卒業写真の『あの人』について

 先日、私は『私結婚できないんじゃなくて、しないんです』というテレビドラマの最終回を観てしまいました。その中でユーミンさんの『卒業写真』という歌が、映像のバックに流れているシーンがありました。
 最近、私は、毎週そのドラマで再現されてきた主人公の高校時代の回想シーンや、あの有名なバラエティ番組の『胸キュンスカッと』のコーナーに刺激されて、私自身の高校時代の思い出を書いてみようと画策していました。そこで、私の母校を1979年(昭和54年)3月に卒業した時に渡された卒業アルバムを引っぱり出してきて、3年のクラスごとの卒業集合写真に見入っていました。
 私の通っていた高校(東京都立足立高校)は、当時は男女共学で、どのクラスも男子と女子が半数ずついました。現在の母校は制服が決まっているそうですが、当時は服装が自由でした。また、当時は、K.T.さんやK.I.さんがまだ有名人として知られていませんでした。よって、学歴社会から落ちこぼれてしまう不安や、社会的地位が定まらないことに不安を抱きつつも、私を含む同級生たちは、自立を志して日々学園生活を送っていました。
 簡単に言って、そんな雰囲気の高校だったので、卒業アルバムのクラスごとの集合写真を見ると、各人の服装とかが千差万別で、高校生なのかどうかよくわからないという印象を受けます。それは、各人の性格とか個性とかが、服装や態度に剥(む)き出しに表れてしまうことを意味していました。
 しかし、それにしても不思議だったのは、それほど各人の身なりがバラバラで、年頃の男女が入り乱れていたはずなのに、在学中の3年間に一度も恋愛沙汰や性犯罪的なトラブルがあったと聞いたことが無かったということです。もちろん、人間ですから、相手を好きになるとか、誰かに恋をするとかはあったとは思いますが、男女交際をしているカップルさえ、学校内外で見かけたことがありません。
 生徒会に強い自治権が認められていたとか、(一生徒であることにこだわらずに)社会的あるいは合理的に物事を考える自由な雰囲気があったとか、そうなった背景をいくつか挙(あ)げることはできますが、実際のところはよくわかりませんでした。おそらく、子供と大人の中間に位置していた人間の集まりが、手に余る自由を与えられて、かえって自らを律する結果となったのかもしれません。
 ところで、私のいた3年4組の卒業集合写真を見ていたら、大変なことを発見してしまいました。確かに、ああいう奴もいたな、こういう奴もいたな、あんな男もそんな女もいたな、と思い出されるのですが、その中に一人だけ、ユーミンさんの『卒業写真』の歌詞にもあるように「卒業写真の面影がそのまま」で、私がよく見知っている人物がいました。
 ここまで書くと、100人中99人は、恋愛とかロマンスを思い描くかもしれませんが、現実はそんな甘いものではありませんでした。その卒業集合写真の下には、例えば、そこに写っている「2列左より」として複数の人物の名前が列挙されていました。写真の人物に当てはめて、その人物の名前を探ってみると、そこには私の名前が印刷されていました。つまり、卒業写真の『あの人』とは、私自身だったのです。
 今から10年ほど前に、こんなことがありました。私が、東京の実家の近くのショッピングモールを歩いていたら、5才くらいの女の子を連れた丸刈りのオジサンに「黒田くんじゃねえか。」と声をかけられました。私は、その声の主を見て、誰なのか、全くわかりませんでした。「S井。S井だよ。」とその見知らぬ中年男性が言いました。その苗字を聞いて、やっと相手が誰だかわかって、「あっ、S井くんかぁ!ずいぶんと久しぶりだね。」と、私は何とか言葉を返すことができました。
 S井くんと言えば、高校1年の時に隣のクラスで、男子の体育の授業が一緒になった時に知り合いになった友人でした。彼は、容姿と言動がタレントの所ジョージさんにそっくりで、もじゃもじゃな髪の毛の、低い背丈の(つまりチビな)、子供っぽい所ジョージさんという感じでした。空手部に属していて、誰とでも友達になるタイプの、人当たりの良い青年でした。高校3年の時には、私と彼は同じクラスでした。
 それが、30年近く過ぎると、あの頃の面影が全くない、見知らぬオジサンになってしまったのです。ちなみに、その時の彼の言葉によれば、私の姿を見て、すぐに私だとわかったそうです。とすれば、私は、40代後半になっても、高校時代とそんなに顔かたちが変わっていないことになります。確かに、高校時代の私は、高校生としては地味で、少し老(ふ)けて見えたと思います。けれども、見かけが余り変わらないというのは、ちょっと恥ずかしい気がしました。
 今回私は、37年ほど前に受け取った高校の卒業アルバムで、37年前の私自身の姿を見て、そうした出来事と同じように愕然としてしまったのです。よくアンチエイジングだとか、45歳若返ったとか、良いイメージでとらえていることが世の中では多いようですが、現実はそんな甘いものではない、と私は思います。『私結婚できないんじゃなくて、しないんです』というテレビドラマ風に申しますと、20代から30代の女性からは同年代の男性であるかのように勘違いされて、40代の女性からは年下の男性であるかのようにみられてしまいます。結局、恋愛でもお見合いでも女性からは馬鹿にされて相手にされず、「男の私は結婚しないんじゃなくて、できないんです」と言わざるを得ないのです。
 まあ、この問題は、『物は考え様(よう)』ということだと思います。私の亡くなった父よりも、そんな息子の私のほうがましだったようです。私の父は「結婚して幸せになった」というのではなく、「結婚できて幸せだった」だけのようでした。
 もともと、私が見かけ上、若く見えるのは、私の父からの遺伝なのです。そういう遺伝子を父から引き継いでしまったのです。私には、どうすることもできません。
 しかし、そこには大きな落とし穴があって、私は気をつけています。私の父は、見た目が若いことに油断してしまいました。気だけは若かったつもりでも、生活の不摂生と仕事の無理がたたって、体の内臓はボロボロになってしまい、65歳の若さで亡くなってしまいました。私は、父のしくじりを教訓として、毎年、定期的な健康診断を受けるようにしています。見せかけだけの若さよりも、定期検診の数値のほうを信用するようにしています。
 あと、私の年代には、同期会とか同級会というものはありません。私の同級生は、社会人としてやっていくのに精いっぱいで、母校の過去を振り返る余裕など無かったのです。かと言って、いまさら同級生に会う気もありません。会ったところで、私などは、見知らぬオジサンやオバサンに囲まれて、彼らの勝手にイジられるだけです。「黒田、久しぶりだな。」とか「黒田くん、全然変わらないね。」とか言われるだけだと思います。「黒田さん、昔と見かけが変わらない。」とか「黒田。お前、どこか体が変なんじゃないか。」とか言われて、心配されるだけだと思います。
 そう考えると、一生、同期会とか同級会とかには出たくないな、と私は思ってしまうのです。「人ごみに流されて、変わって」いったはずなのに、余り見かけが変わらない私自身が一番いけないのだと思います。卒業写真の『あの人』は、やはり変なのかもしれません。
(上記のブログ記事についての、下記の私のコメントもお読みください。)