私の本業 臨機応変に

 実は、今年の長野県の天候は、朝夕が物凄く寒くて、もう四月だというのに朝に霜が降りたり氷がはったりする日がありました。特に2月3月は、日中暑い日がたまにありましたが、ほとんどの日は冷たい風が吹いて気温が上がりませんでした。その寒さのために、植物の生育が悪く、例年通りの日程で種をまいたレタスの苗も、私は一ヶ月遅れでハウス内の地面に植える始末で、大幅にスケジュールが遅れてしまいました。さらに、今日になっても低温注意報と乾燥注意報が出ています。毎年数千万円も稼ぐ大規模レタス農家さんも、露地にレタスの苗をすでに植えてしまいましたが、現在その生育は相当厳しそうです。
 ここ一ヶ月の間、私はレタスの苗を苗屋さんや、直接私の所へ買いに来たお客さんに売ってきましたが、連日の寒さで苗の葉っぱが黄色くなったとか白くなったとか、寒さで枯れてしまったとか、という情報をよく聞きました。私としては、まだ寒い日が続きそうだから苗を買うのはあわてないほうがいいですよ、と常にアドバイスするのですが、お客さんの方は毎年何月何日に地面に植えているから、どうしても今欲しいと言って譲りません。太陽暦にとらわれて、地面がまだ寒さで凍みているのを無視してしまう、家庭菜園のお客さんの経験と勘に私は恐れ入るしかありませんでした。
 そこで、私もお客さんや苗屋さんになぜ今すぐに苗が欲しいのか、その理由を探ってみたところ、知り合いがレタスの苗を植えたからとか、プロの農家さんがレタスの苗を植えたから、という聞き伝えや噂が引き金になっていることがわかりました。その伝言や噂が連鎖反応を起こして、苗をお客さんが求めるものですから、今年のように気候がまだ良くならないうちに苗を地面に植えてダメにしてしまうのです。あるお客さんに聞いたところでは、去年も3回レタスの苗を買って植えたところ、3回とも苗を枯らしてしまったそうです。
 お客さんの気持ちとしては、「苗に関して知識と経験豊富な、この私が選んだ苗だから、その苗は絶対優秀である。よもや枯れたり、大きくならないはずはない。」と考えるのが普通なのだそうです。そして、上手く行かないと、すべて苗のせいにして、苗が悪いからだと決め付けてしまいます。実際には、お客さんの側に、苗を世話する手間や技量が足りなかったり、それなりの保温設備を用意していなかったりするのが原因だったりすることが多いのです。しかし、過去にたまたま上手く行った経験をお客さんはよく憶えており、苗から育てるプロの農家さんの努力や苦労など微塵も知らないお客さんが多いのが現状です。
 寒さに強い苗にしたり、農薬を使わないなど、お客さんが育てやすい苗を作ることに私も留意してはいますが、お客さんによっては自己流でどうにもならない方もいらっしゃいます。グリーンボール(春キャベツ)は、ブロッコリのように芋虫を手で取り除くやり方では取りきれないことを説明してもわかってくれないお客さんがいます。私としては、他の人がやって上手く行った例を示すことしかできません。それ以上は、お客さんの自由に任せるしかなさそうです。
 苗はか弱い生き物です。が、お金で買われるかぎりは、物にすぎないのだな、と思います。それを生かすのは、お客さんの気持ち次第です。それを信じて、私はあと一ヶ月はレタスの苗を育てて売ろうと思いました。
 私自身も、今回の寒い気候でトマトの苗を全滅させてしまいました。レタスの収穫も、苗の育苗に手こずって収穫が一ヶ月遅れそうです。しかし、いろいろと失敗したからといって、それで全てをあきらめるわけにはいきません。それは、日本全国の農家さんと共通の気持ちだと思います。
 実際私も、今年は何としてでも直売所で、ある品種のトマトを売りたいと思いました。その品種のトマトが欲しい、買いたい、食べたいという何人かのお客さんが地元にいるからです。去年その品種のトマトを私が作らなかったために、その人たちから失望の声を聞きました。その品種のトマトを作るには、大変なハードルがいくつもあります。苗が環境の変化に極端に弱くてすぐ枯れてしまったり、木が暴れて支柱の縛りつけが難しかったり、トマトの玉が割れやすくて商品になりにくかったりで、地元でも別の品種のトマトに切り替える傾向にあります。しかし、果肉や食味が他のトマトよりも良いという特徴を持っているのは、この品種のトマトにしかありませんでした。
 最近少しだけ気候が暖かくなってくれたおかげで、そのトマトの苗が枯れなくなりました。それまで、3回か4回くらい種子から芽出しをしたものの、苗が育たず全滅してしまいました。トマトの収穫時期を早めに設定して、供給過多の時期の前に直売所で売る予定でしたが、かなり時期が遅れてしまいました。そこで、今年のトマトは、供給過多の時期の後に直売所で売ることで、同業の農家さんとトマトで競合しないように自主的に出荷調整しようと考えました。臨機応変に対処して、何とか地元の人たちに美味しいトマトを買ってもらいたいと思っています。
 また、レタスですが、例年だとそろそろ収穫を始めている時期です。私は、大幅に予定が遅れてしまいました。しかも、例年の3分の2ほどしか地面に植わっていません。(地元では、早い人は既に収穫してJAや直売所に出荷しています。レタスの産地としては心配いらないと、私は解釈しています。)でも、スーパーに行ってみると、茨城県産のレタスが例年よりも安い値段で大量に売られていました。たとえ現在私がレタスを収穫・出荷できても、茨城県産のレタスとかちあってしまい安く取引されてしまうだけです。だから、今年のレタスの生育スケジュールが遅れてちょうど良いのかな、と思っています。茨城県産のレタスが安いうちは、それと競わない方が良いと思いました。これもまた、臨機応変に対処して、無駄な争いはしないということなのです。