なぜ人は放射線を恐れるのか?

 「なぜ獣は火をおそれるのか?」ということと同じことが、今回人間に対して言えます。獣にとって、火や電気は怖いものに感じられます。彼らには、なす術がありません。
 一方、人間は、火や電気を安全に取り扱うことができます。便利なエネルギーとして、火や電気をコントロールして使っています。ただし、その長い利用経験の間に、やけどや火事、および感電や漏電といった数多くの失敗を起こしています。私たち人間は、そうした失敗の経験から、火や電気の怖さを学び、より安全に利用できる努力をしてきたはずなのです。
 ところが、放射線となると、「目に見えない。」「理解できない。」「信じられない。」の3つの主要な理由で、私たちは『火を恐れる獣』と同じ境遇になってしまいます。
 まず、「放射線は目に見えないから怖い。」と考えます。何か難しい計器が無いと、放射線があるのか無いのかわからない。しかも、「〜しないように。」と注意命令が公の場で出されるものですから、正体不明の害毒のあるものだと一般に解釈されています。つまり、悪性の病原菌やウイルスと同等の、目に見えない害毒のあるものとして、放射線は見られているわけです。『汚染』という言葉が共通に使われていることからも、そのことは明らかです。
 これはあまり良い例ではありませんが、屁理屈と言われるかもしれませんが、私たちは、愛とか恋とか青春とか友情とかの『目に見えないもの』を怖いと思わないし、深く信じていることさえあります。これが愛だよ、これが恋だよ、これが青春だよとわかって言っている人が、何で放射線は見えないから怖いのでしょうか。私は、現実の世界では愛とか恋とかの方がよっぽど怖いし、信じられないと思います。
 現代の科学および科学技術が、放射線を具体的にどのように利用しているかを見てみれば、怖いはずはないと思います。農業試験場では、アイソトープ(同位元素体)から発せられる放射線で植物の成長を促進する試験が行われていました。放射線を植物に照射して、植物の成長が良くなれば、食料の増産につながります。また、健康ランドなどのラドン温泉は、弱い放射線を人間が体に浴びることによって、体調が良くなります。そして、最も重要なことの一つは、医療分野での放射線の利用です。ガンに対する放射線治療は言うまでもありませんが、体内の危険な病気がレントゲンやCTスキャンでわかるのは、まさに放射線のおかげです。
 はっきりしたことはわかりませんが、東京の浄水場から検出した放射線量の報道で大騒ぎになった昨日の影響でしょうか、今日私は地元の歯医者さんに行ってびっくりしました。いつもは来院者で混んでいて、特に幼児を連れたママも多く来院していた歯医者さんが、今日は私を含めて中年者が2,3人しか来ていませんでした。福島原発のニュースを伝えているラジオを聞きながら、先生も私も、どうしたのかな、と目の前にあるレントゲン室のことに話が触れないようにお互いに気を使っていました。騒ぎが収まるまで冷静にしている必要があることでは、みんな同じ考えのようでした。
 私たちは、このように放射線が私たちの生活に与えてくれた恩恵をまったく忘れているか、もしくは、まったく知りません。原子力発電から与えられていた恩恵を忘れ、放射線の科学技術的利用から与えられていた恩恵も忘れ、今の日本人は良いとこ無しだと思います。
 そのようになった次なる理由は、「放射線は、難しくて理解ができないから怖い。」と考えることにあります。目に見えない放射線を数値で表すことは、確かに正確で客観的な情報です。しかし、(私でなく、普通のおっちゃんから見れば)何とかシーベルトってなんじゃい。人名かい。シューベルトは音楽家だし、シーボルトは医者じゃねーか。安全なのか、安全でねーのか。さっぱり、わかんねーや。だったら、いっさい野菜を食べなきゃ、水も飲まなきゃ、おいらにゃ、関係ないことよ。などどぬかすに違いありません。このおっちゃんは、学問は無いかもしれませんが、大学卒の一般的なサラリーマンと理解度はほぼ同じです。
 世の中、数字が嫌いな人も少なくありません。いくら客観的で正しい数値(測定値)でも、専門家の先生の丁寧な説明を聞かないとその意味するところがわからないような状態では、不安を世の中に広めるだけです。まるで高等数学の問題が難しすぎて正解者がほとんどいない教室内で、答えがわからなかった多数の生徒たちのざわめきが起こるような状態に似ています。この時、授業中のたった一つの難しい数学の問題ができなかっただけで、テストや受験への不安や心配が増大します。そして、一生懸命勉強をしてきても問題が解けなかったことへの失望と、人格を全否定されたかのような敗北感を味わされます。
 専門家の先生の説明のあるニュースなどの番組は、部分的には難しい箇所があっても、全体的にはわかりやすくて勉強になると、私は思いました。でも、専門家の立場上、放射性物質放射線放射能がごっちゃになって説明されていたりすると、わかりにくかったりしました。『半減期』という言葉も、時たま耳にしましたが、理解していない人が多かったようです。この分野の知識は、先進的な科学技術の知識であり、義務教育でも教えられていませんので、頭の固くなった大人にとっては理解がかなり難しいです。例えば、おっちゃんから見れば、『放射〜』はすべて危険物と見なして、危険物で汚染したものにはかかわらないほうが利口だ、ということです。もっとも、飲み水となると、乳児への規制であったにもかかわらず、子供が飲んで危険な水を大人が飲んで無事だなんてどうなってんだ、ということになったと思います。もちろん、情報を正しく理解していません。従って、おっちゃんは不安になるのです。
 先の歯医者さんの例で推測するならば、我が子かわいさで、考えを誤ってしまいはしないかと心配なところです。乳幼児に少しでも放射線を浴びさせたくなくて、レントゲン撮影を必要とする医療は受けたくないという考えまで出てきているようです。この考えのおかしなところは、減点法で採点されるテストのようなところです。放射線を浴びなければ浴びないほど、人間の体は健康だと考えています。しかし、それは逆に間違いです。仮に、放射線をいっさい浴びない場所で人間が生活できたとします。そのために、細胞内の修復や体内の免疫システムが働く必要が減ることが、良いとは限らないと思います。
 例えば、植物の苗の生育を考えてみると、太陽の光を浴びた苗はしっかりした苗になります。一方、太陽の光を十分に浴びないで育った苗はひ弱で、もやしになります。太陽の光には、可視光線と赤外線と紫外線と放射線が含まれています。見方を変えれば、太陽自体が放射性物質の巨大な固まりとも言えます。地球上のほとんどの動植物は、そんな太陽の光を浴びて生きてきたわけです。従って、放射線をまったく浴びない環境を理想と考えること自体、ナンセンスなことだと思います。
 そして、「放射線についての情報が信じられない。」と考えてしまうのは何故でしょうか。専門家や学者さんや政府の発表に私たちが疑いを持ってしまうのはなぜでしょうか。彼らが、何か大切なことを日本国民に隠しているのではないか、と疑ってしまうのは何故でしょうか。その答えの一つは、放射線が目に見えないことにあります。目に見えないものを説明・解説する人たちの言葉を、私たちは信じられないのです。その不信感が拭えないまま、それらの情報に従わざるおえません。不信感は増えこそすれ、減ることはありません。
 レントゲン撮影に関しても、テレビの情報を見ていくうちに、そんなに多量のシーベルト放射線を利用しているとは思わなかった。(もちろん、この考え方は間違いです。)今まで自分は、だまされていたのではないか。レントゲン撮影を拒否する権利があってしかるべきであると考えている人が少なくないと見受けられます。
 従って、専門家や学者さんや政府の発表で「直ちに健康に及ぼす(放射線)量ではない」との説明を受けても、ネガティブに捉えて、将来に及ぼす影響が心配になってしまいます。また、一定期間に連続的に放射線を浴び続けなければ健康障害が現れない(放射線)量であると説明を受けても、実際にどこからどこまでが安全の許容範囲なのかわからないため、結局何も浴びないのが一番安全だと勝手に解釈しまいがちです。例えの表現としてはわかりやすいのですが、現在の状況がどれくらい安全なのかが、聞き手に伝わりにくいようです。
 現在本当に怖くて一番危ない場所は、福島原発とその周辺の地域です。イメージ的に考えても、広島や長崎の爆心地と同じくらいに危険な場所が、毎日テレビやラジオで報道されています。しかし、まさかの場合を心配をしている多数の人たちが、その現場にいるわけではないことも事実です。
 つまり、放射線を怖がる人間の心理は、正しい情報伝達の前に既に出来上がっています。雇用や食生活や震災などのいろいろな日常生活上の心配の一つになっているわけです。それをくつがえすのは容易ではありません。だからこそ、一人一人が胸に手を当てるなどして落ち着いて、自分自身が何におびえているのかをよく考えて欲しいのです。