私のプロフィール 足立体育学校と呼ばれたわけ

 私は、東京の都立高校の普通科で学びました。中学校の偏差値で言えば中の上レベルの生徒が進学していた高校でした。ところが、当時の私にとっては、その学校はいくつかの点で普通の高校とは思えませんでした。
 まず、当時の都立足立高校は学校の制服が自由でした。つまり、私服で学校へ来てもいいよ、という校則でした。しかし、私が入学した当時、この校則ほど親などの大人からの風当たりが多く、私自身戸惑いを覚えたものはありませんでした。なぜならば、当時の東京都では、制服が決まっている学校のほうが制服の自由な学校よりも、真面目で勉強ができる生徒が多く、生徒全体の学力がずっと上であると、みんなに思われていたからです。(一方、私が聞いた噂では、長野県では事情は現在でもその逆だそうです。地元の上田では、勉強のできる人ほど制服が自由な高校へ行けるそうです。勉強ができない人は、決まった制服を着なければいけない高校へ行かされる、と私は聞いています。)
 高校時代の私は、学校へ何を着ていけばいいか、その自由さのゆえに迷いました。人間は、突然自由になるとかえってどうしていいかわからなくなってしまうものだということを、その時私は思い知りました。学校で制服が決まっていれば悩む必要がなかったことを、若い私は高校の三年間悩み続けました。何か重い責任のようなものを常に感じて、結局誰が見ても無難な服装を心がけるようになりました。(それと比べると、現在の地元の高校生の私服の着こなしのセンスの良さには感心します。たまたま私は目にしただけですが、とても高校生には見えませんでした。都会で言えば、専門学校生か大学生並みの服装のセンスの良さでしょう。若い頃の私のダサい姿を思い出すたびに、あれぐらい若くなれたら私も見習ってみたいなと思う位うらやましかったです。)
 私の高校時代、この自由な制服の校則以上に戸惑ったことがありました。以前このブログで書いたことがありますが、体育科の先生の力が強いことへの疑問でした。私の高校は、その近所にある同じ都立高校と比較されることが多く、その高校から見れば学校全体の学力が劣ると見られていました。事実相手の高校には、お医者さんのOBが多数いらして(つまり、大学の医学部を卒業できるような秀才かつ経済的に裕福な卒業生が多くいらして)、私の高校との格の差を見せつけていました。彼らの目が光っていることに(その相手の)学校側も敏感であったため、大学受験の勉強一本に全力を尽くしていました。それにひきかえ、私の高校は、一応進学校ではあったものの、学力が上の高校にはかなわないと悟ってか、体力で学力を補う教育方針のようでした。少なくとも私たち男子の生徒たちはそう感じさせられていました。
 N先生は、男子の体育を担当している、30代の、私の通っていた高校の体育科で一番若い先生でした。一番若いだけに血の気が多いというか、『小僧』のような私たちがダラダラしていると、よく叱られました。例えば高校に入って最初の男子の体育の授業では、「体操着に着替えるのが遅い!休み時間の5分以内で着替えて来い!」と言って、着替えと、校舎と運動場の往復を何度もさせられました。N先生はストップウォッチを持っていて、5分以内に着替えて運動場に戻ってこないと、服を着替えてもどってこい、とその男子にやり直しを命じました。私も三往復ほど、着替えのやり直しをさせられました。こんなふうでしたから、私と同学年の男子は、生徒同士で暴力や喧嘩をする人間はいても(実は私もその一人になったことはありましたが)、高校の三年間で誰もN先生に本気で逆らう人間がいませんでした。それくらい、都立足立高校の体育科の先生の教育は徹底していました。
 また、当時は、校長室のすぐ隣に体育科の先生のための研究室があって、中で一つのドアでつながっていました。あくまでも噂ですが、なにか重大なトラブルがあると生徒はそこに呼び出されたようです。以前のブログで、長距離走の授業のために生徒たちの早弁を学校側に認めさせたことを書きましたが、それくらい体育科の先生方には学校内での権限や力があったようです。
 それほどまで、学校側が体育科の先生の権力を認めていた背景には、それなりのわけがあったようです。ただ単に校内暴力を取り締まるという目的だけではなかったようです。前の中学から偏差値の真ん中くらいで来た青少年に、それほど心の荒んだ不良がいたとは思えません。私の同級生は、中学時代のいわゆる『はすっぱ』の不良に比べたら、比較的心の穏やかな人物が多かったと思います。すると、今になって別の考えが私の頭に浮かびました。
 私が高校に入る10年前に学園紛争がありました。(北野武さんの年代の近くがそれに当たっています。)学校側は、学園紛争で学校内がいろいろと混乱したことを教訓として、不健全で身勝手な生徒を学校から卒業させないために、対策をとったものと思われます。「健全な肉体にこそ健全な精神が宿る」ではないかもしれませんが、大人と子供の中間地点にある青少年の心と体を、外からうまくコントロールしようという意図が学校側にあったようです。
 私は、その是非がどうのこうのと言うつもりはありません。ただ私の若い頃に、こんなに難しいことに挑戦していた大人たちがいたことを事実として述べたかっただけです。何処でもどんな時代でも、人間の社会やその制度というものが完全だとは言えません。その不完全さに腹を立てて、テロを起こす人間だって必ずいると思います。ですから、いくら世の中自由だ、自由だと言っても、このようなコントロールが必要なのかもしれません。大人たちが彼ら自身や家族の生活の安定のためだけに、学校の職員(地方公務員)をやっているのではないということを、もっと10代の青少年たちはわかるべきではないか、とそのことから思うのです。
 私は、高校一年の文化祭で、(校内の文化部で部員数が一番多かった)演劇部の劇を見ました。同級生のT君の脚本と演出による劇で、若いヒロインが「私は牙を抜かれた狼だ。」と言って自らリストカットする悲しいものでした。私は、その劇を見た後、わざわざ楽屋へ行って「内容がすごくよかったよ。」とT君に賞賛の言葉をかけてきました。(その後T君は、全校生徒の心をつかんで生徒会長に選ばれました。)生徒の青少年の側も、そのコントロールに少しは気づいていたようです。しかし、社会がそうだから、という半ばあきらめにも似たムードで、本気で抵抗しなかったようです。まさに、『牙を抜かれた狼』として自らを認めていたわけです。
 悪言になるかもしれませんが、それはブータンの国王のように言うならば『角を抜かれた龍』ではないかと思います。若い人の抵抗や反抗が社会的に悪いイメージになってしまうのは、それだけの抵抗や反抗をする仕方にセンスが無いからだと思います。大人が突きつけてきたことに対して、それを上回るセンスの良さで返すことが、若い人たちに求められているのではないでしょうか。(などと言う私だって、若い頃はひどかったと思います。若い頃はまだまだ経験不足であること、各人の心の中の龍にとってはまだまだ栄養失調であることは否めません。)