『えび天』で一番印象に残った映像作品

 前回の記事でイチロー選手の話題を取り上げましたが、彼の奥さんと言えば、元TBSアナウンサーの福島弓子さんでした。彼女が、新人アナウンサーとして三宅裕司さんとMCをつとめていた番組と言えば『平成名物TV 三宅裕司のえびぞり巨匠天国』(通称『えび天』)でした。あの頃三十歳だった私は、土曜の深夜にビデオデッキにその番組を録画しながら観ていました。
 マンガ『沈黙の艦隊』をパロディーにした実写版『沈没の艦隊』とか、粘土やCGを全く使っていないアニメーションの『PULSAR』とか、竹下監督一人ですべての登場人物を演じてしまう『竹下パフォーマンス 秘技 水戸黄門』とか、あまりに短い時間の映画だった『ばくはつ五郎』とかが思い出されます。中でも、佐藤義尚監督の『POWER』や『PAPERS』などは、モノクロなのにそのアイデアに興味をそそられる映像作品だと思いました。
 私は、福島弓子さんにはそれほど興味がなかったので、前川衛監督の『仮面ライダーV3 ”華麗なるsay good bye”』について、当時はそれほど評価していませんでした。しかし、五十代を過ぎた今になってみると、それを評価できなかった三十代の私がちょっと恥ずかしく思われました。審査員の方々のその映画に対する高い評価が、三十代の私には、残念ながら余り理解できなかったようです。
 今の五十代の私ならば、その短編映画が、映画音楽のリミックスがきれいに出来ていることに見られるように、映画としてしっかりとできていること、この監督の小道具(黒板消しや帽子など)の扱い方がとびぬけて上手いことなどがよくわかります。審査員の一人で、あのハイパー・メディア・クリエイターの高城さんが言われていたように「何とも言えない謎のスケール感」に、この監督の独創性が感じられます。また、審査員のうちの一人であった市川森一さんが言われていたように、「(作品を通して語られる愛とか優しさで)福島さんの氷の(ように冷たい)心を溶かして涙に変えてしまった」ということに尽きると思います。つまり、この作品における仮面ライダーV3は、通常のテレビで悪い怪人を倒す正義のヒーローではなくて、人の心を助ける目的で現れて、些細なことに手を差し伸べる(違った意味での)正義のヒーローでした。軟弱な、生ぬるい描き方・作り方ではあっても、なぜか観る人を感動させてしまう不思議な映画であることを、私はこの年齢になって改めて知ることとなりました。
 実は、この『えび天』という番組を通して、私が一番印象に残った映像作品が他にありました。それは、藪下秀樹監督の『春のめざめ』という作品でした。主人公が、彼女とのデートの日に目覚めると、今まで何の変哲も無かった日常生活が、突然すべて変なことになってしまうという内容でした。「藪下監督だったら、日常生活でそんなことをしているんじゃないか、日常生活で本当にそういうことをやっていそうだ。」すなわち、その『春のめざめ』の映像のように日常的に奇異なことをしていても不思議ではない人である、みたいなことを審査員の一人から言われていたと思います。当時の私はと言うと、藪下監督の言動や表現を奇異には思いませんでした。最近のネットを見てみると「藪下監督らしい狂気」とその表現スタイルを評価されていたそうですが、私はそのようには思っていませんでした。
 藪下監督自らが演じるこの映画の主人公が、デートで待ち合わせた彼女と会った時、彼女もまた衣服を上下逆さまに身につけていました。しかも、逆立ちをしていました。主人公はそれを見て、自らも逆立ちをするのでした。そして、この映像の最後のシーンは「いいじゃないの、幸せならば」というテロップに変わりました。
 つまり、私たちは、「ありふれている」と思い込んでいた日常の中で、自らの描いたイメージに合わないことに出くわしても、その現実を受け入れていかなくてはならないことがしばしばある、ということなのです。ひょっとすると、思い通りにならないことばかりなのかもしれません。しかし、そのような現実の世界を生きていくためには、たとえどんなに変なことが起きようとも、意にそぐわないことがあっても、それに多少の違和感をおぼえても、その現実から目をそらしてはならないのです。それらに対してこみあげてくる感情を我慢して、冷静に(もしくは、き然として)それらを直視していかなければならないのです。そう考えてみると、藪下監督の映像表現は、単なる『監督の狂気』として片付けられないように私には思われます。その『春のめざめ』の内容が、人生の一面、もしくは、幸せの本質について教えてくれていたような気がします。