「ウチのカミさんがね…」について

 このセリフは、あの『刑事コロンボ』という海外ドラマで主人公のコロンボ警部がよく言っていたセリフでした。私が中学生の頃に、その最初のドラマ・シリーズがNHKテレビで放映されていました。最初私は、このドラマの放映を知りませんでした。同級生の何人かが、私に「『刑事コロンボ』って面白いんだぞ。お前も観ろよ。」と教えてくれました。
 ドラマの最初に、殺人犯が出てきて、完全犯罪を目論(もくろ)みます。その犯人の目の前にコロンボ警部が現れます。ただし、いわゆる『刑事の勘』だけに頼るのではなく、推理力と論理力を駆使して犯人を追いつめていきます。当時、日本の刑事ドラマの派手な立ち回りと正義感を映画やテレビで見慣れていた、私や私の同級生たちは、コロンボ警部の地味な活躍に、毎週テレビの前で釘づけになっていました。
 そんなある日、新聞を読むと、あのコロンボ警部の「ウチのカミさんがね…」というセリフは、日本語吹き替えの翻訳を担当した額田やえ子さんの名訳だということが、英語のセリフとの比較表つきで紹介されていました。少年だった私は、翻訳に興味はありませんでしたが、その新聞記事を読んで面白いなあ、と思いました。
 吹き替え声優の小池朝雄さんは、そのしゃべり方が親しみやすく、はまり役だと思いました。何と言っても、コロンボ警部は、ボサボサの髪型で、ヨレヨレのコートを着て、ボロボロの車を乗り回して、それでいて、殺人犯を自首させる(あるいは、自白させる)敏腕の警察官なのでした。犯人が完全犯罪を成立させようとしても、論理的な理屈と心理的な手法で犯人を屈服させてしまう、その見事な手腕に毎回感動させられました。
 ところで、最近私が見つけたネット上の質問箱では、次のような意見がありました。「ウチのカミさんがね…」という日本語の意味合いは、元のセリフの"My wife says ..."には無いとのことです。外国人にはわからない、日本語オリジナルの言い回しだそうです。また、コロンボ警部のカミさんは、本当は存在しなかったという意見すらありました。こうした意見は、そこまで考えてドラマを観ていなかった私にとっては、勉強になり参考になりました。
 私は、コロンボ警部が殺人課の警察官であったため、捕まった犯人から本当の家族に危害が及ばないように、あえてドラマの中で伏せているものと思っていました。コロンボ警部の本当の家族については、彼自身が言及する以外は、なるべく画面に出ないように配慮されている、という設定だと考えていました。
 「ウチのカミさんがね…」とコロンボ警部がいくら言っても、犯人にとっては、それが誰なのか実際には特定できないようになっていた、というわけです。つまり、コロンボ警部にカミさんが実際にいたかどうかは、ドラマの中で言及されるほどの重要性はなかった、と言えます。テレビの画面に彼のカミさんが人物として出てきませんが、彼が殺人課の警察官である限り、彼のカミさんが実際にいたかいなかったかは、どうでもよかったのです。
 そうしたことも踏まえて、「ウチのカミさんがね…」という日本語の翻訳の問題を考えてみましょう。確かに、言葉だけで考えてみれば、元のセリフの"My wife says ..."には無い意味合いが、日本語への翻訳の過程で付加されているように見えます。しかし、ドラマのフィクションの中で考えてみると、髪型がボサボサで、ヨレヨレのコートを着て、ボロボロの車でやって来たヘンな中年男と直接会って、何ら警戒しない人間がいるでしょうか。いくら自由の国アメリカ合衆国といっても、身構えてしまう人間の方が多いと思います。しかも、そのヘンな中年男がロサンゼルス市警の殺人課の警察官だと知ったならば、犯人はもとより一般人だって、緊張して構えてしまうのが普通です。
 そんなヘンなオジサンが「ウチのカミさんがね…」と言いだすと、「こんな人にでも、家族がいて、家族に頼りにされているんだ。」と考えて一瞬ホッとするはずです。実際、第三者かつテレビの視聴者である私たちがこのシーンを観ると、「コロンボ警部って、本当に警察官なの?」と思ってしまいます。つまり、私たち日本人に伝わることは、ドラマを観ての通りなのです。
 ここで注目したいことは、"My wife says ..."という元のセリフであっても、同じ効果があるということです。ヘンな風ぼうの中年男でしかもロサンゼルス市警の殺人課の警察官が、こちらに職務質問するかと思いきや、"My wife says ..."と言いだしたら、誰でも"What !"すなわち「あれ?」と思うことでしょう。
 ついでに言わせてもらえば、犯人との会話を終えて、背を向けて去ろうとした時に、コロンボ警部が、「あ、すみません、最後に一つだけよいですか?」などと言うシーンがあったと思います。元のセリフでは、彼が背中越しに"Excuse me."とか"One more thing."とか言うシーンだそうです。これなども、私たち日本人が吹き替えで観ている通りだと思います。
 真犯人にしてみれば、しつこい警察官との会話につきあわされて、プレッシャーを与えられます。やっと、その警察官が帰ろうとしてくれたとみて、気が緩みます。ところが、コロンボ警部にその一言を言われて、まだ会話が終わっていないこと、すなわち、まだ解放されていないことを知ると、わずらわしいと思って、ムッとするわけです。「まだ疑問や質問があるのかよ。勘弁してくれよ。」と犯人は内心イライラして思うのです。コロンボ警部の心理作戦に犯人が苦しめられる様子を見て、視聴者の私たちは痛快に思うわけです。
 従って、「ウチのカミさんがね…」というコロンボ警部の日本語吹き替え翻訳は、日本語オリジナルの意味を持つ創作だと、単純には言えないと思います。単なる言葉上の翻訳だけにはとどまらないと思います。テレビや映画などの視聴覚を介するものは言葉だけでなく、人間の仕草や状況(シチュエーション)、強いて言えば、周りの環境をも含めて、翻訳の対象になりうるわけです。よって、今の私の考えとしては、こうなります。「ウチのカミさんがね…」は、元のセリフから独立した『名訳』と言うよりも、ドラマの内容を集約して日本人に理解しやすくした『適訳』と言った方がいいと思います。