シニータの『Toy Boy』の日本語カバーに挑戦!

 私が、この曲を初めて聴いたのは、意外な時であり場所でした。私は、日本社会が不景気と呼ばれていた頃に某ソフトウェア開発会社に就職しました。それから六年ほどして、私は神奈川県の鎌倉市のM電機製作所の工場に出向していました。東京都足立区の私の実家から、鎌倉市へ行くには電車で片道三時間近くかかりました。そのM電機製作所の鎌倉工場内には、私らが担当したシステム・プログラムとデータ・ベースを載せた実機(ターゲットマシン)としての(洋服ダンスの大きさの)ミニ・コンピュータがありました。その場所でマシン動作テストを一ヶ月ほどやらなければなりませんでした。そのために、藤沢市のビジネスホテルを往復したり、用意された作業場や工場内で徹夜をしていました。その一ヶ月間は冬の二月で、徹夜明けの朝はさすがに寒かったのですが、マシン動作テストのために、洋服ダンスの大きさのミニ・コンピュータのすぐそばで、しばしば作業をしていました。工場内のその場所でディスプレイを見ながらキーボードを打っていると、そのマシンの発する熱で、早朝の寒さをしのぐことができたからです。
 工場内はまた、様々な機械の音で常に騒がしく、そこで働く人間にとって快適な条件とは言えませんでした。けれども、朝八時を過ぎると決まって、「トーイ、ボーイ。トーイ、ボーイ。」という女性の声のイントロから始まる何かの曲の伴奏が聞こえてきました。それに続いて、「さあ、みなさん。朝の縄跳びを始めましょう。」という、大企業ならではのアナウンスが聞こえました。中小企業から外注として来ている私らは、当然、その縄跳び体操はしませんでした。そのユーロビートの曲を聴きながら、仕事を黙々と続けていました。毎朝そんなふうに耳にしていた曲が、シニータさんの『Toy Boy』であったのです。
 ユーロビートとかディスコとか言うと、日本経済のバブル期を想像したり、思い起こしたりする人がいるかもしれません。しかし、私にとってあの頃は、まだ不景気な世の中の続きを会社の仕事に没入して、突っ走っている最中でした。ですから、私にとってはその『Toy Boy』という曲は、「あの頃は、仕事が大変だったなあ。」という過去の苦労を思い出させるものの一つでしかありませんでした。
 もちろん、あの頃から今日まで、その英文の歌詞の意味を知ろうとして翻訳したことはありませんでした。ただ、某大手電機メーカーの社員が、毎朝その曲で縄跳びをやって、健康増進に励(はげ)んでいた、という思い出が残っているだけでした。なぜこの曲が、そのような縄跳び体操のために用意されていたのか、ということはわかりませんでした。あの頃に、誰かにその理由を聞いておけばよかったと、今になって私は思いました。
 それはさておき、その後の私は、この曲をふと思い出して、その曲の十二インチのシングルレコードを買いました。その曲は、例の「トーイ、ボーイ。」で始まる、ラップのイントロ無しのバージョンでした。ネットのYouTube動画サイトで見かけるバージョンは、ラップのイントロ有りのものが多いようです。がしかし、意外にも、ラップのイントロ無しのバージョンの方が好きだという外国人の方もいらっしゃるようです。以上のことから、私の作った日本語カバーは、M電機製作所の工場内で聴いた、ラップのイントロ無しのバージョンに従うことにしました。
 また、この曲の日本語カバーは、既にレモンエンジェルさんやKayokoさんに歌唱されています。いずれも、ちょっとバブリー(死語かもしれませんが、バブル景気的なという意味)かつエッチな歌詞のように、私には思えました。私の日本語カバーとしての訳は、当然ながら、バブリーでも、エッチでもないかもしれません。その件に関しては、後で説明を加えておきます。まず、私の作った日本語カバーのバージョンを見ていただきましょう。



     『連れは坊や』



(坊ぉーや、坊ぉーや…)


街なかでは もちきりなの
坊やのうわさで
うわさ通り 素直でいい子
ヨイショして あげたいわ


金なくても 満ち足りてる
不思議なきみを
素敵でいいと 思うから
みんなに 薦(すす)めたい


連れは 坊や 坊や
連れには 坊や 坊や
毎晩 きみと 共に 過ごす
うれしい 楽しい 時を!


恋したいと思う時に
駆けつけて来るでしょう
ジゴロみたいよ ロメオみたいよ
みんなに 教えたい


(*)
連れは 坊や 坊や
連れには 坊や 坊や
お持ち帰りできれば
幸せになれるわ!
連れは 坊や 坊や
連れには 坊や 坊や
毎晩 きみと 共に 過ごす
うれしい 楽しい 時よ!


(坊ぉーや、坊ぉーや、坊坊坊ぉーや、坊ぉーや…)


街なかでは もちきりなの
坊やのうわさで
ジゴロみたいよ ロメオみたいよ
みんなに 教えたい


(* くりかえして消えてゆく)



 今回の曲の歌詞は、英文としてはそれほど難しい箇所はなかったと思います。ただし、余りに簡単かつ簡潔すぎて、その歌詞を日本語に訳すと、露骨かつエロチックすぎてしまう場合があるようです。この曲の歌詞およびそのミュージック・ビデオの動画のイメージでは、トーイ・ボーイの彼は、『若い成人男性』として捉(とら)えられています。それは間違えではないのですが、俗っぽくて、それはある面では残念な感じを受けました。
 そこで、私の場合は、その彼は『私の連れの、幼い坊や』であると、思い切って妄想を働かせてみました。その方が、歌い手の女性の気持ちに近いのではないか、と思えたからです。
 また、英文のオリジナル歌詞の一部で"I dress him up lookin' fine"とあります。そのまま直訳すると、例えば「私は彼をドレスアップして、立派に見せている」すなわち、「私は、彼を着飾って(その服装を)立派にして見せている」というふうになります。当然、日本語としても、それで意味が通じるとは思いますが、後で"I want everyone to know (he's ....)"(「彼が…であることを、みんなに教えたい」)と述べているのと同等な意味であると考えてみました。つまり、それを意訳すると「私は彼を立派に見せたいのです」もしくは、「私は彼をヨイショしてあげたいのです」という感じになると思いました。
 私の妄想かもしれませんが、この曲の主人公の女性が、その連れの坊やを街中へ連れまわして、みんなに注目されながら、坊やの存在を、さらにみんなに自慢げに見せびらかしている様が想像されました。それは、とても楽しげなものに感じられました。この曲の明るさや楽しさは、そうした情景の中にあるのではないかと、私には思えました。
 オリジナルの歌詞の中には、「彼は金持ちではない/それを人々は不思議に思っている/(けれども)彼は私が欲しいもの全てを与えてくれる」と直訳できる部分があります。これは、おそらく当時の日本社会のバブリーな考え方では、説明できない意味を含んでいたはずです。ユーロビートのこの曲が、もともとは、バブル景気や金持ち志向に支えられていたのではなかったという、確かな証拠がそこにあると思います。そうした金銭の豊かさや好景気にうかれて我を忘れていたのは、今になって考えてみると、当時の日本人だけだったのかもしれません。