私の本業 命を救った『あの感覚』

 わたくし事で申しわけありませんが、昨日は一日中、借りている田んぼにいて、トラクターで土起こしをしたり、肥料を撒いていました。夕方近くになって天気が悪くなって、南からの風なのに冷たい雨に降られました。それでも、トラクターで土起こしをやめませんでした。おかげで、夜になって足が攣(つ)ってしまいました。
 今日は今日で、昨日借りたトラクターの泥を落とすために、初めてトラクターの下に潜り込みました。背中を地べたに付けて、仰向けの姿勢でロータリーのメカに付着した泥を鎌を使ってそぎ落としていました。最初は、しゃがんだ低い姿勢から、鎌の背でそぎ落としていたのですが、首が痛くなりました。そこで、仰向けになってトラクターの下に滑り込んでみたら、楽にその作業ができました。その代わり、下からの作業であったために、泥と埃(ほこり)を全身に被ってしまいました。おかげで、夜になると、腕が攣ってしまいました。
 このように、今の私にはお世辞にも体力があると言えないと思います。しかし、本業としているこの仕事が人手不足かつ人材不足であることは、私には10年も前からわかっていることでした。
 人数さえいれば、大きな鉄パイプのハウスに登って一人で大きなビニール製の屋根シートをかける必要など無いのです。パイプハウスの両端でそれぞれ二人が脚立に乗って、ビニール製の屋根シートを引っ張り合えば、簡単にそれを貼れます。それを私の場合は、最低一人の労働力(つまり私)を確保します。そして、高い場所から転落した場合は、私の自己責任で対処するという体制にしています。危険な作業を、なるべく人任せにしたくないからです。他人にやらせて、もしものこと(つまり、大怪我や死亡事故)があったら大変です。その損害賠償は、一財産をつぶしてしまうことがあるということを私は知っています。
 私自身が、そういう危険な作業をしてお金を稼げばいいだろう、という意見があるかもしれません。しかし、私としては、そのような危険な仕事は、一年に一回で十分だと考えています。何度もやればやるほど、事故を起こすまいという緊張感が薄れてしまうからです。すなわち、事故を起こす確率を高くしてしまうと、仕事として成り立たないと考えられます。私をも含めて、誰にも危険な目にあわせたくないというのが、私の本心なのです。
 そんなことを言いつつも、危険と隣り合わせになってしまうことが、この本業の特徴と言えます。そんな場合、安全第一と考えて、なるべく無理をしないことです。自然は、厳しい要求を突き付けてきますが、いかなる場合であっても人間の命を保障してはくれません。日照りや空気乾燥、暴風や豪雨・豪雪や霜・凍結など、どれをとっても災難だらけです。そうした悪条件の中で、自暴自棄にならずに冷静に対処していかないと、仕事を続けていくことさえ不可能になってしまいます。
 連棟ハウスが設計上、豪雪に弱いことはわかっていました。そこで、去年のような豪雪には単棟ハウスで対処することになりました。ところが、そのハウスの上に一人の人間が登ってみるとわかりますが、鉄パイプの強度の限界によって、連棟ハウスよりも揺れます。人間の重みでたわんだり、ポキリと折れそうなのです。しかも、その鉄パイプに古材(ふるざい)を使っていると、その危険性が高くなっていることがわかります。私が登ってみると、補強に使われている鉄パイプがギシギシと音を立てています。あと一、二年の寿命しかそのパイプハウスの骨組みには無いようです。
 それでも、私自身が転落事故を起こすよりはましです。というのは、先日私は、一人で仕事のために、古材でできたパイプハウスに登っていました。体調が悪かったわけでもなく、精神的に疲れていたわけでもなかったのですが、つい右足を鉄パイプの無い所へ踏み込んでしまいました。当然、私の体は宙に浮いて、5、6メートル上空から地面に叩き付けられるはずでした。ところが、次の瞬間、私の両腕と両脇は、2本の鉄パイプにつかまっていました。そして、体全体から両足を宙にぶらぶらさせていました。私は、手前に見える、横に伸びている補強の鉄パイプに片足をかけて、足かけ上がりの要領で上がって、パイプハウスの上で体を安定させることができました。つまり、下に落っこちないで済んだわけです。
 私は、別に自慢話をしたいわけではありません。事故を起こして大怪我をしたり、打ちどころが悪くて命を失くしたりしなかったことをラッキーと思いつつも、あの時に何があったのかを検証しようと思ったのです。
 以前私は、武道の学び方というブログ記事で、柔道部の夏季合宿で「あの時、何かがあったから…」云々のことを書きました。きっと私は、高い所で足を踏み外した時、何も考えていなかったと思います。そして、両腕・両脇でつかまって、二つの鉄パイプの間に挟まった感じでいた時に、ある種の感覚を思い出したのです。そう、それは16歳の時に体育の授業でやっていた、平行棒・吊り輪あん馬・高鉄棒などの器械体操で習得した感覚でした。それで、平行棒の時のような捕まり方から、片足を横の鉄パイプに掛けて、足かけ上がりをして体を空中で安定させることが出来たのです。
 勿論、人間の体力の伸び率のピーク時と言われる16歳の頃のような体力は、54歳の今の私には残っていません。しかし、足かけ上がりをするくらいの動作には、もともと若い力は必要なかったのです。大切だったのは、16歳の時に体で覚えた(つまり、私が若い頃に体験した)『ある種の感覚』だったのです。その時の私は、ギシギシと揺れている鉄パイプが危険であることを忘れていました。また、高い所から落ちて大怪我をするということも忘れていました。そうした心配や不安は余計なことであり、「宙ぶらりんでも体の位置が安定していれば、事故にはならない。」と考えていて、そこに妙な確信がありました。
 ここで、私の過去を少しだけ振り返ってみましょう。高校二年の一学期、16歳の私は、別名『足立体育学校』と呼ばれていた東京都立足立高等学校の体育の授業で、一連の器械体操を学んで練習して、実技テストを受けました。種目は、跳び箱・床運動・平行棒・吊り輪あん馬・高鉄棒・トランポリン・(体育館の天井までの)縄のぼりでした。
 跳び箱なんかも、小学生のようにただ両手を跳び箱について跳び越えるのではありませんでした。踏み台を両足で強く蹴って、跳び箱の上で両腕をまっすぐ伸ばして前方回転をしなければなりませんでした。これはかなり危険な課題でした。きれいに着地しないと、勢い余って前につんのめってしまい、体育館の壁に激突してしまう危険がありました。従って、実技テストの一発勝負が本番で、通常の練習では、跳び箱の向こうに必ず左右二人の同級生が補助で待機していました。(勿論、私も含め、当時の16歳男子のほとんどは、この課題を実技テストでクリア出来ていました。)
 床運動なんかも、左右側転と、倒立(逆立ち)停止後に前転して、その勢いで立ち上がって、フィニッシュのポーズを決めればOKでした。また、高鉄棒は、蹴あがりして、前方回転と後方回転をして、反りとびをして、鉄棒前方に着地しフィニシュのポーズを決めればOKでした。
 お気付きと思いますが、これらの種目は五輪(オリンピック)の体操競技を全て含んでいました。しかしながら、いい加減な気持ちでやると大怪我をするか、もしくは命を失う危険な競技でした。よって、高二男子はこの体育の授業中は、格段に気合を入れさせられて、怪我をしないように指導の先生や講師から配慮されていました。
 これまでの私は、鉄棒が苦手でした。小学生・中学生の義務教育の頃に、頭から前方に回ることさえも怖くてできませんでした。当然、逆上がりも蹴あがりもできませんでした。高校二年になって、そのことが悔しくて仕方がありませんでした。
 そこで、高二の時に放課後、家に帰ってから近くの児童公園の低鉄棒で、逆上がりと前方回転、蹴あがりから、勢いつけて後方回転を何度も一人で練習していました。その課外練習の効果もあって、実技テストを楽にクリアできました。自慢になってしまいますが、16歳の私は、本番の高鉄棒で無難な演技をすることができました。
 小さい頃から、家の中で遊ぶことが多く、運動神経が悪かった私にとって、この苦手な科目の克服は、大きな意味を持っていました。私は、この世の中のスポーツ選手のように優れた運動神経があるのでは決してありませんでした。けれども、努力さえすれば、人並みのレベルまでもっていけるということを、理屈だけではなくて、体験的かつ感覚的に身につけることができました。よって、例え記憶に残っていなくても、理屈を忘れてしまっても、いざという時に、『その感覚』が蘇ってくるというわけです。
 私個人の価値観としては、そのことは一流大学に学歴トップで合格するよりもうれしいことでした。なぜならば、どんなに勉強が出来たとしても、病弱だったら長くは生きていけないし、道なかばで倒れてしまうことが人間には多いような気が、私にはするからです。少々勉強が出来なくても、多少病気があっても、体がそこそこ丈夫で、ごく普通に生きることができれば、人間として幸せなのではないかと思えます。
 私の個人的な意見で申しわけありませんが、スポーツや農作業などが、直接、国民の健康増進につながるかどうかは、さらなる検証と研究が必要な気がします。私自身、若い頃にあった体力が今でも残っているとは思えないからです。しかし、若い頃に獲得した『ある種の感覚』は、私の体のどこかに残っているような気がします。