もしもソ連が攻めて来たならば…

 ソ連なんてとっくの昔に崩壊したじゃないか、と思っている人は、今回の私のブログ記事を読む必要は無いと思います。私の見方では、社会主義共産主義の制度的な行き詰まりが、国家経済の危機を招いて、ソ連崩壊につながったと観ています。よって、現在のロシアや中国は、資本主義的な利点をうまく取り入れて、その経済危機を乗り切ってきたので、あのソ連崩壊のような失敗は二度と起こさないと、私は思っています。
 ところで、私が二十歳になった頃は、周囲の大人たちから、酒の席で一度ならず聞かされることがありました。「もしもソ連が攻めて来たならば、若いお前たちは武器を持って戦うか。」と聞かれるのです。もちろん、私は、その30数年前に日本がアメリカに無条件降伏して、戦争放棄して、旧日本軍が武装解除し解体したことを知っていました。いわゆる『戦争を知らない子供たち』として、平和の歌を口ずさみながら、これからは戦争の時代ではないという社会の空気の中で育てられてきました。ところが、二十歳を過ぎたとたんに、周りの大人たちからそんな言葉を浴びせかけられました。酒の席とはいえ、親戚の叔父さんや学校の恩師から、そのようなことを問われては、その都度私は少し違和感を抱きつつも、無言でうなづいていました。
 歴史的なことを申し上げますと、その30数年前の日本は、アメリカに無条件降伏して、戦争放棄をしました。ところが、日本がそうしたにもかかわらず、ソ連はその後も侵攻を続けて、いわゆる現在の『北方領土』を軍事的に占領して、それを日本国から奪いました。それ以前にも、ソ連軍は、満州国に一方的に進攻を始めて、多くの日本人を捕虜にして、シベリア送りにしました。そうした一連の経緯から、戦後の日本人のソ連に対する脅威というものが生まれて、当時あのようなことを問いただす日本の大人たちが少なくなかったのだと思います。
 私は、この件については、肯定をしたとしても、否定をしたとしても、悲観的になってはいけないと思います。こんな平和(?)な世界において、武器をとらなくては生きていけなくなるのか。あるいは、自由を奪われて、何事も我慢しなければならなくなるのか。どちらにしても、不安や不満が消えることはありません。しかし、ここは感情論に走らないで、あくまでも冷静に対処することを、私はお奨めしたいと思います。現時点では、やや曖昧(あいまい)な言い方で申しわけありませんが、その上に立っての自主性に、自他共に期待したいところです。