『皇帝のいない八月』という日本映画

 終戦の日ということで、最近テレビを見ると、いろんな趣向の番組を見かけます。私が子供の頃は、終戦の日特集で満州事変から日中戦争とそして太平洋戦争の始まりから終戦までの映像を順に追っていく特番を毎年テレビで見ていました。学校の授業でやらなくても、しっかり歴史認識を教え込まれていました。がその後、そうしたテレビの特番は左翼的な傾向があるということで余り放送されなくなってしまいました。本当に左傾化していたのか、ということには疑問が残ります。そのことについては、別の機会に説明したいと思っています。
 私としても、『終戦の日』にまつわるいろんな話を紹介したいところなのですが、今回はその中の一つに絞ってみようと思います。1978年公開の『皇帝のいない八月』という日本映画です。
 私がこの日本映画を観たのは二十代の頃だと思います。それ以前に、十代後半の頃にこの映画の試写会の評価を某新聞の映画欄で見かけたことがありました。その記事を書いた人は、この映画の主旨を余り真面目に取らなくて、「渥美清さんは出演しているものの、自衛隊員役はすべてコメディアンにやらせた方がよかっただろう。いかりや長介さんに反乱分子の隊長役をやってもらいたかった。」などと述べておられました。
 しかしながら、渡瀬恒彦さんの隊長役はなかなかクールな目線だったし、自衛隊員のみならずヤクザでも愚連隊でも、恐れおののいて彼の命令に従うような感じに見えました。彼の命令に従って、どんな残虐なこともしそうな感じでした。まさに、軍国主義と独裁主義と封建主義の塊(かたまり)として表現されていました。
 この映画のヒロインを演じた吉永小百合さんは美しすぎました。その元恋人で記者役の山本圭さんが、彼女の目の前で言った次のような一連の言葉に、私はびっくりしました。「死にたければ、勝手に死ね。自分一人で死ね。オレは、迷惑だ。…それとも、自分一人で死ぬ度胸もないのか。」とか「命をかけるとは、必死になって生きることだ。(死ぬことではない、という意味。)」と、ヒロインの今は夫である自衛隊長を前にして、他の自衛隊員に銃を構えられた状態で、彼はその言葉を言い切ったのです。現実には、相手にカッと来られたら、問答無用で銃殺される状況だったと思います。フィクションには違いありませんでしたが、山本圭さんのそのようなセリフに私は目が覚める思いがしました。
 この映画の監督をつとめた山本薩夫監督は、渡瀬恒彦さんの熱演に押されて、山本圭さんの演技がかすんでしまったように述べられています。しかし、若い頃の私にしてみれば、山本圭さんの演じる民間人のそのような言葉には、すごい勇気が込められていると思われました。私をも含めて、自衛隊員に銃を構えられた状態で、そんなことを言える度胸など無く、その自衛隊長の命令に無条件で従ってしまうのは明らかです。たとえ思想的に右翼でなくても、命欲しさに武力に屈するしかないと思われます。
 アジア人の私たちは、どうしても個人主義というと、それを社会悪のイメージで見てしまいます。我がままで自分勝手な『個人』の言動を批判する側にまわりやすいと思います。(だから、中国が未だに人権問題で苦労している理由もわかります。)それは、『個人』として未熟であることに、私たちは未だに気づいていないということなのです。私自身これまでの人生で、身勝手な『個人』たちに嫌というほど苦しめられてきました。この映画の自衛隊員の思いもよくわかります。けれども、その映画の中で、山本圭さんのそのセリフを聞いて、そのままではいけないということに気がついたのです。今日がたまたま『終戦の日』だからって言うのもおかしな話なのかもしれませんが、「仕方がないから」とか「どうしようもないから」という言いわけで人生を終わらせることは、亡くなられた多くの人たちの供養にならないどころか、失礼なことと考えられます。彼らのそうした思いや困難を現在を生きている私たちが乗り越えてこそ、本当の供養になるのではないかと考えられます。