今につながる過去を知ること

 最近テレビなどのメディアで、ロシアとウクライナとの武力闘争の結果に心を痛める日本国民も多くなったと思います。私なんかも、心を痛めております。しかし、それは主に別の理由からです。ロシア国民が国家の情報統制下に置かれたところから、もしかして、その未来に待っている運命は『あれ』ではないかと思うようになりました。
 軍隊の作戦中(戦時中)に、国家が国民の情報統制をするというのは、今回のロシアだけの話ではないのです。あのナチスドイツが、アウシュビッツ収容所で、まさかユダヤ人の大量虐殺を続けていたとは、ほとんどのドイツ人は知らなかったそうです。戦後しばらくたって、アウシュビッツ収容所に招待された、当時のことを知っていたはずのドイツ人のお爺さんお婆さんたちを前にして、この場所で行われた惨(むご)い事実が説明されました。その上で、当時のドイツ国民としての責任を問われると、彼らの誰もが、そんなことになっていたなんて全然知らなかった、と答えたそうです。やはり、当時の国家体制の責任ということに帰着する問題なのでしょうか。そうだと断定をするには、あまりにも釈然といたしません。本当に、それで決着したと片付けられない傷だらけの現実が、今も世界の至るところに残っています。
 その一つが、隣国の中国・韓国の人々の反日感情です。何だそんなの『感情』にすぎないじゃないかと思っている日本人の皆様に、私は伝えたいと思います。その感情を何とかすることが仮に将来できたとしても、過去の恨みの『物理的な痕跡』を相手に撤廃してもらうことは容易ではありません。今でも、私たち日本人は、相手の感情や心情なんかどうにかできると軽く視て生きています。けれども、残念ながら、それは「井の中の蛙」的な発想にすぎません。まず、そのことから気づいてほしいものです。
 私は、その『反日』のそもそもを考えてみることにしました。実は、今回のロシアや、過去のドイツだけではなく、かつての日本も同じことを経験したのではないのかと、私は考えて心が痛んだのです。今でこそ、旧日本軍部の大本営発表は、嘘情報の情報源で大したことなかったと言われていますが、それはあくまでも後世の日本人が付け加えたコメントにすぎません。当時の太平洋戦争戦時下に日本国民が情報統制されていたことは、後世に大きな負債を残すきっかけ(あるいは、致命的な原因)となったと思います。
 そのことは、以下のような事実があったことからも明らかです。戦後、日本国民は隣国の中国・韓国の人々から一連の戦争責任について問われました。なのに、私たち日本国民は、戦争責任と言われても、戦争犯罪と言われても、侵略戦争と言われても、直接関わっていない、知らなかったことにどう対処していいのかわからず、謝罪すらできませんでした。その日本国民一人一人にできないことを、現行の日本政府が代わってあの手この手で謝罪しました。けれども、近隣諸国の人々の本音としては、何で日本人は自らしたことを謝らないのだ、という不信感をつのらせていったわけです。
 戦時下の自国民への情報統制は、その体制や自国民に不利不都合なことは一切情報として伝えないと言われています。都合の悪いことをひた隠しにしてしまうのは、子孫への思いが強すぎるためとも言われています。また、万が一に戦争に負けてその責任をとらされる場合に、子々孫々が辱(はずかし)めを受けることに耐えられないから、という憶測もされています。しかし、ちゃんと考えてみればわかりますが、事実であろうと誤解であろうと、過去の過ちを黙認して直視できなければ、結局、その負債や辱(はずかし)めを受けるのは、その子々孫々の人々なのです。将来のその国家においては、その国民一人一人が迷惑を被るのです。そういった視点から『反日』を考えてみると、今を生きる私たち日本国民にとって、重要なことがわかると思います。敗戦に対する被害者意識だけでは、本当の戦争の理不尽さを十分に理解したことにはなっていなかったということです。その体験を風化させてはいけない、仕方がなかったとあきらめてはいけない、歴史認識が違うというだけでは済まされない、本当の理由があったのです。
 戦前・戦中の日本に生まれた人の話を、少し紹介しておきましょう。当時戦争に反対し兵役を拒否したり、非協力な者は『非国民』として扱われて、周りから白い目でみられていました。(つまり、そうなると、その人が何か困った時に誰も助けてくれません。)そういう『非国民』の人を日常的に取り締まっていたのは、憲兵つまり(今で言う)警察官でした。当時の人の話によると、彼ら警官が街中で一番怖かったそうです。どんな理由があるにしても、彼らに目を付けられ、つかまったら最後、必ず暴力的なひどい目にあわされると言われていました。
 繰り返しになるかもしれませんが、その当時『大本営発表』が、異国で行われていた戦争についての唯一の情報源でした。その唯一の情報源は、旧日本軍の軍部と日本国民にとって、不都合な情報は一切、伝えてくれませんでした。旧日本軍が各戦地で勝利し続けていると、ポツダム宣言を受け入れる前日まで全国民に伝えられていました。戦地に送られた日本兵が、本当はどんなことをしていたのか、ということは全く知らされていませんでした。当時の日本国民からすれば、その限られた情報源を信じるしかなかったのです。当時の体制を良く思っていなかったとしても、異国の戦地に出向いてがんばっている兵隊さんを応援するしかなかったのです。
 そのような国家の情報統制によって、当時の日本国民の視野が歪められていたことは、今となって考えてみると恐ろしいことです。その結果が、人類の歴史として、今の日本や世界の現状に続いていることを考えると、その恐ろしさは想像以上であると言えましょう。