送別会の花束

 NHK連続テレビ小説とと姉ちゃん』の主題歌を、テレビでたまたま視聴しました。宇多田ヒカルさんの作った、そして、歌唱した『花束を君に』という曲です。「いとおしい人に贈る涙色の花束」って、どんな花束だろう、と私は思いました。もしかしたら、それは、花束に似て、もらった人を笑顔にさせるけれども、本当は花束ではないものなのかもしれない、と私は想像しました。そのように『涙色の花束』という言葉は、いろいろなイマジネーションを聴く人に与えてくれます。私が無知だったのだと思いますが、宇多田ヒカルさんがこれほどセンスがいい曲を作るとは思ってもみませんでした。
 そして、私は考えました。『涙色の花束』とは、どんな花束なのか、と考えました。もしかしたら、それは、送別会の花束のことかもしれない、と私は思いました。別に、私が何かの送別会で涙をためたり、流したりしたわけではありません。そうでなくても、送別会というものそのものが、涙色のイメージに感じられるのです。そして、送別会の主賓(送られる当事者)に手渡される花束を、『涙色の花束』と表現できるのではないかと、私は想像しました。
 ここからは、現実に起きた話をしましょう。私が34歳で転職した、小さな会社の職場には、☆☆さん(私はその人の名前を忘れてしまったので、この仮名で呼ばせていただきます。)がいました。彼女は、私よりも10歳も若い、その会社の社員でした。が、後から配属されてきた私に対して、扱いが冷たくて、仕事上のちょっとした私のミスに対しても、癇癪(かんしゃく)を起こして、私を嫌な気分にさせ続けました。周りのウワサによると、彼女は浅草の生まれで、短気で、扱いにくい人なのだそうでした。私は、なるべく波風を立てないように平気を装っていましたが、どうしても彼女の言動や振る舞いを信じることができませんでした。
 そんなある日、彼女は、今の仕事をしたくなくなった、という理由で、会社を辞めることになりました。そこで、会社の社員みんなで、☆☆さんの送別会をすることになりました。私も、☆☆さんともうこれ以上、会社で顔を合わせることもなくなることを、ことのほか喜んでいましたので、☆☆さんの送別会に参加することを快く承諾しました。
 その送別会は、何の波瀾(はらん)もなく、普通に終了しました。勘定の精算に追われている幹事の人を残して、社員のみんなは、夜のお店の外の明かりの下に出て行きました。私は、たまたま☆☆さんが近くにいるのを見つけました。送別会で渡された花束を、両腕いっぱいに抱えて立っていました。会社の仕事を辞めて、肩の荷が下りたせいか、血色が良くなって、顔のシワも取れて、しかも、お肌がツルツルになっていました。
 その時、私は、☆☆さんが職場からいなくなってくれることに上機嫌で、しかも、少しお酒が入っていたせいで、普段より正直で素直になっていました。それで、夜の明かりの下で、☆☆さんを見かけたら、色彩的に、とても綺麗(きれい)に見えたのです。それで、つい、☆☆さんに言ってしまいました。「☆☆さん。こうしてよく見ると、美しいですね。」すると、「そう?」と、☆☆さんは少し笑みを浮かべていました。
 これで、この話は終わりです。この話には、続きがないのです。後日談さえ、ありません。けれども、後日談が私の記憶に残っていないことは、かえって、良かったように思えます。それだけ、私は、何の汚(けが)れもなく、ピュアで素直に、あの時のことを思い出すことができるからです。
 以上のことは、私の都合よく作ったフィクションでもなく、テレビのトレンディードラマのワン・シーンでもありません。実際に、都会の片隅で起こった出来事でした。私は、良い経験をしたなと思いました。つまり、これは、送別会の花束を抱えた若い女性は、いつもよりも美しく見えるらしい、という現実だったのです。