旧作DVD鑑賞会(2)

 今回は、まさかのまさかで『美咲ナンバーワン!!』というテレビドラマの旧作DVDを取り上げます。このテレビドラマは、2011年の1月から3月にかけてオンエアされていましたが、私は観ていませんでした。ただし、このタイトルのコミックスやテレビドラマがあることは以前から知っていました。香里奈さんの演じる、六本木のキャバクラ嬢No.1の主人公が高校の教師になって、落ちこぼれた生徒たちを引っぱって行くというストーリーを知っていたのだと思います。このようなドラマにありがちなストーリーだとわかっていたために、かえって、テレビのドラマを観ていなかったのです。それとも、私は、このドラマを一話も観もせずに、このドラマの内容をわかっているふりをしていただけだったのかもしれません。
 先頃、レンタルビデオ屋さんの旧作DVDのコーナーで、この『美咲ナンバーワン!!』のレンタルDVDを見つけました。しかし、一瞬、それを借りることを躊躇(ちゅうちょ)しました。くどい言いわけかもしれませんが、従来の似たようなドラマの単なる焼き直しだったら面白くないな、という気持ちが私にはありました。主人公の教師の設定以外が、月並みな学園ものの内容だったとしたら、きっと私は満足いかなかったと思います。
 そして、キャバクラ嬢が学校の教師になる、という設定自体、大人の常識から考えても非常識だと思いました。最近の風潮で、いくら民間から教育の場に活力を入れるとはいえ、これでは生徒に悪影響を及ぼすことは、目に見えて明らかなことです。それとも、純粋培養で真面目な『従来の学校教師』像では、今日の教育現場の荒廃に立ち向かえないとでも言うのでしょうか。私としては、そうした問題を深く考える前に、兎にも角にもこのテレビドラマを、レンタルビデオ屋さんの旧作DVDとして借りてきて、その内容を観てみることにしました。
 まず、音楽が主に、派手で快活で元気な感じがしました。また、ドラマ全体が、明るい視覚映像になっていることにも気がつきました。学校の教職員室の先生方が、意図的にコメディ・タッチで描かれているかのように思えたりもしました。こうしたことから、このテレビドラマが、ほとんどの視聴者には、ただ見せかけだけが楽しい、コメディタッチの学園ドラマに見えてしまったのかもしれません。しかし、このテレビドラマに視聴者が正しく向き合うためには、どうしても見落としてはならない『ある一つの視点』が必要だったのです。
 この『美咲ナンバーワン!!』というドラマは、いわゆる「答えがわかっている」大人の視点で見ると、全く面白くないのです。このドラマについての批評で、「つまらない。」という視聴者の感想がありました。ワルや落ちこぼれがそう簡単に更生するわけないじゃないかとか、だいいち彼らの周りにいる人間の評価がそう簡単に変わるわけないじゃないかとか、何事も世の中でうまくやっていければ彼らの気持ちが変わる変わらないなんて関係ないじゃないかとか、そのような大人の理屈をこのドラマに持ち込んで観てしまうのです。そういう視聴者にとって、このドラマがつまらなく見えるのは、当然のことと言えましょう。
 番組はかわりますが、某バラエティ番組の『胸キュン・スカッと』のコーナーのことを考えてみましょう。学生時代の恋愛の甘くほろ苦い体験談を、視聴者はそのコーナーで追体験します。そして、MCの内村さんと一緒に「あの頃に戻りてぇ〜。」と、視聴者は感じます。大人の視聴者のほとんどは、自身がこれまでがんじがらめにされてきた大人の常識から、少しでも解き放たれることを、そのコーナーに望んでいるわけです。
 この『美咲ナンバーワン!!』というドラマに関しても、何もかも大人としてわかっているという視点で観るよりも、劇中の彼らの立場になって、彼ら高校生の目線でストーリーを追っていくと、かなり楽しめると思います。大人として考えれば結論がわかりきっていることでも、彼ら若者の視点からすれば、この先はどうなるかわからないのです。そこに、ハラハラしドキドキするわけです。
 そこで、このドラマに登場する生徒たちの立ち位置を考えてみることにしましょう。彼ら高校生は、大人でもなく子供でもない、その中間の得体の知れない者たちと、大人の視点からは見られがちです。けれども、本当は、そう決めつけないで、もう一つの別の見方をしてみることが大切なのです。
 むしろ、彼ら若者は、大人の部分と子供の部分を併せ持っていると見るべきなのです。通常、私たち大人は、彼ら高校生を子供としてのみ、見てしまいがちです。それは、大人の立場上、仕方のないことです。けれども、この『美咲ナンバーワン!!』というドラマでは、彼らの大人の部分もしっかりと描いています。ある意味、彼ら若者一人一人を、個人として尊重して描いています。そうすることにより、『落ちこぼれ高校生』という差別的な見方を払拭(ふっしょく)しようとしているかのようなのです。(当然のことですが、従来の、大人としての立場を固持したい視聴者にとって、そうした見方は面白くないかもしれません。)
 そして、次に、このドラマの主人公である、天王寺美咲先生について考えてみることにしましょう。この先生の言動は、従来の学校教育の範疇(はんちゅう)をはるかに越えています。第2話で『社会見学』という言葉が彼女の口から飛び出して来るように、(日本ではあまり耳慣れていない)社会教育の範疇(はんちゅう)に足を踏み込んでいるのです。
 子供であると同時に大人でもある、現代の若者にとって、大人の社会をちゃんと知りたいと考えるのは、ある意味、自然なことなのかもしれません。いつまでも子ども扱いされずに、大人の仲間入りができる準備をしてくれることを、今の学校教育に求めているとも言えます。しかしながら、誰もそのことを教えてくれていないというのが、今の日本の現状なのだと思います。彼ら若者の抱く、大人への不信感というものが、その辺から出ていることは確かなのですが、ほとんどの大人(親や先生)はそのことに気がついていないと思います。
 それを、人間的かつ社会的な考え方で、美咲先生は解決していきます。人と人とが、互いの気持ちを伝え合い、理解し合うことの大切さを、美咲先生の言動からは知ることができます。その意味では、別のテレビドラマ『仮面ティーチャー』の主人公の荒木剛太先生の考えと共通しているところがあると言えましょう。
 私の考えとしては、美咲先生の言動は、必ずしも正しいとは言えない面、つまり、先生として未熟な面があると思います。しかし、そこが、模範的なロボットには無い、人間っぽさがあっていいのかもしれません。その服装は、男子生徒が目のやり場に困ってしまうようなものかもしれませんが、フィクションの中では、それも面白くていいのかもしれません。
 実は、私は、このテレビドラマを、これまでとは全く違う観点から好きになってしまいました。それは、『2年Z組』です。どういうことかは、また記事を改めて書こうと思っています。それは、私の高校時代のクラスの雰囲気にそっくりだったのです。このドラマの登場人物である、美咲先生や、桜井唯みたいな生徒はいなかったものの、『2年Z組』のような感じのクラスは実際にあったと、私は思うのです。そのことに親近感を覚えてしまい、意外なことに、このドラマを好きになってしまったのです。