アンダー・コントロールをめぐっての問題点

 英会話にせよ、日本語の会話にせよ、会話と言うものは難しいものです。たかが会話、されど会話だと思います。当たり前すぎて、学校教育や家庭教育で軽視されてきた経緯が、私たちの国にはあると言えます。ネットばっかりやっていると、顔と顔をつきあわせて、肌で直接相手の言葉を感じることが少なくなりますから、その悪い傾向はさらに加速されてしまうかもしれません。おそらく国語学者の嘆くこととなることでしょう。
 私の実家でも、よく親子の間で話の行き違いが起きます。そのために長い時間を話し合いに費やして、挙句の果てに「なんだそんなことだったのか。」とか「この点は、親と子の立場や考え方の違いでどうしても分かり合えないのだな。」とあきらめるしかないことを知るのでした。
 先日のオリンピック招致プレゼンテーションのスピーチで、安部首相がおっしゃられた"the situation is under control."をめぐって、日本国内で賛否が問われていると思います。「(福島の)状況は制御下にある」と簡単に日本語に直訳されています。しかし、安部首相は日本語で我々日本人に直接それを言ったわけではありません。日本にいるジャーナリストの方々や福島の現場のエンジニアの方々は、そのことを踏まえて以下の私の説明を冷静に聞いて頂きたいと思います。
 私は安部首相をかばう意図はもともとありません。結果として、彼を擁護する立場と同じになってしまうかもしれませんが、それが今回の説明の主眼でないことをあらかじめ明らかにしておきます。翻訳上の問題としては、その直訳のみでは言葉が足りないと思われます。「(汚染水問題などで予断を許さない福島の)状況を(今後、例え何が起ころうとも、現在の国家の責任者である私は、私自身の責任の範囲内で)コントロール下に置いています。」くらいに、日本語に翻訳して欲しいものです。カッコ内は、その場の言葉で直接表現されていませんが、安部首相のスピーチを聞いていた外国人に周知の情報だったと思います。
 よく私たち日本人は、安部首相は日本の事情を何も知らない外国人をだまして「福島原発の状況は制御下にある」と発言したと考えがちですが、それは違うと思います。攘夷の思想と言うのでしょうか、それとも戦前にアジアの外国の人々を下に見ていた習慣が、現在の私たち日本人の頭の片隅にわずかに残っていることの証(あかし)なのかもしれません。
 つまり、あの外国人への安部首相のスピーチの言葉は間違いではなかった、という考え方も成り立つと思うのです。汚染水処理の問題で、その場にいた外国人誰しもが、福島原発の安全性に不安を持っていて、その影響がオリンピック開催候補地であった東京に及ぶかもしれない、いくら福島原発が東京から距離があると説明されたところで、誰も何もしなかったら、何が起こるかわからない。
 もしも、安部首相が"the situation is out of control(状況は制御下にない)"などと言ってしまったら、オリンピック招致に失敗するどころか、首相のクビが吹っ飛ぶことになりかねなかったと思います。そんな無責任な人間に、総理大臣の職務をまかせている日本という国、そして、日本国民は何て無責任なんだろう、と外国人は思うはずです。日本の国債だって、その価値を信用されなくなるかもしれません。つまり、安部首相は個人的な趣向で"under control"と主張したわけではないと思います。日本を背負って、全ての日本国民のためにそう言ったわけです。国家公務員は国民全体の奉仕者である、という日本国憲法の条文にあるように、それは至極当たり前のことだったのです。
 私は国家主義者でも右翼思想家でもありませんが、それくらいのことはわかります。「状況は十分な制御下にあるとは言えない」という日本の人々の主張を否定するわけではありませんが、安部首相のそのスピーチが間違っていたとも言えないと思います。