「楽しい!」か「やばい!」か

 今朝たまたまテレビをつけていたら、日テレの『ZIP!』という番組で、『これから予報ComingSoon(カミング・スーン)』というコーナーに目が行きました。先週の番組放送では、巨大ウォーター・スライダー『スライド・ザ・シティ』を体験した人たちに、その直後の感想を聞くことになっていました。「滑り終わった後の第一声で一番多い言葉は『楽しい!』になります。」というような予報・予想が、マイスター・桝(マス)から出されていました。その賭けに乗るか(のりマス)、はたまた降りるか(おりマス)、という2択を番組出演者たちおのおのが選んでいました。
 先週の土曜日(つまり、この賭けの翌日)に、その『スライド・ザ・シティ』の全長300m直線コースを多くの参加者が滑り抜けたそうです。いろんな第一声が聞かれたそうですが、結局一番多かったのは、『やばい!』でした。そして、番組中の意見としては、若い年代の参加者が多かったからではないか、という説明がされていました。
 実は、私は、今回のマイスター・桝(マス)の予報・予測には、最初から乗っていませんでした。恐らく『やばい!』のほうが多いんじゃないかな、と思っていたからです。なぜならば、それなりに理由がいくつか考えられたからです。
 まず、『やばい!』という言葉が若い人たちの間で流行っているという、感覚的(フィーリング的)に明らかな理由が考えられます。ただし、この理由は当たり前すぎるため、あえて度外視したいと思います。それでも、別の理由がいくつか考えられます。
 まず、巨大ウォーター・スライダーを滑るのは楽しかったことは楽しかったのだが、その気持ちの片隅(それも、ほんの片隅)に、滑るスピードが速くて危険を感じたり、あるいは、スリルを感じたりしたはずです。恐らく滑るスピードは、このイベントの参加者にとっては、個人的に、自由にコントロールできなかったと私には思われました。
 さらに別の視点からすれば、例え滑るスピードを個人的にある程度コントロールできたとしても、多くの参加者がそれを阻(はば)んでいたと想像することができます。すなわち、スピードを出しすぎれば、前に滑っている人にぶつかってしまい、スピードを落とせば、後ろから滑ってきた人とぶつかってしまうことを少なからず意識してしまったはずです。実は、私は30代前半の頃、後楽園(東京都文京区)のローラースケートリンクでよく滑っていました。慣れれば何でもないことですが、周りで滑っている人たちにぶつからないように、多少注意して滑るスピードを調節していました。
 確かに、他人を一切気にせず一人で楽しんだとするならば、『楽しい!』と言うはずです。周りの人たちなど居る居ないに関係なく、個人的に楽しめればその一言で十分だったはずです。あるいは、危険やスリルを多少感じても、『楽しい!』って言ってしまう人も少なくないと思います。
 しかし、その反対に、楽しいけれども、ちょっと怖かったり危険に思ったりスリルを感じたりしたらば、『やばい!』と言ったほうが周りの人たちと実感を共有できるのではないかと考えられます。巨大ウォーター・スライダーを滑ったという実感が「やばかった」と思い、そう伝えるほうが、沢山の参加者たちの中の一人として、共感されやすいような感じがすると思います。つまり、自分自身の気持ちが、多くの他者から共感されるように伝わるということは、現代社会においては意外と重要なことなのかもしれません。