私のプロフィール 15歳の思い上がり

 最近15歳の少年が起こす事件やその言動に、一般の大人がたじろいでいるように見えます。しかし、私の意見をストレートに言わせてもらえれば、たじろぐ必要はないと思われます。なぜなら、それは、公共の場でのモラルや感性の欠如、人間としての未熟さが表れているにすぎないからです。つまり、自己中心的にしか見えません。そしてまた、最近の大人は子供に甘いな、と感じます。
 私が子供の頃は、お巡りさんや親やお年寄りに注意されたならば、叱られても穏やかに言われても、その程度に関わらず相手の話を理解して、いけないことは止めようと思いました。周りの人に迷惑がかかると感じたら、冷静になって悪いと思ったものです。自ら悪いと認めるわけですから、つらいのは当たり前です。そうした反省ができないと、誰かが困っていることにいつになっても気が付けない人間になってしまうと思います。
 そう言う私自身も、15歳の頃に納得のいかない思いをしたことがありました。私の場合、どういうわけか小学校の6年間と中学2年まで、クラス担任の先生が女性でした。ところが、中学3年になってから男の先生がクラス担任になりました。しかも、その先生は、体育の先生でちょっと怖そうな感じがしました。それまでの私は、女性の先生に、若干、甘やかされていたのかもしれません。男の先生の担任になって、少し緊張していました。
 にもかかわらず、その先生は、クラスの生徒全体を見渡して、こう言われました。「お前たちは、基本的な生活習慣ができてないな。」その言葉を聞いて、私たち生徒の側は、声に出して反発はしなかったものの、みんな、あ然としていました。
 これまで15年間を生きてきて、もうすぐ義務教育を終えようとしているのに、こんなことを言われるなんて何事だ。そんな基本的人権を尊重しないような言われ方を、学校の先生にされるなんて、あんまりだ。子供と大人の中間にいて、これから大人になろうとしているのに、今になってそんなことを言われるなんて不当だ、ひどいじゃないかと、15歳の私は思いました。
 しかし、この私の考え方が15歳の思い上がりであったことが、後々わかることとなりました。ただし、それは急にわかったわけではありませんでした。社会に出て大人の世界を知って、あるいは、20歳、30歳、40歳になるにつれて、人前で迷惑や失敗を重ねていくたびに、他人から言われて少しずつわかってくることだったのです。
 ですから、青少年の頃から、完成した大人の心ができるなどということは絶対にありません。どんなにお金と時間をかけて教育されたとしても、それは不可能なことなのです。
 だから、私は若い人たちに言いたいのです。いくらコンピュータなどの機械が操作できるからと言って、決して、あなた自体が人間として習熟したわけでも偉くなったわけでもないのです。そうした機械の力に助けられたからといっても、あなた自体が人間として完成したわけではないのだと気づいてください。
 いくら社会が成熟したからといっても、おぎゃと生まれた時点で完璧な人間ができることは、100%ありえません。悲しいことに、人間は死ぬまで一生勉強なのです。本当に自分自身を大切にしたいのならば、若い頃から思い上がってはいけないと思います。大人の言うことには、謙虚になりましょう。