『おお!スザンナ』の日本語カバーに挑戦する

 この曲は、アメリカのスティーブン・フォスターさんの名曲の一つとも言われています。また、ナンセンスソングともミンストレルソングとも呼ばれていました。
 私は、大学生の時に、フォスターさんの名曲集のLPレコードを買ったことがありました。英語の合唱曲が10曲くらい入っていました。日本の音楽評論家による簡単な内容解説と、英文の歌詞カードが入っていたのですが、原曲の歌詞には、日本語の翻訳が付いていませんでした。私は、英文科の学生であったにもかかわらず、歌詞の内容を翻訳してみようと思いませんでした。つまり、フォスターさんの曲を、英語の歌としてではなく、単純に音楽として私は聴きたくて、そのLPレコードを買ったのでした。
 よって、この曲の歌詞の内容に関しては、全く知りませんでした。原曲の歌詞の中に、つじつまの合わないナンセンスな箇所があるとか、黒人に対する差別的な表現の箇所があるとか、ということを全く知りませんでした。兎にも角にも、当時のアメリカ社会の流行歌であったことは、知っていました。
 当時のアメリカ社会の流行歌が、なぜ名曲の一つと呼ばれるようになったのか、ということを考えてみましょう。私が、この曲を聴いた印象では、メロディーに特徴があるように思いました。この曲が流行っていた当時は、歌い手は、ふざけたような明るい気持ちで歌唱していたと思います。しかし、それでいて、何かロマンチックで甘美なものが、メロディーの中に感じられます。つまり、当時のアメリカ社会でこの曲が流行った理由は、この曲がナンセンスソングかつミンストレルソングだったからかもしれませんが、本当はそれだけではなかったのです。
 この曲名の『スザンナ』とは誰だったのかということについて、次のような説があるそうです。この曲の作者の、亡くなった姉のシャーロットさんが、『スザンナ』というミドルネームだったので、この曲名にとられた可能性がある、ということだそうです。(ウィキペディアによる)
 もし、そうだとしたならば、この曲に秘められていた謎が一つ解けるかもしれません。実は、『スザンナ』とは、この曲の作者にとっては、「この世で会いたくても会えない人」のことなのだと考えることができます。つまり、作者の心の中に『スザンナ』は居るのです。そして、この世を生きている作者の心のつらさが、それを彼女が嘆き悲しむ姿となって心中に現れたと考えるのです。「ねえ、スザンナ、ぼくのために泣かないでおくれ。」("Oh! Susanna / Don't you cry for me.")と、彼は、嘆き悲しんでいる『スザンナ』に心の中で語りかけている。と、そう考えることができます。
 ちょっと話の説明が、エドガー・アラン・ポーの一人称小説あるいは怪奇小説風になってしまいました。このように、メロディーの中に感じられた甘美なイメージが、そうした歌詞の中にもあったと言えます。そのような何か甘い感じが、孤独で寂しい多くの人々に響いて、その心を癒してくれるような感じがします。その辺に、この曲の名曲たる所以(ゆえん)があるような気がします。
 それでは、私なりのこの曲の日本語カバーを見てみましょう。あの津川主一さんがこの曲の日本語カバーを既にされていることを、私はたまたま知りました。私の翻訳は、それと若干違うかもしれませんが、私なりに和訳したということで、勘弁して頂きたいと思います。



   旅路の果てに



いとしい人に会いに ルイジアナ
バンジョーをかき鳴らして 出かけたよ
不順なお天気に 悩まされて
はるばる来たんだよ 嘆かないで


(コーラス)
ねえ、スザンナ! 泣かないで
はるばるアラバマから来たんだよ



危険な綱渡り 河を渡り
酷(ひど)いこと しでかして しまったよ
汽車も 馬も 頼りにならなくて
命からがらだよ 嘆かないで


(コーラス)
ねえ、スザンナ! 泣かないで
バンジョーをかき鳴らして 来たんだよ



草木も眠る夜に 
スザンナが 丘を下って来るのを 
夢で見た
そば粉のケーキ 涙で ほおばって…
必ず会いに行くよ 泣かないでよ


(コーラス)
ねえ、スザンナ! 泣かないで
はるばる来たんだよ 君のために



ようやく たどり着いた ニューオーリンズ
道端で見かけたら キモつぶす
でも 見つからなけりゃ 自暴自棄
おいらが逝く時にゃ 嘆かないで


(コーラス)
ねえ、スザンナ! 泣かないで
おいらはアラバマから来たんだよ



 いきなり曲の英文和訳タイトルが違うじゃないかと指摘されそうですが、曲全体の雰囲気から思い浮かぶ情景を、その英文和訳タイトルにしてみました。このようにしてみると、当時のアメリカ社会で、ゴールド・ラッシュと共に、この曲が流行った理由も少しわかってきたような気がします。いろいろと苦労して、西部のカリフォルニアへ移動してきた人たちの気持ちが、この曲の内容に共鳴したことは、想像するに難(かた)くないと思いました。
 お気づきと思いますが、私はこの曲を、単なるナンセンスソングとは思っていません。原曲の歌詞の一番に「出立して一日中雨に降られたと思ったら、今度はカラカラの乾燥天気になって、太陽がギラギラして暑くなったと思ったら、今度は凍えてしまうほど寒くなった」というような内容の歌詞フレーズがあります。これまでの一般的な見方としては、これはつじつまの合わない、ナンセンスな表現であるとされてきました。しかし、私としては、これをごく自然な表現と見ています。その歌詞フレーズは、お天気が目まぐるしく変化する、すなわち、天候不順を表現しているのだと理解しました。この曲の作者は、短い歌詞フレーズの中で、天候不順を表現することによって、人間が自然の厳しさに悩まされる様を表現しようとしていたと見ることができるのです。
 この曲は、(何度も申しますが)当時のアメリカ社会の風潮と大衆に合わせて、作られた流行歌でした。よって、黒人の人たちへの人種差別ととれる表現がいくつか出てきます。しかし、作者の意図を考えてみると、それは差別をして人前ではばからなかったり、黒人の人たちに対する嫌悪感を示したかったからではないと思います。彼の作品が、当時の社会で大衆受けして、その評判が広く伝わるために、やむなくとった措置と考えられます。表現上は、人種差別的なものに受け取られがちになっていますが、聴き手に本当に伝えたいことは、それとは別にありました。これは、外国語の翻訳だからこそできるのかもしれませんが、そうした人種差別的な表現を原曲の歌詞から取り去ることができます。そして、その奥に隠されていたこの曲の主旨を、日本語で表現してみました。こうしたやり方は、津川主一さんのこの曲のバージョンでも同じように行われています。興味のある人は、津川主一さんのバージョンを参照してください。
 このやり方を私は試みて、いくつかわかったことがあります。原曲の歌詞の二番では、旅路の途中で様々な困難と直面しながら、命がけで目的地にたどり着いたということに言及しています。また、その歌詞の四番では、やっと目的地にたどり着いたものの、直接会えることのない『スザンナ』とニューオーリンズの街中でバッタリ会ったらどうしようと不安になり、かといって、どこを探しても彼女を見つけられなかったら、寂しくつらくて自暴自棄になってしまう。結局、彼自身の命がそこで朽ちてしまうのではないかと考えて、そのことを悲しんでくれるなと『スザンナ』に心の中で語りかける。と、そう解釈ができます。
 その歌詞の3番についても、夢の中に現れた『スザンナ』が目に涙をためて悲しそうにしているのを見て、「会いに行くから、泣かないでおくれ。」と、非現実的な夢の中で彼は誓います。この夢の中の様子が描かれることによって、なぜ彼が『スザンナ』に会いに行こうと決心したのか、というその動機が語られているわけです。
 このように、原曲を翻訳した内容をざっと説明しました。この曲を翻訳する前と後とでは、この曲に対するイメージは、私の場合、かなり大きく違っていました。最初私は、『スザンナ』というのは、作者の姪っ子の娘さんか何かで、オジサンの彼が泣いている子供の娘さんをお道化た感じであやしているようなイメージでした。しかし、原曲の歌詞を訳していくうちに、最初に抱いていたそんなイメージとは全く違うことに気がついて、驚いてしまいました。時代の流れと変化の中で、こうした楽曲の受け取られ方も、変わっていくのかもしれません。
 最後に一言つけ加えておきます。この『おお!スザンナ』の日本語カバーがそうした内容であったと仮にするならば、日本の歌謡曲やJ−POPなどで、似たような内容やテーマの曲が無かったかどうかを、蛇足ながら私は考えてみました。「この世で会いたくても会えない人」への想いを歌ったものとしては、少し昔の日本のニューミュージックから一つ、私は思い浮かびました。それは、グレープというユニットの『精霊流し』という歌でした。あの、さだまさしさんが、この曲の作詞・作曲・ヴォーカル・ヴァイオリン演奏を担当していました。興味のある人は、その歌詞や曲を探してみるといいと思います。ちなみに、精霊流しというのは、夜に行われるにぎやかで楽しい雰囲気の行事だそうです。曲調は、やや悲しい感じがしますが、日本と外国の文化的な違いを考えてみると、面白い比較ができるかもしれません。