少年は見た!幻の恐竜公園

 これは今から44年も前のことです。その夏、私は長野県篠ノ井の近くに住む親戚の家へ、母に連れられて行きました。そこには私の母の妹さんが住んでいて、近くにあるという温泉と公園に連れて行ってくれました。
 その温泉があった場所は、地面が茶色ではなくて白い色をしていました。雪が無いのに、夏でも白く見える小さな山々があって、中尾山という、そのような山の一つに行くと、松仙閣(しょうせんかく)という温泉宿がありました。そこに立ち寄り湯がありまして、温泉に入ることができました。また、当時は、武田信玄上杉謙信の直接対決を絵にした大きな看板が屋外にあって、訪れた人の目を引きました。
 それ以来、そこに行ったことはありませんが、『お見合い風呂』なるものがそこにあることを、今から10年前頃からウワサで聞いていました。私の聞いた不確かなウワサによれば、男風呂から女風呂は覗けないものの、女風呂から男風呂を覗けるそうで、女性がお見合い相手の男性を品定めすることができるというものでした。私は、男風呂と女風呂とが偏光板に仕切られてでもいるのかなあ、と勝手な想像をしていました。先日、テレビ番組で紹介していたその温泉の様子を見て、本当はどういうものなのかを知ることができました。また、後でインターネットでも、同じようにそれを紹介している写真を見つけました。とにかく、そういうものだ、と納得しました。
 そこには、茶臼山(ちゃうすやま)という名前の山もありまして、やはり遠くから見ると、山肌が夏でも白く見えて、雪が積もっているように見えました。その白い土質は、石灰質なのだそうです。台所で使われるクレンザーを作るのに使われていると聞きました。しかし、そのような土質のために、山肌がもろくて、地滑りがおこりやすかったそうです。ネットのホームページによると、そうした地滑り跡地から今から30数年前に作られたのが、現在の茶臼山恐竜公園なのだそうです。
 当時11歳の少年だった私は、「地元で話題の恐竜公園という所へ連れて行ってくれる。」と聞いたので、「長野県の中に、そんなところがあるのかな。」と、行く前に少し疑っていました。そして、実際に行ってみたら、不思議なことがいくつかありました。第一に、恐竜のレプリカがどこにも見当たりませんでした。それが一つも無かったのです。『恐竜公園』という名称は、人を呼び寄せるための偽名であって、不確かなウワサにすぎなかったのかと、思いかけたその時に、高い木々の合間から巨大な構造物が現れました。
 その鉄棒や鉄板で組み上げられた、空を見上げるほど高い構成物は、一つの巨大な滑り台でした。多くの子供たちが、長い階段を登って行き、それよりもはるかに長い、しかも傾斜のある滑り台を順番に滑って行く様子が眺められました。子供たちの通路は、鉄棒と金網に囲われていて、不意な転落を防いでいました。私も、その滑り台に登って、滑り降りたのですが、一回だけで勘弁させてもらいました。それが、本物の恐竜を目にするくらい怖かったのは言うまでもありません。
 子供が滑り降りる傾斜の部分を、首の長い草食恐竜の背中と考えれば、その滑り台全体を巨大恐竜に見立てることができます。つまり、それは、「小さな山々と木々で囲まれて一匹の巨大恐竜がいる。」という風景に見えることから、地元の人たちから『恐竜公園』だと口々に言われるようになったと、推測できるわけです。
 もちろん、その巨大な滑り台は、子供たちが遊ぶのには危険な場所に見えたため、撤去されて、跡形も無くなってしまいました。現在の茶臼山恐竜公園のホームページを見ても、その巨大な滑り台があったことは記述されていません。私の記憶の中にある、今は幻のようなものとなってしまいました。
 しかし、現在の茶臼山恐竜公園には、数多くの恐竜のレプリカがあります。また、恐竜と滑り台を結びつける発想があったことをうかがわせる、その形跡も残されています。さらに、(そこの茶臼山だけが特別ではありませんが)地滑りの跡地の傾斜を活用して、ゆるやかで長い滑り台もいくつか作られています。
 従って、私が少年の頃に知っていたその場所は、時間が過ぎて廃(すた)れていくのではなくて、時間に合わせて変化していくように見えました。単なる幻として消えていってしまうのではなくて、何らかの形で残っていってくれたのは、私にとっては喜ばしく思えました。