"Melody Fair"を日本語カバーする

 ビージーズの『メロディ・フェア』("Melody Fair")って、どんな曲だったか、知らない人も多いことでしょう。ビージーズと言えば、『サタデーナイト・フィーバー』("Saturday Night Fever")を思い出す人は多いと思います。けれども、『メロディ・フェア』って曲は、意外と知られていないのかもしれません。ビージーズのファンだった年配のかたにとっても、それ程なじみがない曲なのかもしれません。
 この曲は、1971年の『小さな恋のメロディ』(原題は"Melody")というイギリス映画の挿入歌の一つでした。ビージーズの『オデッサ』というアルバム("ODESSA" 1969年)に入っていた曲で、同アルバム中の『若葉のころ』("First of May")という曲と共に、『小さな恋のメロディ』という映画の中で歌われていました。私が聴いて知っていたのも、その映画の劇中歌としてでした。
 ただし、ビージーズに関して、私はほとんど知らず、そのファンでもありませんでした。淀川長治さん解説の日曜洋画劇場で、子役のマーク・レスターさん主演のこのイギリス映画を何度かテレビで観たことがありました。その映画全体は日本語吹き替えでしたが、その劇中歌は英語で歌われていて、字幕で若干の日本語訳が付けられていました。
 よって、私がこの『メロディ・フェア』という曲の歌詞の内容を知っていたのは、その字幕の日本語だけでした。その字幕の翻訳が、フェーズごとの断片的な訳であったため、それ以上のことは私にはわかりませんでした。高校時代に、この映画のオリジナル・サントラ盤のLPレコードを買いましたが、英文の歌詞しか付いていませんでした。10代の私は英和辞典を引くことが得意でなかったので、曲のタイトルの『メロディ・フェア』の意味さえ知りませんでした。
 そんな私が40年近くの時を経て、再びこの曲と向かい合うこととなりました。辞書(小学館プログレッシブ英和中辞典)によると、'fair'という言葉は、古い英語の意味では「美しいもの、魅力的なもの、あるいは、美人」を指して使われ、そこから「女性、(女の)恋人」を意味するようになったそうです。とすれば、ここでは'Melody'という愛称みたいな名前で呼ばれる女性(もしくは少女)をさらに愛称を付けて呼んでいる、というふうに理解できると思います。あえて日本語に訳すならば、「アッコちゃん」や「しんちゃん」みたいに「メロディちゃん」にしてみたらどうかと私は思いました。
 このことは、意外と重要な意味を持っていました。というのは、曲中の歌詞で、"remember you're only a woman"とか"remember you're only a girl"と歌っているからです。直訳っぽく日本語にすると、「君が女性でしかないことを忘れないで」とか「君が少女でしかないことを忘れないで」となります。これは「女性蔑視」ではないかと、某団体から抗議されるかもしれません。
 しかしながら、私の解釈は違います。'only'という言葉には、確かに、物事を限定するというニュアンスがあるとは思います。でも、ここでは、もう少し違ったニュアンスで使われているように思われます。最近の例として、電車の女性専用車両には"Womem Only"という表示が見られます。それを男性に対する差別ととるか否かは別として、「女性専用」や「女子限定」の意味が「女性蔑視」につながらないことは明らかです。すなわち、"you're only a woman"というのは「君は女性なのだから何かしら得をしている」というふうに、少し違ったニュアンスを含んで意訳できると思うのです。
 すると、女性の愛称みたいな名前にさらに'fair'(その言葉の意味は上に述べました。)まで付けていることの意味が何となくわかると思います。きっとこの歌は、周りの目を気にしすぎて落ち込んでいる少女を励ましてヨイショしている歌であることに気づくと思います。「君は、女性(もしくは少女)に生まれてきて、こんなに得をしているんだよ。」と、この曲では語りかけてくれているのです。「髪の毛を櫛(くし)で梳(す)いただけで、君は美しくなることもできるだから」とこの曲のサビの部分は効果的に繰り返されます。だから、「女性(もしくは少女)であることを忘れないでね。」とこの曲のサビの部分は続くわけです。そのように、私はこの曲の主旨を理解しました。
 以上のことを踏まえて、私の作った日本語カバーを以下に見てみましょう。



   『メロディちゃん』


他人(ひと)の態度ばかり 見て泣いてる子
つらく思っていても 顔に出ちゃダメさ


(*)
メロディちゃん、その髪を
梳(す)けば キレイになれるよ
メロディちゃん、忘れないーでね 君だって…
忘れないで 他人(ひと)に好(す)かれてること



雨に濡れた窓辺 外を見ていた
メロディ、生きることは つらくない! 楽しい!


(* くりかえし)



他人(ひと)の様子ばかり 見てる女の子
顔に出さないでよ つらく悲しくても


(* くりかえし)



 実は、この曲の歌詞には難解な部分があります。言わば、翻訳者泣かせの箇所がいくつかあります。前述の"remember you're only a woman"もその一つです。私は、40年近く前に、LPレコードの歌詞カードで、この英語の歌詞で見ていたので、それほど奇異には感じていませんでした。一方で、ネット上では、この箇所を"remember you're only young once"という歌詞にしているものが見つかりました。どちらが正しいかはわかりません。ビージーズの歌声を聴いてみても、そこの所ははっきりしません。しかし、曲の主旨はどちらにしても、それほど変わらないと考えられます。
 それよりも、もっと大きな問題をかかえている箇所があることを述べておきたいと思います。"Looking at millions of signs"の"millions of signs"って何なのか、ということです。ネット上で調べたところ、人によってこの箇所だけ意味のとり方が違います。十人十色の翻訳がされています。いろんな翻訳がされていること自体には問題はありません。如何様(いかよう)にも文の意味が解釈されるために翻訳の決定稿が無く、その原因が、もともとの歌詞の内容があやふやでいい加減なのではないかと疑念を抱かせるところに問題があるのだと思います。
 歌なのだから、そこまで追求しなくてもいいのかもしれません。歌詞の意味内容よりも、言葉では理解できない音楽的なムードに価値があるのかもしれません。現に私は、40年近くこの曲の価値を、歌詞の意味内容を少しも知らずに認めてきたわけです。英語の歌には珍しく、この曲は、流れるようなメロディーライン(旋律)と、それに合わせた歌詞と、フラメンコ・ギターみたいな伴奏などで出来ています。そこに日本語の訳詞を付けるのは、最初は至難の業であると思っていました。でも、この曲そのものの意味内容を、今の私はもっと知りたいと思いました。そこで、この曲を日本語で歌えるように、あえて挑戦してみたわけです。
 もう少し言葉の意味を考えてみましょう。'sign'という言葉の意味は、主に、「合図」や、それを示す「身ぶり、手振り」、もしくは「(何かの)表れ、しるし、徴候」です。日本語でも、野球やバレーボールなどの「監督のサイン」や、身ぶりや手ぶりなどで「サインを出す」とか、子供から発せられる「SOSのサインを見逃す」などの用法がある言葉です。
 また、この曲中で考えられることは、次のようなことです。日本語で音楽の旋律を意味する『メロディ』(Melody)という女の子の名前にひっかけて、シャープやフラットなどの音楽的な符号や記号の意味での『サイン』(sign)を使ったともとれます。つまり、五線譜上で旋律(melody)が沢山の音楽の符号・記号に左右されて演奏されるイメージも含んでいる、というわけです。
 私としては、そのようなイメージも考慮しつつ、英語の辞書に載っていそうな例文を作って考えてみることにしました。
 Give him the sign to stop doing it. (あいつに、それをやめろと合図しろ。)
 He gave her the sign to stop doing it. (彼は、彼女にそれをしちゃだめだという身ぶりをした。)
 このように'sign'という言葉の意味と用法を考えてみると、この曲における"millions of signs"の意味は、「いやになるほど沢山のつっこみ(他者からの身ぶりや手ぶりで示される合図)」であると、私の場合は考えました。他者から「あれをしゃダメ。」「これをしちゃダメ。」と、身ぶり手ぶりでぞんざいに扱われる様子がうかがわれました。また、そのようなサインに目を向けてばかりいて、思い通りにならなくて落ち込んでしまう少女の姿が、私には心に浮かびました。従って、"the girl with the crying face looking at millions of signs"という英文の私の訳は、「他人(ひと)からの身ぶり手ぶりの合図に目を向けて(つまり、人の態度や様子を気にして)ばかりいる、泣き顔の女の子」となりました。
 次の小さな問題の箇所は、"Her face shouldn't show any lines"というフレーズにありました。私が40年近く前に買ったLPレコードの歌詞カードには、そのフレーズ最後の言葉の'lines'が'sigh'になっていました。ここが'lines'であると、『(顔の)しわ』もしくは『(涙の)あと』を意味します。一方、ここが'sigh'であると、『ため息』とか『嘆き』の意味になります。でも、ビージーズの歌声を聴いてみるとどちらともとれるくらい曖昧(あいまい)です。
 そこで、私は考えました。その箇所をビージーズがはっきりと歌わなかったのは、流れるようなメロディーラインにしたかったからです。それと同時に、その箇所は、聴き手にどう聴こえようと、さして重要ではなかったと言えます。それによって、この曲の主旨が間違って伝えられることはない、と彼らは確信していたのかもしれません。ここで伝えるべき重要なことは、「人生は競争だとわかっているゆえに、つらい気持ちになるけれども、それを顔に表してはいけないよ」という意味内容でした。私としては、彼女の顔に表れて欲しくないものが、顔のしわであろうと、涙のあとであろうと、ため息であろうと、嘆きの表情であろうと、何であろうと、それらをひっくるめて曲の主旨が伝わるような訳詞にしてみました。
 最後に、この曲の構成に関して触れておきます。映画の劇中歌では、1番と2番が歌われます。しかし、ビージーズが作った曲には、3番がありました。もっとも、その3番は、1番と同じ歌詞で、その繰り返しでした。その点について、私は次のように対処してみました。先に述べたとおり1番と3番のオリジナル英語歌詞は同じでしたが、伴奏が微妙に違うので、それに合わせて訳詞の日本語歌詞を変えてみました。表現する内容はほぼ同じでしたが、言い回しを微妙に変えてみました。