『線路はつづくよどこまでも』の原曲を日本語カバーする

 現代日本では、童謡の一つとなっている『線路はつづくよどこまでも』という歌は、原曲がアメリカ民謡として知られています。"I've Been Working On The Railroad"という曲が、中学校の音楽の教科書などに載っていたのを見たことある人がいるかもしれません。(実は、私もその一人でした。)
 米国では、この曲が、鉄道施設労働者(線路工夫)たちに歌われていた労働歌として伝えられてきたそうです。毎日、過酷な肉体労働を強いられていた男たちの間で歌われていたようです。
 従って、その原曲は、キッズ向け(すなわち子供向け)ではありませんでした。卑猥なことを想像させる表現が含まれていて、現代ではセクハラだと批判されることでしょう。しかし、危険でつらい肉体労働を彼らが乗り切るためには、この歌をみんなで歌って心を一つにする必要があったとも言えます。まさに綺麗ごとだけでは済まされなかった、当時の事情があったと推測されます。勿論、現代では、米国でもその原曲の最後のパートは、ほとんど歌われないようです。そこまでのメロディーが一緒なので、後は聴く人の想像にお任せしますと、そのパートの直前で演奏を打ち切ってしまうというわけです。
 日本では、1955年に津川主一さんが『線路の仕事』として、1962年ごろには佐木敏さんが『線路はつづくよどこまでも』として日本語カバー(日本語で歌える英語翻訳)されたことはよく知られています。(ちなみに、現在ネット上では、この曲の歌詞の日本語翻訳や日本語カバーが他にもいくつかあります。)
 メロディー(旋律)が童謡やフォークダンスっぽいので、もともと童謡やフォークダンスの曲であったかのように思われがちですが、上に述べたようにこの曲の原曲は、『ソーラン節』や『斎太郎節』などの日本の民謡の同じように労働歌でした。子供たちのものと言うよりも、労働者(線路工夫)たちのものだったのです。
 その意味では、津川主一さんの『線路の仕事』は、ウィキペディアにも記述されている通り、原曲の内容に近い翻訳だったと言えます。しかし、ちょっと歌いにくいような気が私にはしました。もしも、私がその労働者の一人だったら、元気が出ないなという気がしました。従って、津川主一さんの翻訳の意図は、別にあったと言えます。つまり、そうした労働者たちの暗い歴史があったことを風化させたくないという思いが、この曲の歌詞の翻訳に込められていた、と見ることができます。
 その線路工夫たちの辛くて苦しい時代が、時が過ぎて、忘れられていきました。時代が変わって、線路に対する意味合いも、その暗い歴史から明るい希望に変わっていきました。佐木敏さんの『線路はつづくよどこまでも』は、その新しいイメージにぴったりの曲になったわけです。米国における現代のこの曲の扱いについても、同じような傾向を示しています。すなわち、子供向けの曲として、上にも書きましたように、際どい表現の歌詞は省かれたり、早口で歌われて詳しく意味を詮索されないようにしている傾向にあるようです。
 そこで、私は、原曲の労働者たちの気持ちを私なりの表現で生かしつつ、日本語カバー曲として作ってみることにしました。原曲の歌詞は、ABCC’C”のメロディー構成になっているため、次のような日本語歌詞になりました。CとC’とC”は、ほぼ同じようなメロディーなため、そのように記述しました。


  『労働はつらいよ』


(A)
働かされたよ 今日もまた
働かされようぜ 疲れ果てても
聞こえてくるだろう 朝早く
怒鳴られ 汽笛が叫んでる


(B)
つらくはねえ つらくはねえ
その叫びを 聞けば
つらくはねえ つらくはねえ
叫びを聞けば


(C)
ダイナと居るのは誰だ?
台所に居る奴は?
ダイナに聴かせている
古いバンジョーで(うたう)


(C’)
フィーファイ フィードゥィ アイーオー
フィーファイ フィードゥィ アイーオーオーオー
フィーファイ フィードゥィ アイーオー
かき鳴らしてる


(C”)
ダイナが告られてるぞ
全ては お見透し
ダイナに聴かせていた
バンジョーが聞こえねぇ


 まず、タイトルに関して一言つけ加えておきます。映画『男はつらいよ』というタイトルを模して、こういう言い回しにしてみました。そう言えば、フーテンの寅さんは、実家の近所の印刷屋の従業員たちを「労働者諸君!」としばしば呼んでいました。彼自身はテキ屋で自由な身分だったので、街中の小さな印刷屋で働かされている従業員たちは、毎日の仕事に拘束されて自由がない中で頑張っているように見えたのでしょう。この曲は、直接『男はつらいよ』という映画とは関係がありませんが、自由のきかない労働者のイメージを表現したかったのでそういうタイトルにしてみました。
 さて、"I've been working on the railroad"の訳について考えてみましょう。従来のこの曲の日本語訳では、鉄道施設(railroad)をキーワードにしてきたと言えます。この曲にとって、『鉄道』や『線路』という言葉は不可欠である、と考えられてきたわけです。線路工夫の労働歌であった、という歴史的な情報によると、そのことは当然だったと言えます。
 しかし、私は、この翻訳を(無理を承知で)日本語でしっかりと理屈で考えてみたいと思います。よく、日本語では、「他人の敷いた線路の上を歩く(踏襲する)」というような言い方をします。その場合の『線路』という言葉には、「自主性・自発性のない、人に決められて拘束されている物事」という意味合いがあります。従って、"work on the railroad"を日本語的な理屈で解釈するならば、「他人の命令に拘束されて支配されて仕事をする」ようなニュアンスになるわけです。たまたま同じようなイメージになっているのかもしれませんが、「自由を束縛されて働かされている」ような理屈とイメージになるわけです。
 もう一つの注意点は、"I've been working ..."という現在完了進行形の英文表現にあります。以前私は、カーペンターズの『プリーズ・ミスター・ポストマン』という曲のことを書きました。"I've been standing here waiting Mister Postman"(郵便屋さん。私はず〜っとここに立って、(あなたが来るのを)待っていたんですよ。)という歌詞フレーズについて紹介しました。この現在完了進行形には、「(あなたが来るのを)ここに立って、ず〜っと待っていたんですよ。」と感情が込められているということを説明しました。「これまで、ずっと〜していた」とか「ずっと〜してきた」という現在完了進行形の表現の意味は、みんな日本人はわかっていると思います。学校で教わった通りです。しかし、それを日本語に翻訳して、日本語で適格に表現できるかと言うと、誰も日本人は苦手なようです。(そういう私も、その日本人の一人なので同じかもしれませんが…。)
 この曲の英文歌詞を考えてみると、主語は労働者なので、「現在まで働いてきた」というよりも、「働かされてきた」の方が当たっていると思います。また、"I've been working ..."の2度目の繰り返しから、「働かされ続けて、イヤになった」というよりも、「これまで働かされ続けてきたけれども、それが経験になって、『何てことなかったじゃないか。』と、まだやれる自信になってきている」というニュアンスがかすかに読み取れると思います。"Just to pass the time away"の訳を考えてみれば、「時が過ぎ去るだけのこと(だから、つらくないさ)」なのです。過酷な労働の途中で、「つらい。」とか「イヤだ。」とか思ったりしないぜ、という意味だと思います。
 ここで"the captain"は、もちろん「現場の監督、親方」で、朝早くから労働者たちを怒鳴り散らしている、怖いオヤジを想像していただきたいと思います。また、"blow your horn"は、「警笛を鳴らしてくれ」と普通は訳しますが、少し意訳して面白みを出してみました。(B)のパートは、表面上では、単純な繰り返しですが、そのウラの意味をつかんで意訳しています。ちなみに、「つらくはねえ。つらくはねえ。(その叫びを聞けば)勇気がわくぜ。」くらいにまで意訳をしたかったところでした。
 (C’)のパートで、'fiddle'(フィードゥ)というのは、バイオリンのことですが、くだけてお道化た感じがあります。その言葉の前後にある文句と合わせて、くだけてお道化たバイオリンなどの楽器の演奏しているさまを想像するといいと思います。ここではバンジョーが演奏楽器として出てきますが、オノマトペ(擬態・擬音語)の一種と考えていいと思います。従って、このパートの日本語訳はなるべく、英語の歌い方をカタカナで真似るふうにしてみました。
 (C”)のパートは、現在では英語でも余り歌われていませんが、当時の労働者たちにとっては、大切な部分だったと考えられるので、訳しました。"make love to her"は「(彼女に)メイク・ラブする」という日本語で聞いても、卑猥な意味にもとれます。しかし、英語の辞書を引くと「告白する」とか「口説く」という意味でも使うことがわかります。やはり、ここは聴く人それぞれの想像に任せて、原曲の歌詞を省かないことが正解ではないかと、私は思いました。
 当時の労働者たちが、この歌をみんなで歌って、頑張って仕事をしていた様子が、私には想像できました。今では子供たちの歌として、童謡化してしまったこの曲を、労働者たちによる、労働者たちのための、労働者たちの歌として、当時の労働者たちの心に、そして、彼らの手に取り戻させてやりたいと思いました。それが、今回のこの曲を日本語カバーとした、私の意図であったわけです。