『ムーラン』のReflectionを日本語カバーする

 先日、テレビ朝日ミュージックステーションをたまたま観ていたら、ディズニーのアニメ映画テーマ曲のランキングをやっていました。実写版シンデレラのテーマ曲のMステ特別バージョンを披露するに因(ちな)んでの企画だったようです。第1位は、当然のことながら『アナと雪の女王』の"ありのままで−Let It Go"でした。しかし、残念ながら『ムーラン』の"Reflection"はランキングには入っていませんでした。
 『ムーラン』というディズニーアニメ映画自体は、日本では興行的に成功しなかったので、知名度が上がらず、それは仕方がなかったと言えます。私は、この映画を断片的にしか観ていませんが、何となく昔の東映動画に似ていると思いました。ちょっと面白い話なので紹介したいと思います。
 7歳か5歳の頃の私は『東映アワー』という(おそらく、そういう名前の)テレビ番組を毎週一人で観ていました。その番組では、1960年代当時の東映動画で制作されていた短編アニメーションの本篇や、劇場用の長編アニメーションの予告などが、紹介されていました。おそらくその番組で予告篇を観て、『わんわん忠臣蔵』や『狼少年ケン』を見に、東映系列の映画館へ大人に連れて行ってもらっていたのでした。
 「ピアノ売ってちょうだ〜い。」で現在でも有名な財津一郎さんが当時『ぴゅんぴゅん丸のうた』を歌っていました。私は実家の白黒テレビ(真空管が使われていました。)で、『ぴゅんぴゅん丸』や『狼少年ケン』などのアニメ番組を観ていました。
 ところで、当時のディズニーアニメとしては『101匹わんちゃん』が有名でした。英語の原題が"One Hundred and One Dalmatians"と言われているように、白地に黒ぶちの沢山のダルメシアン犬がスクリーン上で滑らかに動くのを観て、びっくりした日本人も当時は多かったと思います。東映動画の『わんわん忠臣蔵』も、そんなディズニーアニメから何らかの影響を受けて作られたのかもしれません。
 ところが、そんなディズニーが、1998年に公開したのが『ムーラン』でした。このアニメ映画で、中国人すなわち東洋人を主人公にしたところに、ディズニーアニメの国際戦略が見えかくれしています。私などは、幼い頃に東映動画を観ていた影響で、『白蛇伝』とか『西遊記』などのアニメのタッチを思い出してしまいます。それに、ディズニーのアニメは洋風でないといけない、などといった先入観が私にはありませんでした。昔の日本のアニメのような、絵や動きが、このディズニー映画で再現されているように見えて、懐かしく感じられました。もっとも、今の日本のアニメーションを見慣れている若い人たちからすると、それでは物足りなかったかもしれません。
 従って、この『ムーラン』というディズニーアニメ映画は、日本ではそれほど人気が出ず、その劇中歌の"Reflection"についても、知らない人の方が多いようです。この曲のフル・バージョンは、クリスティーナ・アギレラさんが英語で歌唱されています。また、BoAさんやリナ・パークさんがハングル(韓国語)の歌詞で歌唱されています。
 実は、アニメ映画『ムーラン』の挿入歌としては、映画の日本公開に合わせて作られたらしい日本語バージョンがありました。その日本語訳の歌詞中には、「ありのままの自分」という言葉も使われていました。この映画の日本上映は1998年でしたが、それでも明らかにディズニーの日本に対する国際戦略じゃないか、と私は思いました。
 "if I were truly to be myself"の日本語訳を「ありのままの自分を本当に出したら」とすることは、さすがに私にはできませんでした。「ありのままの」という言葉を使うことによって、ディズニーの国際戦略の片棒を担いでしまうと思ったからです。"to be myself"で「本性を出す」とか「地で行く」くらいの意味にしておきました。
 いろいろと話が飛んでしまいましたが、私は、次のようにこの曲の日本語カバーをしてみました。



     私らしく映(は)えること


期待 皆(みな)からされてるくせに
こたえてない
たぶん 向いてないわ
けれど 地で行ったならば、皆(みな)を
困らせるだけ


私のことを
見つめている
向いて 見ているのは、なぜ?
見せたい姿 我慢してた
私は こんな もんじゃないわ
本当は こんな もんじゃないわ



 タイトルになっている"reflection"とは何かと申しますと、ちょっと説明が必要です。光や音や熱などの『反射』を表す科学用語として使われます。また、『反映』や『影響』などの意味も持ちます。ここでは、鏡や水面などに映(うつ)る像、すなわち、自らの姿を映す像(もしくは影)を表しています。つまり、その像(もしくは影)が、主人公の『私』に面と向かっているというイメージなのです。主人公の『私』が、その像(もしくは影)に目を向ければ向けるほど、逆にそれは『私』を真っ直ぐに見つめ返してくる("staring straight back at me"と英語で表現されている)というわけです。
 私が日本語カバーのタイトルに使った『映(は)える』という言葉には、「照りかがやく」とか「うつりあって、あざやかに見える」とか「立派に見える」という意味があります。例えば「もみじが夕日に映える」というふうに使われます。
 従って、かなりの意訳かもしれませんが、"my reflection shows who I am"は、「私が私らしく見える」とか「私らしく光って見える」とか「私らしく輝いて映っている」みたいに日本語で表現できると思います。そうなると、"When will my reflection shows who I am inside ?"という歌詞フレーズも、「いつ私が私らしく光って見えるようになるか(と、心の内で思っている)。」みたいな内容であることが理解できると思います。これを平たく言うと、「本当の私はこんなもんじゃないわよ。」ということだと私は思いました。よって、そういう内容の日本語歌詞にしてみたわけです。
 この"Reflection"という曲は、あのディズニー・オン・アイス(Disney On Ice)において、人気のある演目の一つだと、私は思っています。私の勝手な想像ですが、プロでもアマでもいいですから、誰か東洋人のアスリートが、ディズニーのスケーターと同じように、「本当は、こんな〜もんじゃな〜いわ〜」とドーナツ・スピンを決めたら、カッコいいのになあと思ったりしています。日本の女子フィギュア・スケーターの誰かが、アイスショーか何かでそれをやってくれたらいいのになあ、と妄想したりしています。