選挙についての興味深い意見

 最近テレビであるニュース情報番組を観ていたら、街中で一般の人たちにインタビューしているコーナーがありました。その中で、一人の若い女性がこんなふうに答えていたと思います。「私は、政治のこととか選挙のことがわからないし、誰に投票していいかもわからないので、選挙に行きません。私のまわりの友達の、誰ともそのような話をしたことがないので…。」
 このような興味深い意見を聞くのは、私にとってはそれほど珍しいことではありませんでした。会社勤めをしていた30代の頃に私は、20代の若者(男性)からも同じような意見を聞いたことがありました。
 確かに、「政治がわからない。」「選挙がわからない。」「誰に投票していいかわからない。」「選挙で投票しに行かない。」といったことは、現代の日本であり得ることであり、そういった若い彼らの主張は正しいのかもしれません。彼ら一人一人の考えに従えば、『政治』や『選挙』に関わっていたところで、彼らの思い通りにそれらを動かせないし、むしろ周囲の大人(政治家ではなくて一般庶民の大人)から邪魔者扱いされるだけだということがよくわかっているからです。「お前たちのような青二才に、大人の世界がわかってたまるか。何もわからぬふりして、大人しくしていればいいのさ。」と、ありもしない既得権益を振りかざしているのが日本の大部分の年配者の本音なのかもしれません。
 しかしながら、私はそうした年配者を批判する気にはなれません。『政治』にしても『選挙』にしても、「お金がかかる」という物量的なイメージこそありますが、結局はどちらも人間が行うものであって、完璧に正しいとか全く正しくないとか言えないものだと思います。
 従って、若い人たちは、「政治がわからない」とか「選挙がわからない」とかいう正しい意見で「選挙で投票しに行かない」のではなくて、「間違ってもいいから誰かに投票してみる」というのが大人らしい良い判断だと思います。それが子供の心では出来にくい。それが、選挙権が未成年お断りの理由なのです。投票の結果が間違っていたら、次の選挙で改めればよいのです。
 政治や選挙が本当にわかるためには、誰でも多くの失敗や間違いをしなければなりません。A候補に投票したのに何もしてくれなかったり、B党に投票したのに何も変わらなかったり、などということはザラにあるのです。投票した結果が、何の効果も無かったり、むしろ願っていたのと逆の結果を招いたり、ということも少なくありません。世の中上手く行かないものと、私は時々思います。しかし、自分自身以外の考えに耳を傾けることも、民主主義にとっては大事なことなのです。 
 さらにまた、誰が本当のことを言っているのか、誰がウソを言っているのかを見抜いたり、価値判断をすることも必要なことです。具体例はあえて避けますが、候補者が人間である限り、完璧に正しいとか全く正しくないとか、学校の算数の答えのようには出てきません。しかし、現代日本の政治のしくみ(例えば、間接民主主義の一長一短や、立法とは独立している行政官僚機構とか)を少しでも知っていれば、知らない場合よりも全く違うと思います。
 政治や選挙に参加していないからという理由で、それらのことに関係なく日本で生きていけると思ってはいけません。そんな人間が多いと戦争に行かされて無駄死にしてしまうのだ、と過去の日本の歴史は教えてくれています。深刻に考える必要はありませんが、今の日本の若い人たちは、もう少し『大人の考え』や『大人の知恵』や『大人の世界』を知るべきだと思います。
 選挙における私自身の反省としては、前回の選挙で、最高裁判所裁判官の国民審査がわからなくて、白票を出してしまった、ということがありました。今回も白票になってしまうかもしれませんが、一応、最高裁判所がこの2年間にどんな判決を出しているかを調べてみようと思っています。