私のプロフィール 若きアニメおたくの悲劇

 私は現在、周囲を山に囲まれた長野県上田の地で、富士見台という小さな山の上(もしくは、丘の上)に住んでいます。毎日、空のかなたに見える山々を目にしていると、とても心が落ち着きます。私の母は、私とは逆で、海の近くの場所(もしくは、海の見える場所)に住みたくて、長野から東京へ出てきたそうです。私は、山に囲まれていない、空のかなたに山が見えない東京に生まれ育ち、生活してきましたが、何かずっと気持ちが不安定でした。海や水平線が嫌いだというわけではありませんが、日常生活での私の気分が落ち着かないのです。特に地図の上で、陸地よりも水面の多い埋立地周辺や海岸線を見ていると、心がフラフラして不安定になりました。
 私は思春期か青年期に、あるテレビアニメの一シーンをたまたま見て、とても共感しました。スイスの山奥に住んでいたハイジという女の子が、都会に連れて行かれて、ある日、山が描かれた絵画を見て、ホームシックにかかるという話だったと思います。その私の記憶は定かではありませんが、時々テレビで『アルプスの少女ハイジ』を見ていました。また、ジャケットに大きくハイジが描かれた、その主題歌・挿入歌のLPレコードを買って聞いていました。
 私は、アニメの主人公のハイジが大好きでしたが、ロリコン趣味があったわけではありません。中学三年の英語の教科書にも『ハイジ』の話がレッスンいくつで載っていましたし、テレビアニメも妹や弟と一緒に普通に見ていました。
 私は、18才の頃に『劇場版・アルプスの少女ハイジ』を上野の映画館へ一人で見に行きました。劇場版のストーリーは、テレビアニメ・シリーズのダイジェスト版でしたが、上映の途中から入って一回り映画を見て帰りました。一回目の上映が終わって、映写室の外に出た私は、映画館の休憩室の様子に一種の違和感を覚えました。何と、私の周りにいたのは、幼い子供を連れた若い母親ばかりだったのです。これは、20才の頃に初めて三本立ての成人映画を見に行った時に観客が中年のオジサンばかりだったことよりも、私にはずっとショックなことでした。当時18才の私は、ただ『ハイジ』の映画を見に行っただけなのに、場違いなことをしてしまったのではないかと心配したり、ハイジに興味を持つなんて、もしかしてロリコンなのではないかと思った位、このことで心配をしてしまいました。
 今になって考えてみると、当時はアニメおたくなど社会的に認められていなかったのだと思います。おそらく変態扱いされていたと思います。渡辺美里さんの『My Revolution』の主題歌が好きで、テレビドラマで『セーラー服通り』を見ていた時、原作?のコミックスにも興味を持ちました。そのコミックスの読者カードに自分の名前を書いて出版社へ郵送した後、私はまたもや罪悪感にさいなまれました。今じゃ考えられないことかもしれませんが、当時は、若い男性が少女漫画に興味を持ったり、セーラー服のデザインそのものに興味を持つことは、社会的にいけないことで、変態だと疑われても仕方のなかったことなのです。
 このように、若い頃の私は、難しい年頃の上に、さらに難しい社会環境に立たされていました。がしかし、それでも何とか恥をしのんで生きるしかなかったように思われます。