私のプロフィール 祖先は農民ではなかった

 今回は私の祖先について、私自身が調べた範囲で述べてみたいと思います。まず、父方の家系ですが、私の曽祖父までがわかっています。私の祖父は、タクシーの運転手をしていました。彼は、徴兵にとられた時、当時タクシーの免許が珍しかったせいもあって、トラックによる国内の物資輸送の任務にあてられました。また、東京大空襲の前日に、まだ小学生であった私の父を連れて長野県柏原(近くに野尻湖がある場所です。)に疎開しました。私の父の同級生は、翌日全員命を落としましたが、私の父だけがそのおかげで生き残りました。その疎開先に、私の曽祖父である黒田重治郎がいらしたそうです。彼は、その土地の名士だったそうで、農民ではなかったそうです。あまり詳しいことはわかりませんが、投資家で、スリッパの工場を造ったそうですが、経営に失敗して倒産したそうです。しかし、野尻湖の避暑地にやって来た欧米人の面倒を見たりしていたそうで、それほど貧乏ではなかったようです。最終的には、柏原の黒田の本家は床屋さんに落ち着いたそうです。また、私の祖母は、以前にも書きましたが、長野市内の善光寺の山門の近くの床屋さん(偶然の一致にすぎませんが)で生まれて育ちました。娘時代は、上山田温泉で女中奉公をして、その土地でタクシーの運転手をしていた私の祖父と知り合ったそうです。
 私の母方の実家は農家をやっていたと、以前書きましたが、もう少し詳しく説明します。私の母は、長野県松代の実家で生まれ育ちましたが、その実家はもともと農家ではありませんでした。私の母の父親(私の母方の祖父)は、その従姉である私の母の母親(私の母方の祖母)と結婚すると、精米所を共同経営して、その親(私の曽祖父母)の借金を全て返したそうです。徴兵制により中国に行かされましたが、日中戦争前に日本に戻ってきて、今度は小麦の製粉を日本軍に委託されるようになりました。私の母の実家には、戦時中に軍用のトラックがよく出入りしていたそうです。それで、かなり儲かったそうです。しかし、周りの多くの貧しい小作人の農家さんたちの恨みを買ってしまい、何度も家に火をつけられたそうです。それで、米屋という職業をやめて、彼らと同じように農家をやることになったそうです。
 私の母方の実家の姓は『久保』と申します。それで、少し大柄で男っぽい私の母は、小学生の同級生からよく『ぼくちゃん』と呼ばれていたそうです。それはさておき、私の母の祖父、つまり、私の母方の曽祖父が、松代の久保家の本家にいらして、床の間に刀を飾っていたそうです。実はそれは本物で、実際に使われていたものですが、後に借金の肩代わりになってしまい、現在は残っていません。
 私の母方の祖先は、江戸時代に、長野県須坂の手前にある保科温泉のあたりにいた『豪族』だったそうです。現在、保科温泉の手前に『久保』という地名のついた信号機が残っていますが、その近辺から保科温泉のわきを通って、峠道を登っていくと、菅平高原に出て行けます。歴史の教科書に出てくる古代の豪族とは違って、『山賊』と言ったほうが正しいかもしれません。でも、山賊だからと言って悪者とは限りません。マンガの『ワンピース』のルーフィとその仲間だって海賊であるにもかかわらず、悪者ではないのと同じ理屈です。実際、そのご先祖さんは地元では『久保の殿さま』と呼ばれていたそうです。つまり、その地域の治安を治めていた武士であったわけです。
 江戸時代の武士と言うと、みんな現代の霞が関ビルの役人や地方自治体の職員のようにオフィス・ワーカーであったりするイメージがありますが、実際は違かったと思います。それでは、凶悪な犯罪者は取り締まれません。銃刀法違反の法律も無かった時代です。刀が使える、腕っ節の強い武士がいなかったら、農民は安心して仕事に専念できなかったはずです。江戸や大阪など人の多い都会であったならば、同心や岡引(おかっぴき)が有効だったでしょうが、地方の治安を維持するためには、別の仕組みがあってしかるべきだったと考えられます。
 というわけで、私の先祖をちょっとだけたどってみると、どうも農民の血が混じっていないようなのです。代々その土地を守るとか、和の精神を守るとかいう農耕民族の考え方が、わかるけれども、果たしてそれだけで現代社会がうまくいくのか疑問でならないのです。
 現に、採算が合わないということで、過去の農耕民族的な考え方ややり方では、日本では農作業をやっていけなくなっています。例えば、田植えをするにも、大勢の人手を使って一糸乱れぬ同じ動きで作業しても人件費が払えません。それよりも、馬ならぬ車という機械で、つまり、田植え機で一人でやるほうが経済的です。稲刈りだって同じです。仲間同士でコミュニケーションをとって共同作業をやるよりも、一人で黙々と機械を使ったほうが、合理的に農作業が出来るのです。
 若い頃の私は、本当の農家の出身である伯父さんや大学教授から、同じことをよく聞かされました。「ソ連が攻めてきて、日本の領土を侵略してきたら、お前は日本のために命を投げ出して戦えるか?絶対、戦えなければダメだぞ。」たとえ、殺し合いになっても日本の領土を守るために戦えという意味でした。ある意味では正しいかもしれませんが、一体その戦いが誰のための戦いになるのかという点で疑問が残ります。また、その勝者になれるという保障が何処にもないことも、冷静に考えればわかることです。
 私は、決して韓国や北朝鮮に味方するわけではありません。しかし、朝鮮半島の歴史を少しだけ振り返ってみると、彼らは北方からの騎馬民族の侵略を数限りなく受けてきたわけです。中国の漢民族万里の長城を築いて、歴史的にはある程度、その影響を防いできたと思われます。でも、そうすることができなかった朝鮮半島の人たちには、騎馬民族の血がかなり混じっていると思います。彼らの気持ちは、問答無用で侵略される身になってみれば、わかることなのかもしれません。
 だからといって、彼らも私たちも、そうした歴史の中でどうすることも出来ませんが、そして、対話さえも出来ないかもしれませんが、少なくとも相手の立場や考え方を理解する努力は少しずつでも時間をかけてでもしたいものです。