無言館についてのある一つの見方

 12月に入っていろいろと忙しかった私は、この年末年始になって、少し日々の生活を落ち着けることにしました。例年通りに、作業中のビニールハウスや畑の後片付けをして、今日の何日か前には東京の実家に戻って、現在実家で家族が抱えている諸問題を母と話し合ったりしていました。また、年末のテレビを見ると、今年起きた物事の反省もしくは将来の課題が語られていて、今の落ち着いた気持ちでそれを考えてみるのも悪くはないな、と思いました。
 そう言えば、今年になって書こうと思っていて、今になって書くのを忘れていたことに、また一つ気がつきました。それは、無言館のことです。長野県上田市別所温泉の近くにある美術館なのですが、私はそこへ入館したことがありません。しかし、なぜかその美術館のことを知っています。先の太平洋戦争の戦没者画学生の描いた絵画を中心に展示した私営の美術館であることを知っていました。おそらく、何年か前にテレビ番組の特集か何かで紹介された時から知っていたのだと思います。
 私の日常では、その美術館が千曲川の向こう側の別所温泉の近くにあるため、いつか行ってみようとしばしば思ってはいたのです。しかし、そのたびに忘れていました。テレビ番組の特集か何かでその『無言館』を知った時の印象は、驚きに近いものでした。それまでの私のイメージでは、戦没者は戦争犠牲者であり、悲しくて辛い過去の歴史のみが語られるものであったからです。
 私の祖父母や父母の年代から語られる戦争体験の記憶は、そのようなものであって、二度とそのような世の中に日本はなってはいけないという主張が繰り返されていました。そこには、隣国の中国や韓国・北朝鮮の人たちの目がどうのこうのと言う前に、また、アメリカ軍に打ちのめされたと言う前に、日本人自らが現実に多大な犠牲を払って、しかも、戦争に負けて、生活も苦しくなったというショックがあった。と言うことを、後世に伝えていました。先の戦争を経験した日本の一般人からすれば、戦争を起こすくらいならば、ほかのどんなことでも耐え忍べるのではないか、という極端な意見さえもあったと言えます。
 そのような立場の人が世の中に多かったことからすれば、そのような美術館をPRするためには、『反戦』を旗印に掲げていた方が入館者が増えてよかったと言えます。戦没者の遺族の立場からしても、大切な家族を戦争で失ったわけですから、反戦の立場をとるのが当たり前だったと思います。しかし、戦没者画学生の作品を、その遺族でない私などが見ると、全く別の考えや見方に気づかされました。それこそが、私の驚きの原因でした。
 「60年前の若い画学生の青春と対話してみませんか?」というキャッチフレーズが、その『無言館』の国内の巡回展にありました。徴兵制で軍隊に召集された彼らがどんなことを考えていたのか、ということに私も興味を持ちました。一般に、兵隊にとられる人の気持ちとしては、「行きたくないけれども、行かなければ罰せられるし、家族も近所から白い目で見られてしまう。だから、イヤでもその気持ちを隠して我慢して、戦争に行かなければならなかった。」ということだったと思います。そうした本音は、今だから言えることなのかもしれません。ところが、無言館に作品を展示されたある戦没者画学生たちは、次のような意味のことを書き残していたそうです。(あくまでも、それは私のうろ覚えです。もしかしたら、間違って記憶しているかもしれません。事実と違っていたのならば、お詫びいたします。)
 「今まで、無事に育ててもらえたのだから、その恩返しをしたい。」とか「戦地へ行って自分に何が出来るか、わからないけれども、このまま自分が何もしなかったならば、この日本はダメになってしまう。」とか「(自分の妻や子供などの)日本で生活している家族のために、何か自分にできることをしたい。」というようなことを、彼らは書き残していたそうです。私は、そのようなことから「現代に生きる私たちの考えと、彼らの考えとはそれほど違ってはいないな。」と思いました。だから、現代に生きる私たちはそのような戦没者の彼らとそれほど困難が無く対話が出来ると、私は確信したのです。
 現実には、彼らはそうした気持ちや志を抱いて戦地に赴(おもむ)いたものの、その途中の輸送船の中で魚雷にあって溺れ死んでしまったり、戦地のままならぬ状況に翻弄されて、命を落としてしまったりしたわけです。それを『英霊』と呼ぶには、余りにも似つかわしくない最期と思われるかもしれません。でも、現代の私たちがそんなふうに考えるのは、余りに結果主義に考え方が偏っているせいだと思います。
 彼らが自らに感謝して、また、支えてくれていた家族のために、それを守ってくれていた日本という国のために、何か自分にできないかと考えた時に、その時代は、戦地に赴くしか貢献の方法が無かったのです。ただ、戦地に赴いても、そこで自分に何ができるのかということについての確かな展望や、その志の実現に保障があったわけではありません。今まで良かったけれども、このままじゃ日本はダメになってしまう、という危機感が彼らにあって、その解決法として当時は自らが軍隊に参加することにしか手段が無かったのです。ただし、現代の結果主義に従って冷徹(れいてつ)に言えば、それは「無駄死に」もしくは「犬死に」と呼ばれても仕方がなかったかもしれません。
 私は、先日行われた衆議院選挙で投票率の悪さを残念に思いました。勿論、私は、選挙で投票することを誰に対しても強制するつもりはありません。けれども、選挙に行かなかった人や、候補者や政党を選べなかった人に、今だからこそ選挙の本当の意味を知ってもらいたいのです。『無言館』の戦没者画学生たちが戦地へ行くことでしか自らの意思を表明できなかったその無念さを、現代に生きている私たちはもっと感じて考えてみてもいいのではないかと思うのです。たとえその意思が通らなかったとしても、そのことで彼らのように大切な命を落とすことではないことを、次回以降の選挙に参加して確認していただきたいと思います。