はしかの記憶

 今どき、こんな話題を取り上げるのは、時代錯誤もはだはだしいと思われるかもしれません。興味のない人は、もちろん読んでもらわなくてもいいと思って書いてみました。『はしか』というのは、現在インターネット上の説明では、麻疹(ましん)ウィルスによる急性熱性発疹性感染症だそうです。私は、小学校2年生の頃に感染発症して直りましたが、こんなものものしい名前が付いている病気だとは知りませんでした。

 当時の東京の学校では、4月から6月くらいに大流行して、多くの子供たちが『はしか』にかかってしまいました。けれども、周りの大人たちは、慌てるどころか皆けろっとしていて、「子供のうちにかかっておけば、免疫ができて、たとえ大人になってかかっても重症にならないんだよ。」と私たち子供に言って聞かせていました。彼ら自身、子供の頃に『はしか』を経験していて、子供からうつされることはなかったのです。そんな大人の言うことを聞いていたので、『はしか』にかかって、急に高熱が出ても、腕や頬にブツブツができても、体がだるくなっても、それほど心配になったり、怖くなったりしませんでした。

 私は、乳幼児の頃に日本脳炎ジフテリアのワクチンを接種したことがありますが、当時はまだ『はしか』のワクチンが一般的に接種されていなかったと思われます。当時の『はしか』のワクチン接種は後遺症が残るということで、一般に普及していなかったのだそうです。したがって、『はしか』が一回流行すると、大流行して子供たちはほとんどみんな『はしか』にかかってしまいました。

 当時私が通っていた小学校は、東京都の下町の、さらに下町(足立区)の公立小学校でしたが、新学期が始まって間もない頃に、まず5、6人の欠席がありました。そのうち欠席者が少しずつ増えて、10数人の空席ができました。2,3週間ほどすると、最初に欠席したうちの2,3人のクラスメートが教室に戻ってきました。私は、かれらの誰とも親しくなく、少し離れて彼らを見ていました。彼らは、『はしか』から快復したと言われていましたが、病み上がりで頬にまだブツブツが残っていました。それを見て「大丈夫かな?」と私は神経質にも思っていたのですが、間もなく私も『はしか』に感染発症して学校を1カ月近く休むこととなりました。

 当時私の東京の実家は、『はしか』に感染発症する可能性のある子どもは、私と、幼稚園の妹と、2歳の弟でした。結果的には、私→妹→弟の順で、時間差で一人ずつ発症しました。家事をしていた母にとっては、一人ずつの発症だったので、それほど負担はかからなかったようです。

 空き部屋があったので、そこに布団を敷いて寝かされました。体にブツブツが出て、熱が38度から39度近くまでありました。それで体がだるかったので、「寝て安静にしていなさい。」という母の言葉に素直に従って、2、3週間何もしないで寝ていたと思います。窓から光は射すものの、テレビも何もなく、天井の木目ばかり見て、布団の中で大人しくしていたら、あっという間に2、3週間が過ぎてしまいました。私の母が三度の食事を お盆で運んでくる以外、家族の誰とも接触しませんでした。

 それから間もなくして、幼稚園に通っていた妹が隣の部屋で『はしか』にかかって安静にしているのがわかりました。その頃、学校からもクラスメートが二人くらい来て、宿題のプリントと給食の食パンとジャムとマーガリンを持って来てくれました。おそらく、お見舞いと病状をうかがいに来たのだと思います。しかも彼らは、近所の友人ではなく、『はしか』が終わって回復したクラスメートでした。おそらく、クラスの担任の先生の指示で、宿題と、給食の一部を持ってきたのだと思います。それから二週間くらい、ゆっくりと体が回復してきて、熱も次第に下がってきました。体のブツブツも、きれいになくなりました。学校を休んで、四週間半くらいで、教室に無事に復帰することができました。

 私の記憶では、高熱は出たものの、自宅の一人部屋で絶対安静にして十分に睡眠と食事をとらされたために、大事に至らなかったのだと思います。体に抵抗力が付いて、免疫ができるまで四週間以上もかかりました。が、大人になっても、一度も『はしか』にかかっていません。よく大人の『はしか』は重篤化すると言われていますが、子供の頃に感染発症後に十分気をつけることは、『はしか』に関しても重要と言えます。

 私の学校や学年やクラスで、結局みんな『はしか』から快復したという記憶から、私は先日、母に「あの頃の『はしか』は、ちゃんと安静にしていたので大したことなかったね。」と話したら、意外なことを母から聞かされました。「実はね、あの頃(の日本で)、『はしか』の流行で命を落とした子供も何人かいたんだよ。」と母から教えられました。私は、そういう不幸な死亡リスクを少しも考えていなかったので、そんな私自身を恥ずかしく思いました。