『国の恥』という考えを理解する

 先日、テレビを観ていたら、某番組で、韓国の女子高生を取材していました。その中で、ある一人の韓国人の女子高生が妙にかしこまっていたので、日本人の記者さんが「どうして、そんなに緊張して、キリッと立っているのか。」と質問したところ、彼女は「外国から取材に来ている人の前で、居眠りなんかしたら『国の恥』だからです。」というようなことを答えていました。
 私は、テレビでそのシーンを目にして、こう思いました。「韓国人って、『(誰々は)国の恥だ。』って、しばしば言うよなあ。そういうことをよく言う社会なのかもしれない。」と、私は思いました。
 というのは、日本では、この『国の恥』という言葉は、庶民の日常生活では、あまり聞かれない言葉だからです。私が最後にこの言葉を聞いたのは、先の冬季オリンピックの競技で入賞を逃した日本人選手がへらへら笑ってしまったのを『国の恥だ。』と言ったT氏の言葉でした。ここで論理の飛躍をあえてするならば、日本でその言葉が滅多に聞かれないのは、おそらくは、戦後アメリカからもたらされた民主主義の成果の一つと言えるかもしれません。
 戦時中、アメリカ兵と戦って敗れた時に、「アメリカ軍の捕虜になるくらいなら…」と、自ら命を絶つ道を選ぶ日本兵が多かったそうです。また、戦時中および敗戦直後、多くの日本人の間には、こんなうわさが流れて大変なことになっていたそうです。「日本にアメリカ兵がやってきたら、男はみんな殺されて、女はみんなレイプされるぞ。」ところが、実際の歴史はそのようにならなかったので、日本人のほとんどは、「な〜んだ。アメリカ兵に、ひどい目に合うなんて、ウソだったじゃないか!」と後で思ったそうです。
 こうしたことは、東アジアで唯一敗戦国となった日本の、私たち日本国民が体験して獲得した特別な感覚だったと言えます。これは、中国や韓国や北朝鮮の人たちには、理解できない感覚の一つかもしれません。戦争に日本が負けるようなこと(敗戦だけでなく、敵前逃亡や戦争反対運動)とか、アメリカ軍の捕虜にされるとか、といったことは、それまでの日本では『国の恥』だと考えられていました。しかし、アメリカ軍が日本を占領した後は、今までの日本国民一人一人が考えていたことと現実が余りに違っていました。そのために、大多数の日本人は、『国の恥』とはどういうことなのかを考えるのをやめてしまったようなのです。少なくとも、『国の恥』という言葉に支配されることなく、戦後復興して、経済成長をしてきたらしいのです。
 ところで、私が最初に、いわゆる『慰安婦問題』について知ったのは、新聞やテレビだったと思います。その時に『慰安婦』について私が知ったことは、「彼女らは、日本の敗戦後に、南朝鮮の本国(つまり、韓国)に帰ったものの、まわりから『(日本に協力したお前らは)国の恥だ。』と言われて、差別を受けていた」ということでした。こともあろうに、同じ国民から、ひどいことを言われて、差別されたそうです。その差別のために、結婚もできなかったそうです。
 ここからは、私の想像ですが、韓国の国民の中からそうした差別はいけないと、彼女らに同情する人たちが、世代の交代と共に増えてきたのだと思います。そして、前の世代の人たちによる差別がいけないことであったという反省のもとに、その差別を生じさせたおおもとの原因が、敗戦前の日本の体制にあったと突き止めたのだと思います。(歴史上、当然のことながら、敗戦前の日本は、南朝鮮(現在の韓国)を含んでいました。)そこで、反日運動の一環として、現代の日本政府に、韓国政府を通じて働きかけるという方策をとったのだと思います。
 以上のことから、韓国にとって『国の恥』という言葉は、今も昔も変わらない大切なものの一つであると言えます。日本が、先の敗戦によって良くも悪くも失わざるをえなかった『国の恥』という考えが、韓国社会には一般普通にあるわけです。
 日本政府は、今回、日本大使館前に韓国市民団体が設置した『慰安婦像』を別の場所に移すように主張しました。それは、韓国市民団体が抗議したそのやり方が、日本政府の琴線にヒットしたためです。奇しくも、日本政府に『(日本の)国の恥だ。』ということを突きつけてしまったのです。
 私は、日本国民の一人ですが、『慰安婦像』そのものに『国の恥』を全く感じません。もしも、私が韓国に旅行することがあったならば、その像に堂々と対面して、花を供えたり、日本流にご焼香のポーズをとって、お祈りしたいと思います。韓国の人たちが大切にしているものを、一異国人として尊重したいと思っているからです。