私のプロフィール 不得意の克服

 最近の私は、すぐには長野県に戻らず、東京にいて慌てないことにしています。それには、いくつかの理由があります。東京の実家が居心地がいいというわけではなく、一身上の理由で東京の自宅で解決しなければならない問題があるからで、私が黒田の家族の一員である限り逃れられない問題があるからです。
 それがどんな問題であるかについて、今回は明言を避けさせて頂きます。そうした問題をこれまでの私は個人的な問題と見なして逃げていたのですが、そうしないでその責任の一端を担うべきだと思いました。この私の日記では、別の機会にその詳細に触れてみたいと思っています。
 もともと私は、中高校生あたりでいろんな学科もしくは科目を勉強するうちに、得意科目よりも不得意科目が気になってしまう性質(たち)でした。得意科目と言っても、誰にも負けないことを自慢したり、それにふさわしい成績を残すことを目指したりはしていませんでした。一応は80点くらいの及第点を取れればいいかな、くらいに考えていました。ところが一方、不得意科目となると、通信簿の評価が「2」になってしまうのがどうしてなのか、と気にしてしまうことが多かったと思います。
 小中学生の頃、私は運動神経が鈍くて、体育の成績がよくありませんでした。鉄棒などは、逆上がりさえ怖くてできませんでした。ところが、高校2年の1学期に器械体操を一通りやらされること知って、逃げるわけにはいかなくなりました。そこで、学校から帰ると、家の裏近くにある児童公園で一人で鉄棒の練習をしていました。その時私は生まれて初めて前回りや逆上がりなどの簡単な鉄棒くらいできなきゃ恥だと、自ら思いました。
 もちろん、私の親たちは、そのことを知りませんでした。私自身、そんなことを親たちに知られたくないと考えて、彼らに話したり相談したりしたことがありませんでした。そんなこと、親たちに話したところでどうにもならないし、第一、私自身が恥ずかしかったからだと思います。
 自慢ではありませんが、その一人の何度かの課外授業の結果、私は高鉄棒で蹴上がり→前方回転→後方回転→そり跳びで前方着地が難なくできるようになりました。他にもいろんな器械体操がありましたが、十六歳の男子としては当たり前にこなせたので、通信簿の成績に「4」が付きました。最初は、私自身が不得意で無理だと思っていたことが、その時は出来たので、私は本当に感激しました。どんなに不得意科目でも、努力すればある程度までは出来るのだということを骨身にしみてわかりました。
 それはある意味でラッキーだったかもしれません。人によっては、そんな経験は皆無で一生が終わってしまう人も、この世にはいるかもしれません。でも、これだけは誰でも気づいて欲しいことがあります。たとえ苦手な物事ができるようになっても、金銭的に豊かになったり、名声を得たりするのが目的なのではない。それとは違う、ある種の充実感があるということに注意してもらうとよいと思います。
 誰でも嫌な気分にはなりたくありません。それが得意で好きなことであったならば、どんな苦難にも耐えられるだろうと、人は言うでしょう。しかし、もともと不得意でいやなことに挑戦することもまた、つまり、その困難をあらかじめわかっていつつ挑戦するのもまた、同じように意義ある場合があるのです。
 数日前、私は日常であることに挑戦していました。実は私は、幾分、高所恐怖症と広域恐怖症の気(け)があります。荒川にかかった千住新橋という橋の真ん中あたりに来ると、足がすくんでしまうのです。長野県の山の近くで一年の大半を過ごしているくせに何だと思われるかもしれませんが、山の高さや場所の広さとは、それは感じが全く違うのです。橋の真ん中に立つとわかるのですが、そこから橋のはるか下の水面を見ると私は足がすくみます。さらに、そこで上を向けば大空が一面に広がっていて、不安定な気持ちになります。また、荒川から遠くに見える山々まで何も障害物が無い、広々とした空間に目を向けるだけで、歩幅が狭くなります。前後を行き過ぎる自転車にぶつかりはしないかと、不必要に気を回してしまいます。
 そうした苦手意識をおぼえる場所にわざと行って、その場所にいることに少しでも慣れることが目的でした。こうしたこともそうですが、日常それほど感じていなくても、個人的に恐怖をおぼえたり、イヤだったりすることが誰でもあると思います。
 もう一つ思い出すことがあります。昔の私は蝉(せみ)が嫌いでした。幼稚園の頃、保護者同伴で幼い私は、梨(ナシ)をとり放題の農園へ遠足に行きました。その時私は、ある梨の木の下で一人になりました。驚いたことに、木の幹に沢山の蝉の抜け殻が引っ付いていました。さらに気がつくと、私の足元には蝉の抜け殻だらけで、地面が全く見えませんでした。幼稚園児の私は、足がすくんで一歩も歩けなくなりました。ただ、そのために一人で泣き出しました。周りにいた同じ組の仲間やその保護者や先生たちは、私が何で泣いているのかわからなくて、しばらくあっけに取られていました。
 また、小学生の頃の私は、生きていない蝉を拾ってきて、防腐剤を注射器で打ったものを夏休みの宿題でよく昆虫標本として提出していました。半ば義務的にそんな宿題を提出していたのは、生きている昆虫がイヤだということの感情表現が私にうまくできなかったためです。生きている蝉を捕まえて標本にするなどということは、私には、おぞましくてできませんでした。
 ところが、ちょっと不思議なことがあって、そんな私の苦手意識が変わりました。やはり小学生の頃、私は長野県の善光寺の山門のところにいました。私の従兄で同年代の少年が「黒田君。ちょっと持ってみなよ。」と言って、その山門の木の柱で休んでいた一匹のアブラゼミをそっと手でつかんで、それを私に握らせました。暑い夏の出来事でしたが、その生きているアブラゼミの体は暖かく、まるで人間と同じように体温があるかのようでした。私はそっと、それを山門の木の柱に返しましたが、その蝉は大人しくその場所に止まりました。そんなことがあって以来、私は蝉が怖くなくなりました。
 不得意なものとか苦手なものというのは、どうしても感情的に避けてしまいがちですが、失敗覚悟でやってみることが仮にあったとしたならば、やってみた方がいいかもしれません。苦手や不得意を克服した時の、充実感というものは格別なものがあると思います。