世にも奇妙な博物館体験(後編)

 1982年頃、私が21歳の時に、東京都発行の広報チラシの、都内の博物館・美術館案内の欄に、ちょっと変わったお知らせが載っていました。「上野の森美術館小泉今日子さんがやって来ます(入場無料)。」みたいな感じのお知らせでした。
 「何だ、そんなことか。」と、今日(こんにち)のほとんどの人は思うかもしれません。けれども、私は、芸能人や有名人の出演するイベントとかステージを観に行ったりするようなタイプの人間ではありませんでした。また、東京の下町の、さらにその下町に私の実家があったせいもあって、街中で彼らを見かけたり、彼らに出くわす機会が滅多にありませんでした。
 当時、小泉今日子さんと言えば、芸能界にデビューしたばかりの新人女性アイドル歌手の一人でした。それが、なぜか『上野の森の美術館』へやって来るというのです。私には、若い女性アイドル歌手が美術館となぜ結びつくのか、その根拠が全く思い当たりませんでした。
 博物館学的には、新人女性アイドル歌手が、美術博物館の特別展において生態展示されるのかも、と考えられました。そんな私の見方のほうが変で、奇妙だったのですが、一体、小泉今日子さんが上野の森美術館にやって来て何が起こるのだろう、と私は不思議に思いました。
 これは、実際に、現場へ出向いて、私自身の目で真相を確認するしかない、と思いました。ここに、当時の私が博物館学で学んでいた「物に即して、物に触れて、物を扱いながら考える」という精神がありました。もちろん当時の私は、小泉今日子さんのファンではありませんでした。けれども、かような博物館学的な興味あるいは好奇心があって(本当は、野次馬的な興味や好奇心でしかなかったのかもしれませんが)、実物を見に行ってみようと考えたのです。
 その日、上野の森美術館の入り口を通ると、そこは、一般の入館者が利用するための休憩室になっていました。複数の横長テーブルが、普通に二列に整然と並べられていました。その横長テーブルそれぞれの下に、パイプ椅子が2つずつ並べられていました。その休憩室に集まった人たちは、21歳の大学生の私と、ちょっと立ち寄った感じの服装の40代〜50代のオジサンやオバサンが5、6人、まばらに座っているだけでした。つまり、みんな、空席の多い中で、バラバラに座っていました。
 しばらくすると、入館者が通って来たのと同じ入り口から、16、7歳くらいの、青系色の普通のワンピースを着た、街で普通に見かけるようなお嬢ちゃんが、この休憩室に入ってきました。すると、この美術館の職員らしき女性が突然横から現れて、こう切り出しました。「みなさんに、紹介します。小泉今日子さんです。今日は、よろしくお願いします。」
 私は、この催しに参加したまばらな入館者の一人として、その時こう思いました。「えーっ(と、ちょっと驚きながら)、芸能人って言ったって、アイドルと言ったって、普通の人と変わりないじゃないか!」「テレビで観るのと違って、それほど頑丈そうな体形には見えないな。普通のきゃしゃな体形の娘さんだなあ。」
 数メートル先の、二列の横長テーブルの間に立っている小泉今日子さんが、余りに普通の、若い娘さんに見えたので、私は、ちょっと拍子抜けをしてしまいました。テレビやラジオに出演している有名な芸能人が来ると言うので、期待していた私は、本当に驚きました。このお嬢ちゃんがアイドル歌手だとは、私にはどうしても見えなかったのです。
 小泉さんは、近くのテーブルの縁(ふち)に軽く手を置いて、まばらな私たち観客を目の前にして、大人しそうにしていました。
 そこで、司会役の職員さんは、こう言いました。「みなさん、小泉今日子さんに、何か聞きたいことはありませんか。何か質問のある人は、いませんか。」
 「えっ?質問?」と、その時の私は思いました。私は、ファンではなかったので、何も質問を考えて来ませんでした。おそらく、私の周りのオジサンやオバサンも、同じ心境だったと思われます。誰も、小泉今日子さんを前にして、質問をしませんでした。有名人あるいは芸能人が来るというから、各人は、ここへ見に来ただけだったのだと思います。数十秒間の沈黙が続きました。
 「それでは、みなさん、よろしいですか。」と、司会役の職員さんは、まばらな入館者の私たちに向けて言いました。「質問が無いようでしたら、今日の集(つど)いは、これで終わりとしたいと思います。お集まりのみなさん、どうもありがとうございました。」と、その職員さんは言うと、今度は小泉さんに向かって、こう言いました。「隣の部屋で、ファンの方たちが、お待ちかねですよ。」
 私は、その時になって、初めて気がつきました。いつもは絵画などの特別展示で使われている、隣の小ホールには、声を潜めて集結していたファンの人たちがいることに気がついたのです。隣の小ホールに続く狭い入り口は、黒い幕で覆われていました。そのそばには、マネージャーさんらしき人が立っていました。その人が、黒い幕を少し持ち上げたところに、小泉さんが入って行きました。すると、ファンの方々の歓声が聞こえてきました。さらに、音楽と歌声と手拍子が聞こえてきて、隣の小ホールでは、ミニ・コンサートが始まりました。街で普通に歩いている娘さんと変わらないような、そして、たった今まで目の前で大人しくしていた、あのお嬢ちゃんが、実は、最近人気の女性アイドル歌手の一人であった、ということを、私は知ることができました。
 実を言うと、私は、ちょっと、あっけにとられていたのです。しかし、時が過ぎていくにつれて、何となく状況がわかってきました。要するに、こういうことです。上野の森美術館は、常設展示の無い、開催期間限定の特別展だけを開催できる美術館でした。だから、その特別展示ホールに、特設ステージを作って、ファン限定の一日だけのミニ・ライブ・コンサートを行ったわけです。そうしたファンの人たちのために行われたイベントの直前に、野次馬的に集まった(私を含む)一般の人たちが、入場無料で小泉今日子さんを見ることができた、というわけだったのです。
 次の日の夜に、テレビでは何かの歌謡祭が中継されていました。それを観ていたら、その歌謡祭で新人賞を受賞したということで、あの小泉今日子さんが登場していました。手足をあらわにした白いステージ衣装をまとった彼女は、昨日私が目にした実物よりも、体形ががっちりして、少し太って見えました。そして、「あっなったーは、とくーべつーなっ、おっとっこのーこー。わったっしーを、自由にできーるー。」と歌っていました。
 それを観た瞬間、私は「あれっー?」と感じました。多少テレビカメラのレンズが被写体を歪めているのか、それとも、多少テレビのブラウン管が映像をふくらませているのか、実像とは少し違って見えました。それまで、私は、テレビの映像は、実物をありのままに映すものと思っていました。しかし、テレビの映像の小泉今日子さんと、昨日博物館で見た実物の小泉今日子さんとでは、顔が同じなのに、全体の印象が違っていました。テレビのほうが、ちょっとウソをついているように思いました。そういうこともあるのだ、ということを、若い私は知りました。
 その後の小泉今日子さんの芸能界での活躍は、みなさんがご存知のとおりです。博物館で実物を見た後も、私は、テレビの歌番組などで、小泉今日子さんをよく見かけました。その歌う曲が、自然と耳に残ってしまいました。私のヘタな耳コピ―で申しわけありませんが、そんな奇妙な曲たちの触(さわ)りを以下にいくつか記述してみました。
 「せっつっな〜ぃ、片思い。あなたは、気づかーなーいー。」とか、「あなたにー会えてー、よかぁ〜たね、きぃーと、わたしー。」とか、「なんてったってアーイドール。私はアイドル。」とか、「あで姿、ナーミダむすーめっ、色っぽいねっ。」とか、「なーぎさのハイカラにんーぎょ。」とか、「じゅんじょう、あいじょう、かじょーに、いーじょう。」とか、「ヤマト―ナデーシコ、しちへんげぇ。」とか、「夜明けのミュウ。きみが泣いた。」とか、「きょーおーも、赤いリーラの花、髪にー刺してー待ーつーの。」とか、「アンドローラ、テレパシーぃ、かんじーるぅー。」とか「スターダストメモ―リィ、忘れなーいーでいて。ほっしっくずーが、舞い降りーてーくる、こーのーよるーをー。」とかいう感じでした。
 何度も言いますが、私は小泉今日子さんのファンになったこともなければ、現在ファンだというわけでもありません。しかし、普通の興味はあったと思いますし、今でもその程度の興味はあると思います。きっと、それは、今から34年前に、上野の森美術館小泉今日子さんを実物で見て、普通の娘さんだなと感じたことが、大きく影響していると思います。
 普通の精神状態で、相手と対面したことにより、相手だって、自分と同じ血の通っている、長所も短所もある普通の人間なのだとわかったのだと思います。それによって、相手に対して、嫌な思いをさせたり、迷惑になる行為をしたりしてはいけないという普通の人間の意識、あるいは、普通の人間の持つ緊張感が私には生まれたようです。あの頃の博物館における、そのような私の体験は、今になってみると、何か意味があったような気がします。