創作力にまさる想像力を育てよう

 私は高校2年の時、文芸部の部長になりました。そこで、顧問の先生に初めて挨拶をしに行きました。その先生は、別の学年で国語を教えている、40代の女性教師でした。「今度、文芸部の部長になった、黒田です。小説や詩を書いています。」みたいなことを申しましたら、その先生はこんなことを教えてくださいました。「作品を創作するのは楽しいかもしれませんが、まず文学作品を読むことが大事ですよ。」とおっしゃって、桑原武夫さんの『文学入門』を読んでみては、と薦(すす)めてくれました。そこで、私は、さっそくその本を買って読んでみました。
 それまでの私は、小説や詩を書けることが、すなわち、その創作力こそが、文学活動の全(すべ)てであると信じていました。しかし一方、その桑原武夫さんの『文学入門』を読んでみると、すぐれた文学作品を鑑賞することが、その人を豊かにするということが述べられていました。すぐれた文学は、作者自身が興味を持ったものに関して、その真実の切実さを、誠実さと明快さと新しさをもって読者に伝えるもの、すなわち、感じさせ体験させるものでなければなりません。つまり、文学の本当の目的は、すぐれていると万人が認めてくれる作品を創作することにあるのではありません。ある程度の価値があると認められた文芸作品を、私たち自身が理解して、その限りある人生の糧にしたり、日常生活を営む普通の心を支えて、彩り豊かにすることにあるのです。
 例えば、私は、子供の頃からテレビドラマやアニメを数多く観てきました。そして、それぞれの限られた番組の時間内で、それがどんなことを表現しているかが理解できると、極(きわ)めて幸せな気分になりました。しかも、それが、私の心の中に抱えている問題や内容とたまたま一致していたならば、「そんなことを考えているのは、自分一人じゃないんだ。」とラッキー(lucky)に思って、かえって元気づけられました。だから、それを「けしからん。」とか「盗作だ。」などと思ったことは一度もありません。
 そういえば、先日の私は、夜の音楽情報番組をテレビでたまたま観ていました。2023年に注目されたJ‐POPSの曲を、ミュージシャンや音楽プロデューサーさんらが選んで、それぞれのランキングで紹介するという内容でした。それを観ているうちに、私は、藤井風(ふじいかぜ)さんの『花』という曲が好きになりました。テレビで観た後で、ネットのYouTubeでも、その曲を見つけて何度も聴いてみました。
 「咲かせにいくよ、内なる花を」とか「探しにいくよ、内なる花を」とかで、少しその歌詞に揺らめきが感じられました。特に、この『内なる花』が意味するところはアレではないかと、私は思い当たりました。その人にしかわからない『花』たるものを無理やりに公(おおやけ)にすることなく、内に秘めて温めてこそ、幸せに人生を全(まっと)うできるのかもしれない。などと、そんなふうに考えて、独自の想像力を膨(ふく)らませていました。そして、そのようなことをすることは、楽しいことだと思いました。だから、それは、ああでもない、こうでもない、と苦心の挙句にやっと作品の完成にたどりつくみたいな、そんな創作力よりも、ずっと合理的な活動に私には思えました。果たして、皆様は、いかがなものでしょうか。