洋画を観るのはムダではない

 最近、スピルバーグ監督の最新作『ウエストサイド・ストーリー』が上映されるという情報を知りました。スピルバーグ監督といえば、『未知との遭遇』『E.T.』『インディージョーンズ』シリーズや『A.I.』などにみられるように、SFやSFXっぽい映画の監督のイメージだったと思います。そんな監督が、なぜアメリカ版『ロミオとジュリエット』的なミュージカル映画を今回制作されたのか、と不思議に思う人も少なくないと思います。
 そんな人のために、私は一つの説を示しましょう。かつて1961年に公開された『ウェストサイド・ストーリー』は、ロバートワイズ監督によるものでした。ロバートワイズ監督といえば、『アンドロメダ...』というSF映画の監督としても有名でした。つまり、ロバートワイズ、スピルバーグ両監督は、共に『ウエストサイド・ストーリー』というミュージカル映画を手がけていながら、SF映画も手がけていると言えましょう。それは両監督にとって、宿命と呼べるものだったのかもしれません。これは、あくまでも私の憶測の域を出てはいませんが、少なくとも私にはそう思えて仕方がないのです。

 ところで、その『アンドロメダ...』(1971年公開)という映画の原題は”The Andromeda Strain”でしたが、当時はその’Strain’を邦題に訳すことがうまくできなかったようです。新型コロナウィルスのパンデミックが起きた現代だからこそ、’Strain’を変種とか、変異株という日本語に翻訳して意味が通じます。けれども、当時の日本はそうではありませんでした。私が日曜洋画劇場でこの映画を観ていた頃は、「ウィルスの変異株」などと言っても、一般的には何が何だかわからず理解されなかったと思います。つまり、『アンドロメダ...』というのは、仮に現代的に日本語に訳すと『アンドロメダ変異株』だと思いました。デルタ株やオミクロン株くらいにコロコロ変異して、それだけ危険なウィルスがこの映画に登場する、というふうな意味が付加されて面白いと、曲りなりにも私は思っていました。
 しかし、今回改めて映画の内容を観ると、そんな私の憶測とは全く違うものでした。地球上の生物と成分は同じものの、アミノ酸とは全く違う構造の結晶体型生命体でした。それが自力で増殖する、つまるところ、地球上の生命体とは全く違う『変種』で、宇宙細菌、すなわち、地球外に生息している『菌株』生命体として描かれていました。だから、『アンドロメダ宇宙変種菌株』が、映画のタイトル訳としては相応(ふさわ)しいわけです。けれども、それでは、研究所内でその正体をあれこれ探っていくドラマの緊迫感がなくなってしまいます。「何が何だかわからないウィルス的なもの」という意味を匂わせて、『...』としたほうが映画的な謎と凄さを観客・視聴者に与えられると意図したことがうかがわれます。なお、ハヤカワ文庫SFの翻訳小説(1976年出版)のタイトルでは『アンドロメダ病原体』とされていたそうです。
 映画の本編では、その『アンドロメダ...(the Andromeda strain)』と呼ばれる宇宙菌株が、最初から何が何だかわからないために研究所内を混乱させて、人類を滅亡に導くほどの大惨事を招きそうになります。それを一つ一つの科学的な検査と考察をもとに解消していく科学者たちの努力と苦労が劇的に描かれます。その間にいろいろあって、映画の最後の最後までわからないストーリー展開となります。当番組を解説の淀川長治さんも、「この映画を最後までご覧なさい。」などと、おっしゃっていらしたと思います。

 本ブログ記事の主旨を、元に戻しましょう。このSF映画を観たことのある人は、そのロバートワイズ監督が『ウエストサイド・ストーリー』というミュージカル映画の制作をも手がけていたことに、一種の不思議を感じたはずです。もちろん、ジャンルに縛られない自由さと言ってしまえば、それまでです。しかし、そうではなくて、アメリカ的なフロンティア精神(開拓者精神)からすれば、そのようなことは、むしろ当たり前で茶飯事のことだったのかもしれません。それが当たり前すぎて、そのせいで取り残されるのは、日常生活に意識が固執しがちな私たち庶民のほうばかりなのかもしれません。

 さて、日曜洋画劇場に言及したついでに、もう一つの近未来SF映画を紹介いたしましょう。『ミクロ決死圏』(1966年公開)という映画です。この映画の原題は”Fantastic Voyage”と言います。『奇想天外な探検旅行』とでも訳せると思います。’voyage’などというと、普通は、宇宙旅行とか惑星探査や探検など、未知の世界を求めて地球の外へ向かいがちです。ところが、この映画では、小型潜水艇とその乗組員たちを極秘に時間限定でミクロに縮小して、血管などの人体内を通らせるという、まさに奇想天外な内容のストーリーでした。赤血球や白血球、神経などの各種細胞や、血小板や抗体などの物質などが、劇中で巨大化あるいは凶暴化して登場します。もちろん、彼らと潜水艇は異物の侵入と見なされて、白血球や抗体などの免疫機能から襲われます。
 少し話が脱線しますが、最近の私は、行きつけの歯医者さんで歯と歯茎の治療を受けました。その時に使われたのが、レーザー光線のメスでした。この映画の劇中でも、患部にレーザー光線を照射して、焼き切って破壊するなどというシーンがあります。すなわち、映画は想像上の空想世界であっても、そこで登場するのは、実際の科学技術や科学的知識に基づくものだということです。
 また、この脱線のついでに、もう一つ述べておきます。私は、前々回のブログ記事で、人の免疫機能について書いてみました。、高校生物の学習参考書を頼りに勉強してから、私なりにまとめてみたわけです。しかし、机上の理屈あるいは絵空事(えそらごと)としてではなく、あくまでも現在の確からしい科学的知見をもとに、現在わかっているかぎりの知識の範囲で考察をすすめてみました。そのおおもとのイメージとしては、『ミクロ決死圏』のような映画の影響が少なからずあったと言えましょう。すなわち、人間の体内を探査・探検するようなつもりで、その免疫のメカニズムを追っていったと見なしてよいと思います。

 以上、今回は、『アンドロメダ...』と『ミクロ決死圏』という2つの映画を私が過去に観ていたことを述べてみました。いずれも、テレビの日曜洋画劇場などにおいて、それぞれ何度か観ていた映画作品でした。繰り返し観ていたわりには、全体のあらすじをよく覚えてはいません。幸い、最近では、地元のレンタルDVD屋さんで借りて鑑賞することができます。こうした映画は、全体のあらすじを覚えるよりも、一つ一つの映像シーンから抜粋して、見所を発見することに関心が向きます。
 そして、いずれの映画についても言えることは、映像化が困難な内容を表現するために、映画撮影という手段によって果敢に挑戦していることです。もちろん、フィクション(虚構)ですから、科学空想的あるいは妄想的な部分も、あってしかるべきでしょう。でも、最も肝心なことは、観客や視聴者を刺激して、イメージ化と共に生ずるその『好奇心』を育てることにあると思います。そこに、この手のSF映画が大衆映画となりうるわけもあると言えましょう。したがって、この手の洋画を観ておくことは、誰にとってもムダではないと、私は思います。