民主主義とはなんだ

 昔の日本テレビ系の青春ドラマ『青春とはなんだ』みたいなブログ記事タイトルですが、実はこのドラマの原作・原案は、あの石原慎太郎さんの同名小説でした。それはさておき、ここ最近私は、考えることがあるのです。このコロナ禍で、民主主義的政治や行政のモタモタした感じが批判されて、寡頭政治や独裁政治による行政執行が優れているように観られている傾向がありました。しかも、その傾向がおおかた無批判で、メディアにもそのようにアナウンスされていました。平たく言って、民主主義なんかこれからの人類にとって要らないのではないかと、すなわち、まどろっこしいチェック機能なんかすっ飛ばした、権力を集中させた強力なリーダーの命令による迅速な行政執行こそが、人類全体が望むことだと皆が考えがちになったようです。
 そんな時に、昨今の世界を見回してみると、一度動き出した軍隊や治安部隊や警察などを止められなくて、多くの人々があたふたしていることが観られます。あるいは、上からの命令で都合の悪い事実を民衆から隠さざるをえない、某国の国営テレビ放送局という組織も観られます。それらは、私たち人類の『残念な生き物』的側面だと言えましょう。国家権力というものがどういうものかを知らないで、シビリアン・コントロールとか国民主権というものがどういうものかを知らないで、いよいよわが身に危険が迫ってきて初めて、丸腰で命をかけて立ち向かいます。しかし、そのようにして歯向かったところで、誰もお陀仏になることはわかっているはずです。結局最後は、人はそれぞれ一人一人の弱い人間ですから、愛国者であろうとなかろうと、命乞いをしても消えていく運命にあると言えましょう。
 私が義務教育を受けていた頃は、いわゆる日教組の力が強い時代でした。ですから、社会科の歴史の授業があると、こんなことを社会科の先生がもらしていたのを聞き逃しませんでした。「死の商人がいるかぎり、この世から戦争はなくならない。」つまり、この世の裏世界では、人を殺戮する武器を売っている『死の商人』たちが暗躍していて、それを取り締まることは不可能です。それは、いかなる形態の政治・行政機構によっても不可能なのです。彼らからすれば、敵味方関係なく戦闘行為が続いてくれてさえすれば、商売繁盛なのです。すなわち、今がビジネスとしてのかきいれ時なのです。したがって、どんなに人々が戦争の犠牲になって、誰かが悲しもうとも憎しみをつのらせようとも、本当は何にもならない。あなたがたがその絶望感に絶えられないのならば…、その先にある答えは皆様もご存知のことだと思うので、私はあえてこの場では申しません。つまり、私が若い頃に学校教育で学ばされたことは、中身のない『うわべ』だけの反戦教育や平和教育あるいは愛国教育なんかではなくて、そのような現実的な人類の歴史についてでした。
 そもそも、国家権力の下にある組織というものは、善でも悪でもありません。一人一人の弱い人間である私たちが、何らかの強い力(強制力)を必要として作った機構(システム)です。また、軍隊にしても治安部隊にしても警察にしても、行政機構のすべては『上からの命令で動く組織』であることを多くの人々は学ぶべきです。その組織の中で、命令に従えない者、すなわち、命令違反をする者は、その組織を辞めなければなりません。(もっとも、某国の軍隊のように、辞めることすなわち収容所送りというところもありますが…。)
 ですから、(全体を俯瞰(ふかん)するならば)その国家の上層部の命令によって、その下部組織はいかようにも動くわけです。上からの命令が、正しく適正であれば、多くの人々の幸せに寄与します。逆に、それが不適切あれば、多くの人々がその犠牲を被ります。ただし、どちらにしても、私たち一人一人が弱い存在であることに変わりはありません。その『命令の組織』に抗(あらが)うことは、反戦運動であろうと自由や愛国心のための運動であろうと何であろうと、100%勝ち目はありません。それは、完全に無謀な抵抗です。
 そうした現実を踏まえて、何が一番大切かを結論だけ申し上げましょう。それに至る過程は、今を生きる人々が考え実行することなので、個人の私がどうしろとは申せません。でも、根本的なことは言えます。平和や自由を謳歌することが、民主主義の本質ではありません。それは、プロパガンダの一種にすぎません。平和や自由の前にあるべきものは、国家の強大な権力が独善的かつ間違った方向に行使されないことです。そのようなことを行使されないようにすることが、民主主義の本当の役割なのです。民主主義の下での、シビリアン・コントロールも、国民主権も、国政選挙も、憲法制定も、三権分立も、全てそのための仕組みなのです。そのようにして、そのことが皆に約束された上での、平和であり自由なのです。
 そのように考えてみると、日中戦争と太平洋戦争の敗戦で、日本国民が気づかされたことは、実はそのことだったわけです。忘れていた人は思い出してください。今まで知らなかった人は想像してみてください。シビリアン・コントロールとか国民主権が有効に機能しているから、様々な民衆の意向が反映されて、多少モタモタした感じはあるものの、取り返しのつかない方向へ道を誤ったり、リーダーや国家上層部の舵取りを誤らせないように前もって手を打てるわけです。最悪の事態に泥沼化しないように、「前もって手を打っている」と表現したほうが正しいのかもしれません。もちろん、民主主義という『イデオロギー』は大切ですが、その前に、私たちの『心』と『命』が大切なことは言うまでもありません。