景(ラブストーリーのワンシーン)が感じとして頭に浮かんでくるのです。
 別に、私はふざけて言ってるわけではありません。ただ、その曲には、ドラムやエレキギターサクソフォンの音色も伴奏に加わって、贅沢な音楽の作りになっています。エイミースカイ(AMY SKY)さんという人の英語訳詞をイヴォンヌ・ウィリアムズ(YVONNE WILLIAMS)さんという人が歌唱していました。たとえ、英語で何を歌っているのかわからなくても、その曲には、哀愁とか悲哀が聴く人にわかるように表現されていました。言葉がわかると、かえってその印象を邪魔してしまうのではないかと思われるくらい、ドラマチックな音楽で表現されていました。
 そもそも、ヴァージン・ジャパン(Virgin JAPAN)という会社は、ウィキペディアによると、ヴァージン・レコード(Virgin Records)というレーベルに、1987年にフジサンケイグループが資本参加してできた日本の会社(日本法人)だったそうです。また、そのバージン(virgin)の意味は「ビジネスにおいてまだ誰も足を踏み入れていない」ということだそうです。つまり、この『ラブ ストーリーズ【目玉マーク】』というCDは、その会社にあるべくしてできた企画、すなわち、当時まだ誰も足を踏み入れていなかった分野にビジネスのチャンスを求めて制作された企画だったわけです。フジサンケイグループの一つであるポニーキャニオンが親会社であったため、フジテレビで制作されたトレンディードラマのテーマ曲がこのCDの対象になったことは、当然のことと言えましょう。そのトレンディー・ドラマのラブストーリーが、このCDの音楽を聴く人にイメージされることが、このCDの本来の目的であったと言えます。
 表現上の問題を考えてみると、次のようなことが考えられます。不思議なことに、この『I Will』という曲を、上田知華さん本人歌唱のオリジナルを聴いてみると、別の印象を私は受けました。この曲は、上田知華さん自身が作詞・作曲をしておられます。ところが、『ラブ ストーリーズ【目玉マーク】』というCDで聴いていたはずの同名の英語カバー曲と、何となく微妙なところで受ける印象が違うのです。その英語カバー曲は、トレンディードラマのテーマ曲っぽい感じがする一方、オリジナルの上田知華さんの『I Will』は、何となく日本的かつクラシック音楽的な美しい印象を受けます。また、英語と日本語とでは、歌の節回し(メロディー)にも微妙な違いが出てしまいます。そのせいなのかもしれません。勿論どちらの曲も、恋愛の悲哀感(もしくは、はかなさ)を表現していることは同じだと思います。だとすれば、日本語から英語への翻訳の過程で、どうしても伝わらなかった点や、どうしても力が及ばなかった点があって、微妙に変わったり違ってしまったのだと思われます。
 どんなに完全な翻訳がされたとしても、双方の社会や文化などにもともとの違いがある以上、その違いを完全に埋めることはできないと思います。双方にちゃんと伝わるものや理解されるものは、あくまでも表現されるものが共通の価値観とか、共通の意識や認識であることを、私たちは改めて知っておく必要があると思います。