日本人はテロリストを本当にわかっているのか?

 今回はちょっと過激なことを述べてしまうかもしれませんが、あくまでも、ただの普通の一日本人の意見を述べたいと思います。最近、『イスラム国』日本人人質殺害事件がありましたが、そこから私なりに考えていることを述べたいと思います。
 この事件については、日本人はもとより、世界的に、専門家を含めて多くの人々が関心を持って、様々な立場や考え方を述べていらっしゃいます。そのすべてを情報収集して、分析するにはそれ相当の時間がかかりそうです。世界のどこかでそれをやっている方々がいらっしゃると思われます。しかし、私は、もともとそのような立場の人間ではありません。よって、ただテレビでみんなが話題としているその事件をどう考えているかを独断と偏見で述べてみようと思います。
 最初に断わっておきますが、私は右翼でも左翼でもそれらの過激派でもありません。以下に私が述べることに、そうした過激派思想をイメージしてしまう人が多いかもしれませんが、そのようなことではないのだと先に断わっておきます。人をあやめることは、いかなる理由があろうと犯罪です。世界の国家のほとんどは、それを法律としています。しかし、イスラムのテロリストは、平気で人をあやめます。私たちには、単純にそう見えるのです。
 先日、安倍首相が「(テロリストに)罪を償わせる」と言われましたが、それじゃあ、テロリストに報復して殺害するのか、というようなことを言った人がいます。その人の心理状態を分析してみましょう。おそらくその人は、イスラムのテロリストが残虐だということを意識して、それゆえにその残虐さの罪に見合った罰は、報復と殺害に違いないと思ったはずです。それだけその人は、テロリストが流した情報に恐怖を感じ、ショックを受けたのだと思います。まさに、テロリストの思う壺(つぼ)なのです。
 このように私たち日本人は、この2週間ほど、イスラムのテロリストから流された一連のインターネット情報をマスコミで知って、また、「これからも日本人を標的にする」というテロリストの言葉に実際のところ恐怖して、テロリストに振り回され続けてきたわけです。
 これまでの、外国に対する日本人の意識が甘かったということは否定できないと思います。日本人が外国で活動するためには、それなりの危機意識が必要だったわけですが、今回の事件によって、そのことを改めて考え直す必要に迫られているわけです。日本のその仕組みに脆弱性があるために、それをアップグレードする必要に迫られているというわけだと思います。
 私はテロリストではありません。人をあやめたり、あやめざるをえないテロリストの立場にいませんし、そうした立場になったこともなく(つまり、兵隊としての戦争体験が無いということ。)、イスラムのテロリストから見れば『腰抜けの日本人』の一人かもしれません。もっと言えば、彼らイスラムのテロリストの現代日本人に対するイメージは、世界的に見て『金持ちで臆病な人たち』なのかもしれません。しかしながら、私はその日本人の一人です。「金持ち」でも「臆病」でもありません。だからといって、今の格差社会に武力で立ち上がろうとは全く思っていません。
 もっとも、私は過去に、失業して、仕事が見つからなかった時期に、テロリストになろうかと思ったことがありました。奥さんも子供もいなかったので、どこかの農家のオヤジに「この歳(とし)になって、お前は何をやっているんだ。」と叱られたこともあります。もしも、私が日本の今の農業の厳しさや大変さを知ることが無かったら、テロリストになっていたかもしれません。
 繰り返しますが、人をあやめたり、あやめざるをえなくなるのは犯罪です。そうしないと生きていけないとか、経済的な理由があったとしても、たとえ、いかなる理由があろうとも、犯罪であり、誰であっても法の下に罪を償わなければならないことなのです。
 ところで、以前、米国で起きた9.11同時多発テロをテレビで知った時、少なからず日本人はこう思ったはずです。「昔の日本人の真似に過ぎない。」それは、太平洋戦争中に旧日本軍が実行したゼロ戦の特攻隊を真似たに過ぎない、と思ったのです。また、今回の人質殺害についても、旧日本軍が言うことを聞かない他国の人たちをあやめた過去と比べれば、そんなことで日本人が恐怖や悪夢にさいなまれたり、国内が混乱することはありえないことです。
 中国や韓国では、70年を経た今でも旧日本軍の『残虐非道』さを戦争責任として追及することをやめていません。たとえイスラムのテロ組織が『イスラム国』として認められたとしても、その国民は子々孫々、その戦争責任を負わされることになると思います。よって、このテロ組織は何をしようと未来が見えないことは明らかです。
 ところで、イスラム教が良くないから、イスラム・テロ組織が台頭したのだ、という意見があるかもしれません。けれども、その意見は正しいとは言えません。私は、こう考えます。旧日本軍が天皇中心の社会体制を笠にきていたのと同じように、イスラム・テロ組織はイスラム教中心の社会体制を笠にきているだけなのではないかと、考えています。日本の右翼の方々にはこんなことを言って大変申しわけないと思っておりますが(聞かなかったことにしていただきたいのですが)、戦前の天皇中心の社会体制に脆弱さがあったからこそ、旧日本軍の軍部につけいるスキを与えてしまったとも言えます。
 そのために、敗戦後の日本国民は、これまでの日本の価値観を全て悪いものとして否定されました。そして、連合国軍の主導で、旧日本軍は解体されて、その戦犯は『東京裁判』にかけられ、『巣鴨プリズン』に投獄されました。天皇は、日本の象徴として直接には政治に関わらず、誰かから政治的に利用されたり悪用されたりすることはなくなりました。そうした多大の犠牲の上に、今の日本が民主主義国家として成り立っているわけです。
 イスラム教もまた、その脆弱さが、テロリストにつけいれられるスキとなっています。イスラム教自体が悪いのではないのです。ただし、イスラム教は、その信徒の数から見ても、今や世界的な宗教の一つです。世界の信徒たちのためにも、教義は変えずに、システム的にその脆弱性をアップグレードする必要に迫られていると思います。
 このように、イスラム教とイスラム・テロ組織を切り離す意識がまず必要です。となれば、日本人にとってイスラム・テロ組織は、これまでのテロ組織への対策にもとづいて考えていくことができると思います。ただし、日本の場合は、国内でオウム真理教の一連のテロ事件があったために、どうしても宗教とテロリズムをイメージ的に結び付けてしまいます。中国や韓国が、いまだに天皇靖国神社神道に良い印象を抱いていないことを見ると、それは国際的にも仕方がないのかもしれません。しかし、テロリストに利用されたり悪用されたりした側からすると、これほど迷惑で悲しくてたまらないことはない、ということを一言つけ加えておきます。
 さて、私は、大学の頃に英字新聞(Japan Times)を読む授業で、当時のイラン・イラク戦争中東戦争)で日本の石油エネルギーが影響を受けていることなどを知りました。また、中高生の社会科の授業で、戦争や紛争地域には武器の商人(死の商人)が影に必ずいることを学びました。当時は、日教組の力が強くて私はそうしたことを学べたのだと思います。今の若い人たちは、そうしたことの怖さを学んでいないかもしれない、と私は少しだけ心配になりました。よって、私に言わせてもらうならば、今回の人質事件で湯川さんが巻き込まれたことは、ネットで言われているように自業自得な面もあったように思われます。(いろいろとヤバそうなこともありそうなので、私の憶測はそこまでにしておきましょう。)
 今回の人質事件に巻き込まれた後藤さんについても、良い面と悪い面を指摘すると、いろいろありそうですが、世間一般の意見として、ジャーナリストとしての良い面を強調する傾向にあると言えます。言わば、現代の日本の英霊となった感じがします。かえって、日本人が臆病でも腰抜けでもなかったということを世界に伝えてしまったかもしれません。おそらく、イスラムのテロリストは、それを予期できなかったのだと思います。日本人をあやめることで、世界的にテロの恐怖を広めることが本来の目的だったはずです。しかし、その結果が面白くなくて、ヨルダンの人質をあやめてしまったことまで公表してしまったように思えました。
 私は、テロリストがなぜ人をあやめるのか、ということに一つの答えを持っています。本当言うと、彼らは答えを持っていないのです。だから、イスラム教とか、その時の権威あるものに力を借りて、非道なことをしているだけなのです。いかなるテロリズムにも、確固たる論理的な理由はないと思います。
 私は、30代の若い頃に翻訳会社にいました。実は、その会社の株主の一人で、一時期、管理職になった方がおられました。私の上司の、また上司にあたる人だったのですが、旧日本海軍の中尉だったそうです。どういう経緯(いきさつ)だったのかは忘れてしまいましたが、たまたま、こんなことを私は言われたことがあります。「人間は感情の動物だからなあ。(仕方がない。)」と言われました。
 そう、テロリストが人をあやめるのに、わけなど無いのです。ただ、人をあやめずにはおれない何らかの感情があるだけなのです。人間が感情の動物である限り、誰でも何らかの感情があって、最悪は人をあやめてしまうのです。そうした犯罪は、社会や法律が取り締まれないとなると、大変なことになります。そのうち最悪でなくても、人をあやめることになるのです。
 もちろん、人の感情自体は取り締まれません。私自身の感情は、私自身が責任をもって管理するしかないのだと思います。