逆?胸キュンシーンの謎

 先日、2月下旬に東京の実家へ行く用事がありました。私の母から要請があって、東京の実家のガス管の改設工事に立ち会うためでした。それで、3日間ほど、東京の実家に泊まっていたのですが、急な環境の変化に慣れていなかったせいか、午前3時過ぎに目が覚めました。私は、枕元に置いていたワンセグ携帯テレビを観ようとして、それを手に取って、スイッチを入れてみました。
 すると、あの若手女優の大政絢(おおまさあや)さんの顔がアップで画面に現れたのですが、口から牙(きば)をむいて「くわ〜っ」とやっているシーンを、私は見てしまいました。実は、これはテレビ東京の『ヴァンパイア・ヘヴン』というドラマの再放送を、夜中の午前3時過ぎにやっていたものでした。私が見たのは、第9話の冒頭部分で、大政絢さんが扮する女のヴァンパイア(吸血鬼)が、好きになった男の若者の首筋に、血の跡を見て、人間の血を吸いたい衝動が我慢できなくなりそうになる、というシーンでした。
 それは、長野県のテレビでは、おそらく放送できそうにないシーンでした。もともと東京生まれで東京育ちの私には、都会人としての免疫があったので、それほど恐怖を感じませんでした。それどころか、まだ暗い夜中に一人でいきなり見て「面白い」とか「メイクがかわいい」とか思ってしまいました。
 そんな私を変と思われるかもしれませんが、おそらく、吸血鬼のメイクをして、口から牙をむいている大政絢さんに、一瞬、年甲斐もなく好意を寄せてしまったようなのです。たまにTBSテレビの『初耳学』で彼女を見ることはありましたが、普通の若いお嬢さんとしか見えなかったため、何とも思っていませんでした。
 もともと、この『ヴァンパイア・ヘヴン』という番組は、平岡祐太さんが扮する肉食男子「隼人(はやと)」が、見た目は若い女性のヴァンパイア「桜子」と「小町」を胸キュンさせる、その胸キュンシーンが売りもののドラマでした。本田翼さんが扮する、もう一人の見た目は若い女性のヴァンパイア「小町」にしても、篠井英介さんの『悪い伯爵』の役にしても、見た目が漫画チックで、それほど怖くはありません。夜中にやっていたドラマにしては、おどろおどろしくありませんでした。恋愛に関心があって、ちょっと怖いもの見たさの女性視聴者が、ドキドキして見てしまいそうな深夜のドラマでした。
 そのようなテレビドラマの、人間ではない吸血鬼をいきなり夜中の映像で観て、私は何か心に感じるものがありました。そこで、いわゆる『胸キュンシーン』とは真逆だったそのシーンに、なぜ私は魅惑されたのかということの、その謎に迫ってみたくなりました。それが本当はどのようなものであったのかを、自己分析してみることにしました。
 果たして、私は、このドラマに登場する美男美女のモデルさんたちに憧(あこが)れていたのかと申しますと、必ずしもそうではなかったようです。私はどちらかと申しますと、いわゆる『いも姉ちゃん』のほうに味方してしまうようなタイプなのです。
 それでは、なぜ非人間的な吸血鬼に魅かれるのか、話が矛盾しているじゃないか、と批判されそうですが、それには事情があります。小学生の頃にテレビで観た、いわゆる『ドラキュラ映画』の影響が私にはあるのです。あの頃は、夏休みになると、夜の9時に始まるテレビの洋画劇場で『ドラキュラ映画』を観ていました。当時は、都会の熱帯夜の暑気冷ましのために、テレビで定期的にやっていたようです。
 『ドラキュラ伯爵』という吸血鬼に扮した役者のクリストファー・リーさんが、ほとんどいつも主演でした。どの映画も、演技やストーリーや背景のパターンがほぼ決まっていました。また、吸血鬼ドラキュラ伯爵の髪型と衣装のスタイルが、いつもほぼ同じでした。必ず、若くて美しい女性がその犠牲になるのですが、ドラキュラ伯爵に見つめられると彼女は金縛りになります。そして、その首筋に、口から牙をむいたドラキュラ伯爵が噛みつくシーンが、必ずありました。彼女は血を吸われ過ぎて、やがて命を落として、吸血鬼になってしまうのでした。そして、映画の最後には、ドラキュラ伯爵がその弱点(太陽の光や十字架など)をさらして、人間に退治されてスカッとするシーンが必ず用意されていました。そのように映画の大筋は、毎回、同じようなパターンだったのですが、なぜか恐怖のシーンが近づくと、そのゾクゾクした感じが視聴者の暑気を冷ましてくれていました。
 従って、私は、大政絢さんに憧れたのではなくて、彼女の演じた吸血鬼のそのメイクとか衣装とかを「かわいい。」と思って、その完成度にゾクゾクさせられてしまった、ということなのです。番組を制作する側は大変だったでしょうが、吸血鬼ものを観る側にいた私としては、かつての『ドラキュラ映画』で感じられたような、おどろおどろしくないゾクゾクした感じが味わえたと思いました。
 余談ですが、『甘噛(あまが)み』に関連して、少し触れておきます。このドラマのオープニング曲中に「甘噛みしたい」という歌詞が出てきます。まだ歯がそれほど強靭でない子犬や子猫に、人間が手などを噛みつかせて、じゃれさせることを、甘噛みをさせると言うと思います。ですから、普通は吸血鬼が甘噛みをするというのは変なのです。けれども、犬や猫の牙(きば)とも見える鋭い歯が、吸血鬼の牙と同じイメージでつながると、それほど変ではないと感じられます。ただし、変であろうとなかろうと、吸血鬼が甘噛みしたいという発想は、面白いことに変わりはないと思います。
 ところで、「あなたの性格は、ネコに似ているか、イヌに似ているか。」という質問が時によってありますが、私の性格はどちらかと言うと、ネコに近いと思います。最近は空前の猫ブームで、猫を飼いならすことが流行っているようですが、自称ネコ人間の私としては、猫も犬も飼うのが苦手です。(私自身、誰かに飼われたりするのが苦手です。)
 ですから、人間に慣れて飼われている猫を見ると、不思議に思えて仕方がありません。猫は、本当に人間の思いどおりになれるのか、それが疑問でならないのです。それは、私自身の以下の体験からもそう言えます。以前、お米の入った袋の上に、野良猫の親子が乗っかっていたので、追い払おうとしました。その時に、私はその親猫に威嚇されました。
 その時の様子が凄かったことを、今でもよく憶えています。エドガー・アラン・ポーさんの短編小説に『黒猫』という作品ありますが、それを読むと、黒猫が『魔女の生まれ変わり』だという言い伝え通りの恐怖を感じさせる存在であることを、私は理解できました。その時に私が威嚇された親猫も、体の大きな黒猫でした。その全身が、黒い毛の生えた固まりになっていて、その中心に逆三角形に近い口が開かれていました。2本の白く尖った牙が、その赤い口の両端に突き出ていました。そして、それは、シャーァーという声を出して、その場の空気を緊迫させて、私に飛びつこうと狙っているかのように見えました。
 このように野良猫には、狩猟本能があって、相手を近づけない怖さがあるのです。最近その猫を見かけなくなりました。どこかへ行ってしまったようです。しかし、その牙をむいた恐怖のイメージは、いつまでも脳裏に残っています。私のほうから猫に近づいて戯れたいとは思いませんが、あの黒い野良猫の威嚇の形相は、不思議な実在感と魅惑を感じさせます。きっと、そのゾクっとする恐怖と魅力が、今回、偶然私が深夜のテレビの中で観た、吸血鬼の若い女性の姿と重なってしまったのかもしれません。