世にも奇妙な博物館体験(前編)

 『世にも奇妙な…』というと、フジテレビ系列のあの番組の雰囲気を思い浮かべる人も多いと思います。しかし、今回は、ホラーとかファンタジーとかではなくて、私が1980年代の初めごろに体験した、ある出来事について書いてみたいと思います。
 当時の私は、私立のH大学に通っていました。大学3年生ごろから、一般教養科目専門学科科目の授業とは別に、教職課程や資格取得課程の授業に手を出す学生が、私以外にも多かったようです。専門学科科目はというと、英語学または英文学を専攻するための授業を受けました。一方、教職課程では、教育学の授業や(中学・高校の英語教師としての)教育実習がありました。また、資格取得課程は、図書館司書や社会教育主事博物館学芸員の資格を取るために必要な授業が用意されていました。例えば、博物館学芸員の資格取得のための授業には、東洋美術史や文化史や社会教育概論や視聴覚教育や博物館学などの授業と博物館実習(実習のための講義と、実際の博物館で職員の仕事を手伝わしてもらう、教職課程の教育実習に当たるもの)がありました。
 2011年11月6日の私のブログ記事を読んでいただくとわかると思いますが、私は博物館に個人的な興味があって、二十歳(はたち)からの2年間、その資格を取得するための勉強をH大学でしていました。でも、博物館の職員になれるあては、全くありませんでした。むしろ、不純な動機を持っていました。博物館職員に変装して、博物館で悪いことをしようと考えていたのかもしれません。生活感の無い、全くの興味本位で、その資格取得のための授業を受講していた、というのが二十歳(はたち)になった、若い私の真の姿だったのです。
 おかげでさまで、その道の専門知識が(あくまでも、自己満足でしかありませんが)詳しくなりました。今でさえ、いろんな好奇心がわいてきて、それに対して考えたり、調べたり、実地で試したりする時の、一つの基準、あるいは、一つの助けになってくれている技能と言えます。実際に博物館に勤めていなくても、日常生活やその仕事の中で、何らかの、役立つ考えや方法を提供してくれています。
 例えば、『博物館』というと、普通は、厳格なイメージが感じられると思います。厳(おごそ)かな建物の中に、高価な美術品などがガラス張りで展示されているというイメージです。そんな博物館にやって来た入館者がそれをガラス越しに、あるいは、ロープ越しに観覧して、一切それをその手に触れることが許されない、という感じです。だから、博物館なんて私には関係ない、と考えている人も多いと思います。しかし、それは、狭い意味での『博物館』のイメージです。「博物館とは、かくあるべし。」とする、従来の、古い、狭い視野によるものなのです。その広義の、つまり、広い意味での『博物館』とは何かを考えてみると、全くイメージが変わります。
 まず、博物館には、屋内博物館と野外博物館があります。例えば、屋外に彫刻などの芸術品が置いてあったり、公園や庭園があったり、動物が歩き回っているようなものは、後者の例と言えます。そのことからもわかるように、植物園や動物園や水族館は、広義の『博物館』の一種です。一方、屋内の博物館は、その展示物の種類から、歴史博物館と科学博物館と美術館などに大まかに分かれます。規模が小さいものも『博物館』として認めるならば、郷土資料館やプラネタリウムやギャラリーなどもそれに含まれます。私が二十歳の頃は、(博物館実習の授業で、みんなが手分けして調べたのですが)東京都内には、100か所以上の絵画や写真や工芸品や書道などのギャラリーがありました。特に、銀座には、それらが密集していました。某(なにがし)の写真展やマンガ展やイラスト展とかが、ビルの専用スペースとか、デパートの特設会場などでしばしば行われていました。
 当時から、企業博物館も増えていました。博物館というのは、原則は、非営利的な団体なのですが、その運営と維持のために、入館者から入館料をとる場合があります。それとは別の話になりますが、通常は営利を目的とする会社や企業が、そのイメージ・アップを目的として、独自の博物館を作ることが増えてきました。企業のショール―ムなどの小規模なものから、同業者で共同して開催するものや、本格的な博物館を建設してしまう大規模なものまで、その形態はさまざまでした。工場見学なども、私たちが博物館のような展示に接する機会の一種と見ることができると思います。
 現在は、このように様々な経緯で作られた『博物館』が、私たちの身の回りにあふれていると、思います。私たちは、知らず知らず『博物館』的なものに、日々、関わっていると言えるかもしれません。そもそも、博物館というものは、私たち人間が、物質文明のお世話になりだした頃に、世の中に発生してきたものなのです。ですから、私たち人間が、物質文明のお世話になっているかぎり、博物館とは無関係ではいられない、つまり、何らかの関わりを持って、そこで何らかの体験をせずにはおれないものと考えられます。
 この世の博物館の存在価値を説明するために、かなり前置きが長くなってしまいました。本題に入りましょう。それは、1982年頃の、『上野の森美術館』での出来事でした。当時、博物館に興味を持っていて、大学で博物館学などの勉強をしていた私は、ある日、東京都が発行した広報チラシに目を通していました。その都内の博物館・美術館案内の欄に、ちょっと変わった記載を見つけました。『上野の森美術館』で、何か催しがあるみたいなのです。
 当時、『上野の森美術館』は、いわゆる『上野のお山』にあった、常設の展示物を持たない、小さな博物館でした。特別展の開催できる小さなホールが2つありました。私は、その博物館の設備について、詳しくは知らなかったのですが、規模が小さい展覧会などの場合は、どちらか一方の部屋を、入館者のための休憩室にしたり、講義室にしたりできるようになっていました。そのため、折りたたみのできる横長のテーブルやパイプ椅子が、たくさん用意されていました。現在、地方でもよくある、多目的ホールのような感じのものでした。
 はたして、その小さな美術館で、どんな趣向の催しがあったのか。それについては、次回の続きといたしましょう。