私のプロフィール 博物館学を勉強していた本当の理由

 二十歳を過ぎた頃の私は、大学で英文学の専攻のほかに博物館学芸員資格取得のための授業に出ていました。私の文学部の同級生には、本が好きで、図書館司書の資格取得のための授業を受ける人が少なくありませんでした。が、なぜか私は博物館に興味がありました。
 私が初めて博物館に興味を持ったのは5歳の頃で、父親に上野の国立科学博物館国立博物館東京国立博物館とも昔は呼ばれていました。)に連れて行かれました。当時は、小人の料金が前者は50円、後者は10円でした。
 当時の私の記憶をたどってみると、国立博物館は歴史の古いものばかりで、5歳の少年の心を引き付ける物はありませんでした。埴輪や石のやじりを見ても、江戸時代の着物を見ても、私は余り感動しませんでした。一方、国立科学博物館は、陳列ケースに入った紫水晶の大きな結晶がとてもキレイで、これを欲しいと思いました。また、本館5階にあった中南米のインディアンの少女の首のミイラは、見れば見るほど気味が悪くなりました。それは、テレビ番組などで見る包帯だらけのミイラとは違って、包帯など巻いていなくて、乾燥して実際の人間の頭より小さくなっていました。
 その後、小中高大の学生時代にたびたび入館して、30代の頃には、会社でこの2つの博物館向けにポスターや展示パネルや看板などのデジタル印刷をする仕事に関わったりしていました。
 私は、特に社会教育に興味があったり、それに関わる環境にいたわけではありません。ボーイスカウトに参加したこともありません。私の父は、後楽園遊園地や谷津遊園地に連れて行くのと同じように、ただの娯楽として上野の博物館に私を連れて行っただけなのです。私が、これらの博物館から教えられたことは、生涯教育的なものでもなく、骨董品などの金銭的な価値でもありませんでした。今の私の日常生活には無い不思議な物を、この場所で(つまり博物館で)発見する不思議さを知ったのだと思います。
 しかしながら、それが博物館のことを熱心に勉強するきっかけになった、というわけではありません。確かに、博物館自体は面白かったのですが、それを取り巻く学問的知識が面白かったのです。博物館学芸員資格取得のための授業のいくつかに出席しているうちに、その面白さに引き込まれてしまいました。東洋美術史の授業では、仏像の歴史を一通り学びました。みうらじゅんさんの仏像鑑賞を知る以前に、仏像についてのいろいろな知識を知っていました。それで、そのすごい価値を知って、怪人二十面相が仏像を盗もうとした理由がわかった気でいました。また、文化史の授業で貨幣(お金)の歴史を学びました。現代人の生活は当然お金が無ければ成り立ちませんが、地中海貿易でフェニキア人が物々交換で貿易を行っていた以降に、貨幣(お金)という便利なものが発明されたという研究に、私はすごく興味を引かれました。貨幣(お金)の本当の便利さを知ることは、多くの現代人にとって必要なことです。お金の本質を知らないで万能主義に陥りやすいことを多くの人が知って欲しいものです。
 ところで、私は博物館学と博物館実習の授業を鶴田総一郎という博物館運営論で有名な先生に学びました。博物館学の授業で、博物館を運営するために必要な知識を学び、博物館実習の授業でその実践を『新しい博物館づくり』というテーマで行いました。先生の実家は農家で、先生の教えには百姓としての考え方が強く根づいていました。学芸員は、自分自身でできることは、業者に外注しないでなるべく自分自身でやるべきだと、先生はおっしゃいました。例えば、展示パネルは、ディスプレイ専門の業者に制作を委託するのではなく、パネルに書く内容をよくわかっている(その博物館の職員である)学芸員が制作するべきだ、ということでした。
 百姓もまた、なるべく他人を雇わずに(つまり、他人の手を借りずに)自らいろんなことをしなくてなりません。それゆえ、百の姓があるから百姓と呼ばれます。その精神とやり方を、博物館の学芸員が持てば、経費が節減できて、しかも、実質のある展示・教育活動ができ、そのための研究活動も、それに必要な資料の収集・整理保管活動も充実して、博物館が新たに運営できるという考えが生まれます。
 この考え方に従えば、博物館学芸員の資格取得者は、既存の博物館・美術館などの募集人員の1000倍の採用競争率といった狭き門を当てにして苦悩しなくても、自ら館長となって小規模な博物館を運営できるかもしれません。もちろん現実の博物館経営は、そんなに甘くはありません。しかし、このような人生へのアプローチの仕方は、会社に雇用されることが当たり前になっている今の社会に、なんらかの意味を教えてくれるような気がします。博物館は、『ひと』を雇用するためにあるのではなく、『ひと』が運営し『ひと』が見に来て利用するためにある、というのです。
 以上、私が二十歳を過ぎて勉強していたことをちょっとだけ書いてみました。鶴田先生は、私が博物館学を熱心に勉強している(ちゃんと授業に出席している)のを見つけて、私にこんなことをおっしゃいました。「君は、そんなに博物館学を熱心に勉強して、どこかの博物館にどうしても勤めたいのかね。」先生は、私のマジメさに感心して、声をかけてくださったようでした。博物館や美術館の職員に採用されることがかなりの狭き門であることが、その言葉の背景にありました。「そういうわけではありませんが、(博物館学の)授業が面白いからです。」と私は答えました。
 実は、私が博物館学芸員の資格取得のための授業に出席していたのは、実利の無い目的があったからでした。人から笑われるのを覚悟で申し上げます。この資格は技能資格であり、この資格が無いとこの職に就けないようなものではありません。いわゆる免許ではありません。もともとは資格より、博物館に関する知識が私には必要でした。博物館がどのような仕組みで成り立っているのかを私は知りたかったのです。当時の私は、アニメおたくで『ルパン三世』が好きでした。つまり、私はルパン三世のように、博物館に忍び込み、己がコレクションのために盗みをしたいと思っていました。それが、二十歳を過ぎた私の『格好いい』将来への願望だったのです。
 結局その不純な願望(純粋でない願望という意味です。)を果たせませんでした。鶴田先生の博物館学の授業を受けているうちに、その願望はなくなりました。その願望が実行不可能であることを授業で知ったからです。
 例えば、価値のある本物の美術品があるとします。しかし、それが『もの』であるかぎり、時間の経過と共にそれは古くなり、風化していきます。そこで現代では、そのレプリカ(偽物)を作って展示室に陳列することが多いのです。ルパン三世や二十面相が、博物館の展示室に颯爽と忍び込み、お宝を奪うというのは、まさに漫画家や作家の想像の産物となりつつありました。その一方で、本物は、古くなり色あせて、かつてのような本物の輝きや価値を失ってしまいます。調査研究的な価値はあっても、見た目はタダのがらくたと同じになってしまうのです。ここに、本物よりも偽物に見た目の価値を認めざるおえなくなります。本物を盗むにしても、偽物を盗むにしても、どちらも満足は得られません。事実、現代の博物館や美術館では、前述の少女のミイラのような本物を展示していることは少なく、そのかわり、本物よりも『よく出来た』精巧なレプリカ(偽物)や模型と、イラストや写真や映像や説明パネルなどの人工物で展示されていることが多くなりました。
 しかしながら、鶴田先生の授業で私が学んだことは、それにだけにとどまりませんでした。一般教養として数学や物理学を学んでいた私は文学部英文学科に籍を置いていましたが、一方、鶴田先生は「物に即して、物に触れて、物を扱いながら考えてきた」理工系の人間でした。ですから、考え方が文系らしくない文系の私は、授業で示される先生の考え方にたやすく影響されて共感できたのかもしれません。(そのかわり、当時の私は女子大生には全くモテませんでした。先ごろ深夜のテレビで『モテキ』を見ましたが、学生時代にあんな感じだったらよかったかなと思いました。)
 博物館実習で歴史学科や哲学科や経営学科の人たちと一緒に実習をしましたが、彼らがムードやイメージから考えに入っていくことに対して、私は違和感を感じていました。私は、目の前にある物に即して考えていくタイプになっていました。目に見えないムードとか、頭の中にあるイメージや想念が支配する文系的な考えが苦手であることを、その時の私は知りました。そんな私も十代の若い頃には、ムードとか想念とかに支配されていたはずなのですが、大人になるにつれて、それとも、それでは世間に通用しないと考えるようになったせいか、いつの間にか考え方が変わっていました。