Koyote『純情』の日本語カバーに挑戦!

 Koyote というのは韓国の男女三人組のユニットで、私は1998年か1999年頃に、ケーブルテレビにおける衛星放送のアジアチャンネルで彼らを見たことがありました。それが、この『純情』という曲のミュージック・ビデオ(MV)でした。今でこそ、PSYさんの『江南(カンナム)スタイル』の乗馬ダンスが、YouTube動画サイトで世界的に有名になっていますが、既にその十数年前にKoyoteさんの『純情』という曲のMVで、その乗馬ダンスというものを私は知っていました。そのMVでは馬のイナナキも幾つか入っていたので、そのディスコダンスが乗馬ダンスになっていることが、それとわかるようになっていました。
 その『純情』という曲は、若者中心に人気のあったディスコダンス・ミュージックでありながら、そのライブ会場では老若男女が楽しめるような大衆的な感じの曲でもあったようです。日本で言ったら、『三年目の浮気』みたいな感じかもしれません。今まで男性上位の社会だったところに、女性の地位と力が少しずつ強くなってきた。そんな感じを、この曲の内容から受けると思います。この曲が歌われていた当時の韓国では、すでにその兆候が見え始めていたのかもしれません。
 また、この曲は、あの日本のDJ OZMAさんによって、見事に日本語でカバーされて歌われていました。そのミュージック・ビデオ(MV)も、既に制作されていました。ただし、DJ OZMAさんのバージョンでは、日本語の歌詞が、ハングル(韓国語)のオリジナル歌詞の空耳(そらみみ)風、もしくは、耳コピー風になっており、オリジナルの歌詞の内容とは若干違うものになっていました。当時はまだ、乗馬ダンスも日本にはなじみがなかったので、その騎馬民族的な文化を、農耕民族的な文化の日本にどう伝えたらいいか、ということに苦心されていたと思われます。ハングルと日本語との違いに関しても、同様な困難さがあったと思われます。ですから、DJ OZMAさんのヴァージョンは、それはそれで独立した作品としてよろしいのではないか、と私は思いました。
 私が最初にこの曲のMVを見た時は、アメリカ西部のカウボーイ(cowboy)の姿に似ていると思いました。馬上から投げ縄をして、牛の首などに縄をかけて引っ張る姿を想像できました。私が若い頃は、テレビや映画のアメリカの西部劇で、時々見かけたことがありました。
 さて、その曲がどんな内容かという具体的な説明が後回しになってしまいました。私は、それを以下に、日本語の歌詞に訳してみた、日本語カバーの曲でおおまかに示してみたいと思います。



        『別れの純情』


(DJ)
さあ、ディスコの時間だよーん
こんないい晩に、みんな元気ないじゃないか
じゃあ、なにか新しい曲に はまって元気出そうよ
準備いいなら、いいと答えて、いいかーい? (観客の返事)
いいねーっ? (観客の返事)
イチ、ニノ、サン、それーっ!


(Wow,Wow,Wow, ...)


おいらは いいさ オマエだけっさ
それでもまだ足りないの?
馬鹿にしてる こんなことするって
共に いつまでも
逝(ゆ)くも一緒だと 誓いを立てたのに
それ だけっさ!


イヤだと言って 去るあなたに
今になって どうしろと?
考えてよ 伝わらないわ
「きみが命だ!」と
「どうか助けて!」と
すがって 言って欲しい


(Wow,Wow,Wow, ...)


あの日 そばで 慰めてくれた
愛(いと)しい きみは 消え去ってしまったよ



(ラップ)
おいらは きみの虜(とりこ)
得意に なっていたさ
ワケを 知りたいのさ
ほんとに 惚(ほ)れていたの?
きみに 振り回され
何もかも 捧げた
か弱い者いじめて!
見捨てるなよ!


愛してるって? 捧げてるって?
残されるは 涙だけ
愛は運命(さだめ)
恨(うら)みはしない
さらば 幸せを 切(せつ)に祈るだけ
忘れないで欲しい


(Wow,Wow,Wow, ...)


あの日 そばで 慰めてくれた
愛しい きみは 消え去ってしまったよ



 この曲のタイトル『純情』は、日本語訳にしてもそのままでもよいのですが、少し状況を詳しく付け加えてみました。男女が仲を悪くして別れてしまう状況、つまり、お互いに本音があって譲り合えない(どこかで聞いたことがあるような状況ですが…)ゆえに、これまで一緒にいた気持ちがお互いに冷めてしまう別れの状況を表現した曲と言えましょう。マイナーな、悲しいムードではありますが、ディスコダンスのミュージックとしては、最高のムードだったかもしれません。ビージーズの『サタデーナイト・フィーバー』だって、そのサビの部分はややマイナー調(もしくは、短調)気味であったことを思い出します。
 この曲のサビの部分は、「ある日突然 悲しんでいる私に近付いて/愛だけを与えて(その結果は)遠く立ち去ってしまった 君」という直訳になります。オリジナル歌詞の意味するところとは、ほぼ同じにして「あの日 そばで 慰めてくれた/愛しい きみは 消え去ってしまったよ」と意訳してみました。
 女性の側が男性に対して、もうこれ以上の我慢はできない、すなわち、今まで相手の男性を立てて我慢してきたけれど、もうこれ以上は無理という気持ちが、別れの状況につながってゆきます。その結果として「愛しいきみは、遠くへ去って行ってしまったよ」と文字通りの意味にとっていいわけです。それと同時に、その歌詞の内容はこう解釈できるかもしれません。男性の頭の中で、今まで好きだった相手の女性から『いとおしいイメージ』が消え去ってしまった、というふうにも見ることができるようです。それはそれで、残酷な光景ではありますが、そう解釈すると、優しいとばかり思っていた相手の女性の、その本性を知った後のがっかり感がリアルに表現されきて、面白いのではないかと思いました。
 さて、この曲では、またもや英語混じりのハングルのラップが出てきました。当時の韓国ポップスの流行(はや)りだったのですが、そのラップの歌詞内容を日本語でわかるようにすることが、曲全体を理解する上で欠かせないことは言うまでもありません。ラップゆえの激しいイメージを伴ってはいますが、意味を解釈すると、芸術的で楽しく面白いものも意外と多いのかもしれません。英語も使われていますが、外国人の使う英語は、日本人が英語で表現するのとはちょっと違った、別の視点と言い回しで表現されていることも多いので、注意が必要です。
 例えば、"heart breakin, love rackin"なんかは、「失恋して、愛を失って」みたいな直訳になりますが、かつて日本のジョイマンというお笑い芸人のネタみたいに、ちゃんと韻を踏んでいます。「きみに振り回され」と意味を優先して私の場合は訳しました。また、"get down and find yo cutie, jump around and shake yo booty"は、主語や時制など細かい箇所が省略されてスラング(俗語)っぽかったのですが、「私は、きみがカワイくて、きみにひざまずき、きみを戦利品として振り回して、跳び回っていた」みたいな意味にとれました。かなりの意訳ですが「おいらは きみの虜。 得意になっていたさ」と私の場合は表現してみました。なお、今回の英語混じりのハングルのラップは、他にもちゃんと脚韻を踏んでいて、ラップらしかったと思いました。
 オリジナルの歌詞中で、「愛することが罪(過ち)なの」と訳される部分(「サランハンゲ ヂェヤ」)があります。その『罪』および『過ち』という意味の言葉ですが、「悪いことだけれども、どうしようもないこと」というふうに捉(とら)えて、『運命』と書いて「さだめ」と読んでみました。
 ところで、私は今回も、年末年始に東京の実家に帰省しています。先日、部屋の片隅の本棚を見ていたら、十数年前に買っていた『朝鮮語辞典 KOREAN−JAPANESE DICTIONARY』という辞書を発見しました。当時、7700円+消費税で買った高価な辞書で、日本の小学館と韓国の金星出版社の共同編集になっていました。ハングルの文章を調べるにはかなり強力な辞書で、つながって簡略化された言葉や、複合語などが細かく載っていました。今回の作業でも、いくらかその辞書のお世話になりました。
 もちろん、辞書で言葉の意味や、文の意味がわかるだけでは、外国語を日本語に十分に訳せたことにはなりません。主語・目的語・動詞などの文の構造がわかっても、100%正確に訳せるとはかぎりません。それらは、最低限必要なことですが、そこから一歩進んで、全体的に矛盾のない、筋道だった内容を理解していかなくてはなりません。そこが、外国語の文の解釈や翻訳の、一番難しいところだと思います。そんなことを言う私でさえ、いつ何時(なんどき)に誤訳をして、しかも私自身がそのことに気が付かない、ということになりかねないのかもしれません。言葉の国境を越えることは、なかなか大変なことなのかもしれません。