理解度は試されていた

 これは、私が今年の1月1日に経験した2つの出来事を切り取って書いてみたものです。その時、私は長野県の某アパートの一室で一人でテレビを観ていました。誰かが目撃者や証人として居たわけでもありません。つまり、まったくの私事(わたくしごと)なので、これから私が述べることをきっと信じていただけないのかもしれません。しかし、なるべく事実を逸脱しない範囲で、その時に私が経験したことと考えたことを正直に述べておきたいと思います。
 今年の1月1日の午後4時2分ごろ、私はテレビでバラエティ番組を観ていました。すると、その画面に緊急地震速報のテロップが出て警報音が鳴りました。さらに、私の携帯電話にも緊急地震速報のアラームが鳴って、その2、3秒後に地震の揺れを感じました。(携帯電話の緊急地震速報は、昨年の5月5日以来のことでした。)その時、私はとっさにテレビのスイッチを切りました。そして、地震の揺れをその場で座って、注意していました。縦方向の揺れは、一瞬ちょっとだけでしたが、その次の横方向の揺れが2分間近く続きました。最初は、一方向とその反対方向へ大小複数回の揺れがありましたが、そのうちに各方向にぐるっと一回転する揺れがおきました。そしてまた、どちらかの方向へ横揺れしたかと思うと、突然その横揺れが治まりました。
 それから少しして、テレビのスイッチを付けたらば、能登半島震度7地震があったことを知りました。また、各地の震度がテロップに出ていました。けれども、私の居た地域は震度1と表示されていたので、驚きました。あれだけの横揺れであったならば、実家のある東京だと震度4か5だな、と思いました。
 また、同日の午後11時すぎのことです。テレビでドラマを観ていたらば、急に画面が変わって、再び能登半島震度7地震があったと報じていました。その時の、各地の震度の範囲が、地図の映像で表わされていました。けれども、私の居た地点が震度4の範囲に含まれていたので、これまた驚きました。なぜならば、わたしが、そのドラマを観ていた夜の11時前後は、地震の揺れを全然感じていなかったからです。至って静かな夜でした。女性容疑者の犯行動機がわからないうちに、そのドラマが中断してそのまま終わってしまったので、少しモヤモヤしていました。けれども、その夜に能登半島震度7があった時に、こちらに地震がなかったことのほうが、もっと不思議でモヤモヤしました。
 そこで、私は、仮説を立てて、想像してみました。私が居た場所については、余り詳しいことは言えませんが、周囲を山に囲まれた、盆地の中の高台みたいな場所です。したがって、津波の心配はまったくありませんが、過去に水害があって、水路があちこちに整備されている地域です。普段は水の少ない流れの小川にしか見えない水路が、大雨が降るとあちこちから水流が集まってきて、支流が濁流になっているような地域です。中山間地みたいな地域でもあるので、交通の便が悪くて、最寄のスーパーやホームセンターまで徒歩で片道1時間から2時間もかかる場所です。
 長野県だから、周囲を山に囲まれているのは当たり前です。しかし、よく考えてみてください。山って、もともと地面が隆起してできたものですし、断層がなかったら山にはなっていません。つまり、私は、断層(注・活断層とはかぎらない。)に囲まれて、暮らしているのと同じなのです。ここで、『断層』と聞くと、ある種の恐怖をおぼえる人がいるかもしれません。けれども、そうとも言えないような気がします。これは私の憶測かもしれませんが、断層のない地盤の柔らかい広域の地層ほど、地震の揺れで液状化や流動化がしやすいのかもしれません。地盤が堅いゆえに、断層はあっても(注・地すべりには注意が必要。)、多少買い物には不便でも、台地や高台のほうがより安全なのかもしれません。
 今回の地震について言えば、午後4時2分の地震は、能登半島震度7地震が、長野県の方向に揺れが伝わって、長野県に対して緊急地震速報が出ました。能登半島と私の居た地点との間にはいくつも断層があって、震源地の深さが浅かったこともあって、縦揺れ(P波)はほとんど伝わりませんでした。しかし、横揺れ(Q波)は、震源地の深さが浅かったゆえに、大きな揺れが水平方向に、断層から断層へとリレーして伝わりました。いろんな方向へ横揺れしたのは、あちこちにある断層がそのようなことで共鳴現象を起こしたためと、私には考えられました。また、午後11時すぎの能登半島震度7地震は、新潟県の方向に主に揺れが伝わったため、私の居た地点には、その間の複数の断層が邪魔をして(つまり揺れを吸収して)、大きな地震の揺れが伝わってこなかった。と、そう私には考えられました。
 そう言えば、東日本大震災の時のことを思い出しますと、私の居た地点では、その当日の夜中に、がたんと一回地盤が少し沈んで2、3秒くらい横揺れしました(震度2か3くらい)。それ以降は、体に感じるほどの揺れは一度もありませんでした。ところが一方、私の実家のある東京からの情報では、その3月11日以降も、東北地方と関東地方ではしばしば余震があったとのことでした。つまり、私の居た地点と東北地方・関東地方との間では、何らかの断層が邪魔をして、東日本大震災の余震が伝わりにくかった。と、そう私には考えられました。
 すなわち、「『断層』を悪者扱いするのが正しいことなのか、疑わしい。」というのが私の意見です。もちろん、専門家さんがおっしゃるとおり『活断層』には気をつけなくはいけません。また、それぞれの地域の地層や地盤の固さに配慮することも必要です。しかし、「断層があるから、日本中どこにいても危険だ。」と考えることは、過剰防衛意識なのではないかと思います。「断層があるから、山があるから、私たちの生活が守られてきていた。」という過去の事例も、本当は少なくなかったはずです。
 言うまでもなく、私たちの生活は、しばしば様々な自然現象に打ち負かされてきました。が、それでも、そういう自然現象とうまくやっていく術も、太古の昔から少しずつ会得してきていたはずです。日々の生活に各人が忙しい私たちに、それを理解できるだけの余力があるのかどうかは不明です。しかし、それでも、そうした自然現象の脅威に毎日をただ不安に思うのではなく、もっと良い方向に考えを進めていくことは必要なことです。そういったことへの理解度が試されていることって、私たちが気づいていないだけで、本当はしばしばあることなのかもしれません。