私のプロフィール 私が投票所に行ったきっかけ

 若い頃の私は、中小企業で働いていたので労働組合に入ったこともなく、デモ行進というものに参加したこともありません。残念ながら、組合集会とか、政治活動というものにも参加したこともありません。でも、選挙があると、投票に行きます。住む場所が変わっても、その習慣は変わっていません。
 私の年代では、学校で選挙やその投票の仕方を一切教わっていませんでした。社会科の授業では、その政治的中立性を守るため、そのようなことは生徒に一切教えない方針になっていました。まさに、大人未満はお断りの世界とされていました。
 ストライキとかデモとか集会・結社の自由とか、圧力団体とか組合運動とか学生運動とか選挙権とか民主主義とかを社会科の授業で学びました。けれども、あくまでも歴史的な史実の観点からそれらを学んだわけで、全体的には中立的な歴史認識に基づく教育であったと思われます。子供は大人の政治活動には不干渉という立場と認識から、賄賂(わいろ)や政治献金や選挙活動資金のことは、私は学んでいませんでした。
 わずかに、高校二年の現代国語の授業で、『ガリバー旅行記』という小説の中で作者のジョナサン・スイフトが、当時のイギリス政治の腐敗を風刺していたことを学びました。当時のイギリス政界は、民主主義であったにもかかわらず、賄賂が横行して、多くの政治家が堕落してしまっていたそうです。そのことを、作者のジョナサン・スイフトは、その小説で痛烈かつ巧みに風刺して批判していたという、日本の評論家の書いた文章を授業で勉強しました。
 私は、二十歳(はたち)の成人式を迎えた時点で、政治や選挙に関してそれくらいの知識しか持ち合わせていませんでした。もちろん、その頃学生だった私は、一般教養として政治学の授業に出ていました。左翼思想に詳しい、いわゆる『左巻き』の先生から、共産主義について詳しく教わっていました。若い中核派の学生が、左翼思想を誤解しているという認識から、かなり明確な共産主義社会主義について教えてもらいました。しかし、その結果は、左翼の政党への投票には結びつきませんでした。政治と言うものは、そして、選挙と言うものは、それほど単純なものではないのだ、という認識が大人になった私にはあったのかもしれません。
 たとえば、「共産主義私有財産を一切認めない。」という考えが世間一般にはありましたが、それは大きな間違いでした。マルクスだってそんなことは言っていません。ソ連だって、中国だって、労働者や農民が、個人の財産(家財道具とか)を持っていなかったという事実はありませんでした。それは、「共産主義は、大資本家(大金持ち)の私有財産(資産)は、その労働者たちの労働力を搾取し結集したものであるから、私有財産として認めずに、没収して国有化する。」ということだったのです。言い換えれば、大金持ちの資産にかかる、国からの徴収税率が100%ということだけだったのです。歴史的に観て、ロシア革命や中国の革命は、そのためにあったわけです。連合赤軍中核派の学生たちは、そこのところをよくわかっていなかったのかもしれません。
 それはさておき、私が選挙に行くことになったきっかけを話しましょう。私が行く投票所は、私の実家から裏門が見える中学校の体育館内にありました。選挙の日には、その中学校の周辺から人が集まってくることが予想されたため、裏門も例外的に開(あ)けられました。防犯のために普段は閉まっている中学校の裏門が、その日だけは開かれて、一般の人がそこを通って、投票所へ行ける便宜が図られていました。
 当時私は、期日前投票というシステムを知りませんでした。当時あったか無かったかも、覚えていません。それでも、投票をする目的だけで外出するのは、私でさえ、さすがに気が引けたはずです。そこで思いついたのが、次のようなことです。選挙の当日に、中学校の門が開いているのは裏門だけではありませんでした。生徒が普段出入りする正門や南門も開いています。裏門から入って、投票を済ませたら、校庭を横切って正門から学校の外へ出ると、実家から学校の向こう側にある商店などに近道で行けます。そこへ買い物に行って、帰りも校庭を横切って行けば、近道で家に帰れるわけです。
 当時そんなことを考えついていたのは、私だけではありませんでした。買い物かごを下げたどこかのオバサンが、そのままの格好で投票所に来ていたり、校庭を横切って歩いていたりするのを、私はよく見かけました。それに、大人が普段入れない、中学校の広い校庭のど真ん中を歩けることは、一種の開放感を与えてくれました。伸び伸びとして、とてもいい気持ちでした。
 そうした思いつきは、休日にどこかへ行きたいから選挙に行かないという人とは、まさに逆を行くものでした。学校で選挙や政治について詳しく学んでいなくても、ちょっとした思いつきによるそうした小さなきっかけがあれば、選挙で投票に行く人が増えるのかもしれません。デモとか集会とかに参加することも悪いとは思いませんが、選挙の投票だって、そんなに敷居が高くない状態で参加できるのだと、そんな私は思うのです。