テレビでリアルロボット・バトルを見て

 今夜、日テレで『リアルロボット・バトル』という番組を見ました。私が見たのは番組の途中からでした。前もって番組表を見ていた時は、ほとんど期待していませんでした。番組の途中から見ても、ごっつい二体のロボットが向き合っている場面からだったので、チャンネルを替えようかな、と一瞬、思ったほどでした。ところが、次の瞬間にロボットが動き出して、両者がぶつかった時、「何だコレは!」と思ってしまいました。フジテレビの『ほこ×たて』という番組のロボット対戦版かな、とも思ったのですが、それともちょっと違う。テリー伊藤さんが「テレビの歴史が変わる。」とおっしゃられていましたが、視聴者をテレビに釘づけにする、新しいテレビ番組のスタイルだったのかもしれません。
 実は、機械という物は、人間が思ってもみないところで壊れたり、故障したりする物なのです。厳しい環境条件の中で利用されれば、されるほど、そのリスクは大きくなります。例えば、農業の大規模経営には、誰がイメージしても、大型のトラクターとかコンバインとかの巨大農業機械が不可欠です。けれども、それらの機械がいつも無難で、恒常的に活躍できるかというと、そうとも言えません。人手とお金と時間のかかる、定期的なメンテナンスの点検やオーバーホールが必要です。それでも、過酷な自然条件のために、時おり故障して大掛かりな修理をしなければならなかったり、最悪クラッシュとなれば再起不能となってしまい、大損害となってしまいます。
 それでも、農業機械というものは、その用途に合わせて、普通の機械よりも丈夫に出来ています。仮に、大型トラクターと普通自動車が正面衝突をしたならば、普通自動車の側がクラッシュすることでしょう。大型トラクターという機械は、『車』というよりも『鉄の固まり』として出来ているからです。もちろん、そのかわり、大型トラクターが転倒して、人間がその下敷きになったら命がありません。
 そうしたいつ壊れるかわからない、扱いにくい機械という物を、リアルな大きさの人型ロボットにして、そのロボット同士を戦わせる。そのようなことが、対戦者や視聴者の心を引きつけて、熱くするとは、思ってもみませんでした。一応、今回トーナメントを勝ち抜いたロボットは日本一のロボットとなったわけです。もちろん、それはこの一年間をそのために準備してきた対戦者たち各人の大きな目標であったと思います。けれども、その当事者ではない視聴者の多くにとっては、その番組の内容に対して別の違った印象を抱いたと思います。
 アニメや特撮ドラマといったフィクションの中でのものだとしか今までイメージできなかったものを、リアルなロボットとして実際に対戦させてみる、ということがそんなにも内容があり面白いものだったとは、誰も最初は想像しなかったと思います。誰だって最初は、内容のない空虚な番組になってしまうだろうと考えるはずです。しかし、実際はその逆であったわけです。どのロボットも無傷でいられなかったことが、特に胸を打ちました。人間の代わりに戦ってくれたのだな、とさえ思いました。
 ただし、私は、フィクションを否定しているのではありません。現在の私が、それを、意味のないものとして否定しているわけではありません。フィクションには、フィクションとしての良さがあるのです。ニュース報道やドキュメンタリーなどのノンフィクションでは表現しにくい内容でも、この表現形式では上手く出来ると思います。
 今夜はまた、TBSテレビで『クロコーチ』というドラマの最終回を観ていました。これまで一、二回このドラマを観るのを忘れてしまいましたが、三億円事件にからんだフィクションとしては、とても面白かったと思います。秘密とか組織とか正義とか秩序とかの問題を人間が関わっているものとして、つまり、人間臭く描けているのは、やっぱりフィクションならではと言えます。そうした問題は、やっぱり私たち一人一人が積極的かつ自発的に考えて、良くも悪くもそれなりの『正解』(黒河内さん風に言えば、「せいか〜い」となるようですが)を出していかなければいけない、というテーマもわかりやすかったと思います。そのようなドラマのフィクションは、ドラマの最後まで、表現がわかりやすかったと思います。