あるドラマの最終回に思ったこと

 前回の私のブログ記事にも書きましたが、去年の年末は、TBSドラマの『逃げるは恥だが役に立つ』が、確かに視聴率が高くて人気でした。けれども、私としては、テレビ朝日で去年の2月から3月にかけて金曜日の夜に放送していた『スミカスミレ 45歳若返った女』が面白かったと思います。
 秦基博(はたもとひろ)さんの歌った、このドラマの主題歌『スミレ』も、メロディーがさわやかで、なかなか良かったと思いました。同局の音楽番組『ミュージック・ステーション』で、主演の桐谷美玲さんをゲストに迎えて、秦基博さんがその曲を歌唱するのを、私はテレビで視聴して、心地よく思いました。
 このドラマの中では、主役の桐谷美玲さんと、同じ主役を演ずる松坂慶子さんとの入れ替わりで、映像にモーフィング(morphing)が使われていました。同一人物が45歳若返ったり、逆に45歳戻って年老いたりするところの、そのような映像化が、毎週観るテレビドラマの発想としては斬新だったと言えます。
 さらに、ストーリーの面から述べてみましょう。親の言うことに逆らえず、家族の介護と家事に追われて、自らの青春を犠牲にして、年老いて一人になってしまった主人公・如月 澄(きさらぎ すみ)の半生に、このドラマの視聴者は涙を誘われたと思います。及川光博さんの演ずる、黎(れい)という名前の、猫の化身、すなわち、『化け猫』によって、このドラマの主人公のお婆さんは、肌のピチピチした二十歳(はたち)の女性に若返るのですが、大学2年の真白さんという男性と恋におちいります。(その男性役は、あのNHKドラマ『美女と男子』でヒーローものの役者を演じていた、町田啓太さんでしたが、先のNHKドラマとは、少しイメージを変えていました。)見た目は二十歳でも、心は65歳の自身のままなので、恋愛に対して臆病になってしまい、化け猫の黎にしばしば叱責されるという、物語のパターンでした。
 このドラマは、明らかに恋愛ファンタジーであり、途方もなく大きなハッピーエンドが予想されていました。そして、それを期待する多くの視聴者たちの思惑通りに、超自然的ではありますが、幸せな大団円が最終回に用意されていました。薄幸のヒロインだったお婆さんは45歳若返って、その若い女性の姿のままで、今度こそ幸せな人生をやり直すことができるようになるという結末でした。そのファンタジックな結末によって、多くの視聴者たちは、安心して、スカッとした気分になったことでしょう。
 しかし一方、私の本音としては、暗くて惨めで残酷な結末を、このドラマの最終回に期待していました。なぜならば、私自身の若い頃(すなわち、私の青春時代)は、将来に対する期待よりも不安により多く苛(さいな)まれていたからです。このドラマを観ていた私は、それが恋愛ファンタジーであることをいつしか忘れていました。ラストシーンで若さを確実に取り戻して、光の輝きに包まれたヒロインの姿に、何か将来的に不確定なものを、私は個人的に感じ取ってしまったのです。私の、人生に対するその疑い深さに呆(あき)れていただいてかまいませんが、その瞬間に何か心に引っかかるものが私にあったのは事実です。
 私は、このドラマの最終回をテレビで観ていて、不思議なことを発見しました。それは、ラストシーンで若奥さんとなった主人公の桐谷美玲さんよりも、結婚式のシーンで白いウェディング・ドレスを身にまとった松坂慶子さんのほうが、より美しく輝いて見えたということでした。物理的には、前者の桐谷美玲さんのほうが、まぶしい光に包まれた撮影であった分、映像的により輝いていたはずです。ところが、私の抱いた印象では、年老いた松坂慶子さんがバージン・ロードを行進する姿のほうが、人間として生き生きとしていて、その心持ちが光って見えたのです。
 もちろん、それは私のただの勘違いだったのかもしれません。けれども、どうしてそんなふうに感じたのかを、私はここで説明せずにはおれないのです。私は、先に申しましたとおり、このドラマの最終回が、悲観的な結末を迎えることを期待していました。化け猫の黎(れい)にどんなにけしかけられようとも、主人公は、決して若さに未練を持つことなく、つまり、年老いたことを悔いることなく、人生を終わらせることを自ら選択すると、私は思っていたのです。要するに、大人の気持ちとしての最終的な決断をしてほしいと、私は願っていたわけです。
 このドラマのヒロインは、45歳若返って、失われた青春時代を取り戻して、若い素敵な男性と恋におちいりました。実際的な話として、薄幸のヒロインの気持ちとしては、それで十分だったのではなかったのでしょうか。そうした恋愛などの体験や思い出が、このドラマのヒロインの心の中(うち)に綺麗なままで残ってくれるだけで、それで十分、幸せでよかったのではないのでしょうか。
 私の意見としては、このように思うのです。相手との恋愛が、無理に結婚にまで発展しなくも、いいんじゃないかな、と思うのです。恋愛が結婚に結びついたとしても、その先に必ず幸せが待っているとは限らないと思うからです。恋愛でせっかく一致した男女の心が、結婚生活で少しずつその心と心の間に亀裂が入って、ズレていくことは珍しいことではありません。やがて、それは性格や価値観の不一致となって現れて、男女が別れる原因となるのです。だから、恋愛した相手と是が非でも結婚しなければならない、ということは本当はないと思うのです。そうしなければならないと思うのは、一種の成果主義だと思うのです。運命を決めつけられて、人生の面白味がないと思います。
 昔、誰かが同じようなことを言っていたかもしれませんが、次のようなふうに、このドラマのヒロインは決断していたかもしれません。45歳若返って体験したことは一生の思い出にして、つまり、綺麗なままで残して、それを冥土の土産にして、人生から旅立とうと考えたかもしれません。よって、その人生を終わらせる直前に、結婚式に白いウェディング・ドレス姿で歩むシーンとか、本当に好きな人と結ばれるシーンとかを持っていきたいと考えるわけです。それが、例え頭の中の夢に過ぎなかったとしても、人生最高のシーンが人生の最後にイメージできるとしたら、人として、これほど幸せなことは他に無いのではないかと、私は想像するのです。
 人は、どんなにその生涯が惨(みじ)めであっても、その心の持ち次第で、幸せに人生を終えることができるのかもしれません。不幸な人生を呪ったり、悲しみにただ暮れるのではなくて、そんな人生の深い知恵みたいなものを知ることができたらいいな、と思います。そんなことを、こうしたテレビドラマの中から読み取れたらいいんじゃないかな、と私は、一人勝手に思っているわけです。